第三章
《一話:凪の勘違い》
――五月二日。
大型連休初日の柏の葉公園は賑わっていた。
競技場では陸上部の県大会が、野球場ではプロ野球のイースタンリーグが開催されている。
ペットの散歩をする人、ジョギングする人……穏やかな春のひととき。それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
陽射しは暖かいを通り越して、もはや暑いと言って差し支えない。
少し歩いただけでも汗ばんでくる。
「絶好のお散歩日和だねっ!」
伸びをしながら気持ち良さそうな凪。
最近ハマっているらしいポニーテイルを楽しげに揺らす。
花柄のワンピースは、ここが花畑であるかのような幻想を抱かせた。
「あれだな、凪…………その……髪型いいな。似合ってるぞ」
「へっ……? そ、そうかな……ありがと……」
顔を赤くして照れている姿があまりにも眩しくて、倒れそうだった。
「緑ヶ丘続、気持ち悪い」
「あ?」
「その喋り方、変態みたいだからやめた方がいい」
「お前な…………」
日焼け止めを何重にも塗りたくりながら悪態を付く美女がもう一人。
白いTシャツに水色のジーンズという飾らないシンプルな格好。
しかし、逆にそのシンプルさが丹精な顔立ちを引き立たせていた。自然と顔に視線が向かう。深く被った黒いキャップ帽。
影に覆われた目元が怪しげな光を放つ。それも言ってしまえば、ミステリアスだ。
「視線が嫌。うなじを凝視しないで」
「えっ! づっくん、ちょっと……、ええっ?」
「見てない! 見てないから!」
したり顔の豊四季と、その背後に隠れてしまった凪。
「づっくんのエッチ……」
恥ずかしがる凪。悪くない。
いや、むしろ良いまである。たまらない。
もっと詰って欲しい。
罵倒して欲しい。
「美女二人に誘ってもらえただけでもありがたいでしょう? 灰色のGWを私たちがバラ色に染めてあげるわ」
「血色に染まりそうなんですが」
「同系色。同じようなもの」
「変態さんなづっくんとは、もう、口を聞きませんっ」
「そんなぁ…………」
何とも情けない声が出る。
併設されたバーベキュー施設が今日のメインイベント会場だ。
バーベキューといえば、何から何まで大人に用意してもらっていたものだが、こうして自分たちだけで一から始める工程を踏んでいると大人になった気分だ。
パタパタと団扇で炭に風を送る。
……パタパタパタパタ。
「全く点火しねえ……。捻るだけで着火するコンロってやっぱり神だわ」
アウトドアは苦手だ。あまり経験がないせいか、苦手意識がある。
「緑ヶ丘続、それではただの焼肉」
「づっくん頑張って!」
……パタパタパタパタ
……パタパタパタパタ。
一心不乱に内輪で風を送るものの、一向に着火する気配がない。
最初こそ近くで見守り、動画を撮ったりしながら、やいのやいのやっていた二人も早々に飽きたようで、春アニメの感想会に興じている。
「いいよ、座っていて……着火したら呼ぶから……」
「こういう時に卒なく火が付けられたら格好いいのだけど、残念」
「あははっ! づっくん、案外、不器用さんだもんねっ」
「くそっ……、こんなはずでは……!」
苦戦しながらも何とか火起こしに成功。長らくお待たせいたしました。
「よしっ! それじゃあ」
「ええ」
「はじめようっ!」
「「「カンパイ!!」」」
バーベキューも終盤へ差し掛かり、デザートタイム。
「マシュマロがこんなに美味しいだなんて……」
マシュマロ焼きに心を奪われた豊四季が、夢中になって最適な焼き加減を模索している。
「ねえ、凪。どうかしら」
最適解を発見したらしく、凪に感想を求めている。
「んー! 美味しいっ! 幸せっ!」
どの焼き加減でも、凪の感想はそればかりだが、本当に幸せそうなので良しとしよう。
食後のコーヒーを愉しみながら「うふふ」「きゃっきゃ」と戯れ合う二人を眺める。
太陽は、少しずつ傾き始めていた。楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。
この時間は、永遠には続かない。青春のように有限で刹那的。
しかし、だからこそ尊いのかもしれない。
容器を所定の場所に返却し、少し気温の下がった園内を散歩することとした。
「お腹いっぱいっ! 食べた食べたっ!」
「今日一番の主役はマシュマロ。正直、舐めていた」
「どんだけハマってるんだよ……」
「飲み物を買ってくる。先に進んでいて。追いつくから」
「飲み物? だったら僕が買って……うぉっ!」
唐突の蹴りに情けない声が出る。
「いってーな……何をするんだ……」
しかし「いいから」と追及など断固として許さない強い口調で突っぱねられる。
何が「いい」のか全く分からないが。不審そうな僕を「まだ分からないの?」と呆れ顔で見てくる。
「はあ……」
ため息をついたかと思うと、僕の腕をグッと引き寄せる。
少し屈むような格好になった僕の耳元に、豊四季が顔を近づける。
いい匂いがするし、顔が近くて少しだけドキドキする。つくづく、男の単純さに悲しくなる。
僕の動揺などまるで意に介さない彼女は、囁く。
「――夕方の公園。ロマンチックな雰囲気。二人だけの時間」
「ああ、そういうこと……」
どうやら気を遣って、二人だけの時間を演出してくれるらしい。《契約》の見返り、という事か。
「分かった。その辺にいるから、見当たらなければ携帯を鳴らしてくれ」
聞いた豊四季は不自然なほどに神妙な顔で頷いた。気障なことをしやがって。
「波ちゃん、なんだって?」
「お手洗いも一緒に済ませたいから、だってさ。その間、二人で散歩しよう」
昼間の喧騒が嘘のような静けさだった
公園の中心にある池のほとりをゆっくりと歩く。
「づっくんと二人で過ごすのって、すごく久しぶりな気がするっ」
「最近は、三人でいることが多かったからな」
慌ただしかったこの一か月を振り返る。
実際には清水公園駅から凪の自宅まで送り届けるときは二人だったが、凪が言いたかったのはそういう日常を指しているわけではないだろう。
僕と凪が二人で積み重ねた時間――人は積み重ねた時間に意味や価値を見出すものだ。
二人で過ごした時間は、互いの絆をより強固なものにした。
二人だけの日常。
二人だけの空間。
この世界の全てが敵だった僕たちにとって、お互いこそが生きていくための寄る辺だったから。
それが絆される事は有り得ない。
暗い道を歩いてきた僕たちにとって、絶対的に優しく穏やかな場所――それが僕にとっての凪であり、凪にとっての僕だった。
「づっくんはさっ――」
「うん?」
指を絡めたり握ったりと所在なく弄びながら言葉を探す凪。
言葉を紡ぐ。
「波ちゃんのこと、どう思っているの?」
どういう意図の質問なのか、返答に窮する。
人は、欲しい答えがあるからこそ、何かを問いかける。
さすれば、凪の求める答えとは何だろう。
逡巡する。
どんな解答が正解なのか。
「悪い奴じゃない、かな……高圧的で暴力的なところが玉に瑕だけど」
当たり障りのない答えに逃げる。
違う。
凪が聞きたいことはそうじゃない。
「そういうことでは、なくってね……」
決まりが悪そうに言い淀みながら、しかし、それでも決心したように続けた。
「好き――とかそういう感情なのかなっ……て」
冷たい風が吹いた気がした。
僕が、豊四季のことを好き?
冗談を……戯言にもならない。
まるで現実味のない言葉だった。
僕の想いが凪に届いていないことは百歩譲ったとしても、どこをどのように間違えば、そんな誤解が生まれるのだろう。
少しばかりの寂しさを感じる。
僕と豊四季はあくまでも『契約』があるからこその関係で、それ以上でも以下でもない。
でも、その『契約』を凪は知らない。
「あはは、まさか。そんなわけ……」
にべもなく――そして、きっぱりと。断固として否定しようと思ったその時だった。
「あれー? 緑ヶ丘と宿連寺じゃねー?」
正面から、ぞろぞろと歩いてくる人影を確認する。さっと凪を背後に庇う。
「お前ら、いつになっても変わんねえなぁ?」
聞き覚えのある声だった。
「川原塚か……?」
僕の中の黒い感情――血が沸々と燃えたぎるような感情が、確かに呼び起こされる音がした。
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