《六話:全てを誤魔化して、取り繕って、嘘に嘘を重ねて》

 ――六月五日。


「それで、今日の『契約』なのだけど」

「清水公園にするか? 時間はどうしよう」

「このあと女子チームはファミレスで勉強会の続きがある」

「凪も一緒なの?」

「腹立たしい。私のことは、どうでもいい?」

「いや、つい本音が…………!」

 日を追うごとに増していくパンチの威力と強度。

「戯言だよ……今しかないか。まあでも、それならラーメン部を召集できるし」

「どういうこと?」

「『契約』の前に二郎系はさすがにアレだろ……ニンニクマシマシなんて地獄だぞ」

「気を遣ってくれているの?」

「い、一応な。お陰で僕の日常から二郎系が消失した」

「……分かった。それでは、適当に理由を付けて、あの場所で」

「あの場所で」

 スカートを翻し、先に行こうとする波の背中に問いかける。

「なあ……」

「なに?」

「僕、凪に避けられている気がするのだけど……気のせい、かな」

「…………」


 妙な間だった。

 まるで彼女が動揺しているみたいだった。

 圧倒的で絶対的な彼女に限って、動揺などするはずがないのに。

「どうしたの、何の脈絡もなく」

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 そんなことを彼女に聞く意味はない。

「もしかしたら、あたしのせいかもしれない」

 風に吹かれてかき消されてしまいそうなほど小さい声で呟かれた言葉を、僕は上手く聞き取ることができなかった。

「え? なんか言ったか?」

「……いいえ、何も。じゃあ後ほど」

 

 ラーメン部の麺麺……ならぬ、面々に今日の召集を提案すると、秒で可決される。

「豊四季さんと何を話していたんだ? 凄くいい雰囲気に見えたぞ」

「馬鹿を言うなよ。学級委員の打ち合わせだよ」

「本当かよ? お互いに名前で呼び合うなんて、疑われたって仕方がないぞ」

「それなー。宿連寺さんという最強の幼なじみがありながら! この浮気モンが」

「何でもいいけど、たまには豊四季さんをラーメン部に連れてきてくれよ」

 茶化しを交わしながら波を探すも見当たらない。先に向かってしまったようだ。

「聞いておくよ……。じゃあ、ちょっと職員室に行ってくるから」


 言い残して教室を後にする。

 波が言った通り、学級委員という言い訳は実に便利だった。

 僕たちの言う《あの場所》とは、つまり屋上のことだ。初めて彼女と会話をした――あの場所。

 屋上へ向かう前に、トイレに立ち寄る。

 洗面台の下の収納棚に保管してある歯ブラシで入念に歯を磨き、そして最後にマウスウォッシュ。

 口元を拭い、鏡で顔を確認する。

 はあーと息を吐き口臭を確認する。爽やかな香りがした。


 どうして僕は、こんなことをしているのだろう……?


 浮かんだ雑念を振り払うように、両頬を掌で叩いた。

 絡み付く邪念を置き去りにするように、全力で階段を駆け上がる。

 一段、二段。また一段。時折、何段かを飛ばしながら。


 それでも登っていけば、やがていつかは屋上という終着点へと辿り着く。

 どんな事にも終わりが来るように。

 いつまでも続くものなどないように。

 扉の前で立ち止まり、胸に手を当てる。

 胸の鼓動は激しく、速く、高鳴っている。


「息なんて切らして、どうしたの」

 屋上で待っていた波が驚いた。

「……すまない、待たせた。ラーメン部に捕まって…………」

「別に、構わないけれど」

 会話もそこそこに、無言で歩み寄る僕たちは、目を瞑った。

「……んっ」

「ん――……」

 唇が触れ、吐息が漏れる。

 時間が止まるような感覚。

 彼女の背後に、夕陽が落ちていく。

 初めの頃のぎこちなさは、もうなかった。手慣れたものだ。毎日のように、繰り返してきたことだから。

 そしてこれは、これからも、きっと続いていく。


 これはルーティンだから。

 波のためだから。


 僕は彼女の瞳を見ることができなかった。

 ひどく悲しそうなその瞳を見ると、吸い込まれて元には戻れない気がするからだ。

「体調が悪そうだけど……」

「一気に階段を駆け上がったからな。明日から瞬発系のメニューを増やすわー」

 陽気に振る舞うことで、無理やり飾り立てる。

「じゃあ、ラーメン部を待たせているから! 気をつけて帰れよ? 凪をよろしく!」

 忙しなく、夕方の屋上を後にする。

 心拍数が上がってくれて良かったと安堵する自分がいた。

 この胸の高鳴りは、決して心が揺らいだからではなく、あくまでも階段を駆け上がったからに過ぎないのだと。

 自分自身を騙すには、充分過ぎる理由だった。


 全てを誤魔化して、自分を取り繕う。

 嘘に、嘘を重ねる。

 気が付かないふりをした。

 勘違いだと打ち消した。


 そうして、僕は、向き合うべきものから目を逸らし続けていた。

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