《二話(後編):学級委員長という言い訳》

 豊四季に連行……ではなく同行する形で職員室へ向かう。


「《契約》のことは、凪に伝えるの?」


 廊下を歩きながら、そんな風に問いかけてくる豊四季。

「考えてみたが……」


 《契約》とはいえ毎日のようにキスをする。その事実を凪に伝えるべきかどうか。


 豊四季は、

「契約さえ履行してくれたらどちらでも構わない。あなたに従う」

 と言った。


 「一晩考えさせてくれ……」と答えを保留にしていたのだった。


「……黙っていることにするよ」


「そう」

「信じてもらうためには、きっと凪の前で豊四季とキスをする必要がある。いくら心が伴っていないとはいえ、それはできない」

 好きな人の前で他人とキスするなんて、どんなプレイだ。



 職員室に到着して、担任の席を探す。

 どうやら要件とは、資料を運べとのことだった。

「箸より重いものは持てないの」

 言われなくても僕が持つつもりでしたけど、本当に一言余計ですよね。

 こいつ手ぶらなのだけど、二人で来る意味はあったのか?

 という指摘は野暮だろうか。

 黙って両手で重たい資料を抱える。


「しかし、どういうつもりだよ……学級委員なんかに指名しやがって」

「『契約』のこともあるから、何かと都合がいいかと思って」

「都合がいい?」


「私とあなたが一緒にいる理由が必要。二人でこそこそしていたら、関係を怪しく思う人も出てくるでしょう。他人の色恋ほど面白いものはないから。ただでさえ私は、学校一の美女として注目の的なのだから。その点、学級委員の打ち合わせと言ってしまえば、それなりに納得感のある言い訳になる」


「確かに」

「あなただって凪がいるのにそんな噂を流されたら困るはず」

「ななななな、何のことかな? 凪がいるって。ワカラナイナー」

「緑ヶ丘続、そういうのは、もういい」

「一応、隠しているつもりなんだけど」

「あれほど目で追っていて? 一度自分の言動を顧みた方がいい」

 それは気をつけないといけない。

「……凪は気が付いていないみたいだけど」

 じゃあ良くない……?

 いや、良くないか。

 僕が変態の異名を手にしたせいで、一緒にいる凪まで変な目で見られてしまったら大変だ。それだけは避けたい。

「一応ここで整理しておきたいのだが」

「ええ」



「一、豊四季波は一日一回、僕とキスをしなければ消える――消失する。

 二、消失は、夜八時頃から、足の指先を起点に身体全体へと波及していく。

 三、消失後は記憶を引き継いだまま《四月七日》、つまり入学式の朝へリープする

 四、タイムリープの繰り返しによって、これから先に起こり得ることを把握している」



「そんなところ」


「事象はどの世界線でも同じことが起こるのか? 『サイゼリアが混んでいる』なんて予言めいた事を言っていたが」


「イレギュラーは当然ある。けれど、大体は同じ。例えば、どうして私がテストで満点を取ることができるのか」


「…………は? うそだろ……?」


 にやりと誇らしげに笑った豊四季が、嫌味のように僕の肩を叩く。

「昨日も言ったけれど、私は、未来から来たも同然……まあ、まあ緑ヶ丘続。そんなに落ち込まないこと。代わりにと言っては何だけど、凪との事は応援する。私に付き合わせてしまっているという負い目もあるから」


 しかし、僕は即答する。

「いや、結構です……」

「なんか言った?」

「…………」

「未来が見えている私は無敵。せめて、地雷は踏みたくないでしょう」

「それは魅力だが」

「あなたは、ただでさえ拗らせた童貞なのだから、少しは私を頼った方がいい」

「腹立たしい言い方だが……まあ、よろしく頼むよ……」

「よろしい」

 満足そうに笑う。

 まるで、八月の青空のように爽やかに。

 思わず目を逸らしてしまいたくなるほど眩くて。

「それじゃあ、また――昨日と同じ場所、同じ時間に」

「ああ、わかった」

「先に行く」

 スカートを翻し、てってと階段を駆けていく彼女の後ろ姿を眺める。

 カールの掛かった黒髪が揺れる様子は、夏の陽炎を想起させた。

 その笑顔は、青春の輝きに満ちているはずなのに、どうしてか、時折、凍てつくような切なさが顔を覗かせる。




 その夜。

 昨日と同じ時間、同じ場所。

 月は、僕たちの遥か頭上。

 星は見えなかった。


「早速はじめましょう……《契約》を」

「《契約》を……」


 目を閉じて、唇を重ねる。豊四季の体温と柔らかさが伝わってくる。


「――……っ」


 唇がわずかに震えているのは、夜風が身体を冷やしたせいなのか、それとも何かに怯えているからなのか……僕には判別できなかった。


 唯一、確かなものは、彼女の感触――存在だけ。


 やがて、その甘い響きは、僕の中にある凍ったものを温めるように、溶かすように浸透してきた。


 それを拒むことなど、もはやできなかった。

 砂漠で見つけたオアシスのように、渇いた心を濡らしてくれる。

 言い訳をするように、自らへ言い聞かせる。


 ――これは、豊四季のためなのだから


 誰かのためだと、人のせいにして、折り合いを付ける――といえば、聞こえは良いが、その実、ただの現実逃避だ。


 《あの頃》と同じ過ちを繰り返している。

 そして、それに気が付いていながらも、僕はこの甘美な温もりを拒むことが出来なかった。

 ただ時の流れに身を委ねることに、心地良さを感じてしまっていた。

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