《二話(前編):学級委員長という言い訳》
入学から二日目。
教室には、未だに緊張感が蔓延っていた。県内一番の進学校とあってシャイな生徒が多いのか、積極的に話しかけて、教室を盛り上げていくような生徒は見当たらない。
僕も自分の周囲と軽く挨拶を交わしただけで、それ以降は言葉を発していない。
手持ち無沙汰を紛らわすため、凪に借りた小説を鞄から取り出して、束の間の読書タイムと洒落込む。
ぺらぺらとページを捲るたびに漂う甘い香りは、凪の部屋のものだろうか……。最高だ。
余談はさておき、読書家の凪が勧める小説に外れはない。凪の読んだ本すべてに目を通している僕が言うのだから間違いはない。
それに、恋愛小説は自分からは中々手に取らないジャンルだから新鮮な気分だ。
どうやら凪はロマンチックな恋愛が好みらしい。
一方の女子はというと、男子と違ってすっかり打ち解けた様子だ……と思ってはいけない。
彼女たちの戦いはすでに始まっているのだから。最初の立ち振る舞いが今後の高校生活を大きく左右することになる。
相手の容姿、持ち物などから相対的な自分の立ち位置を図る。いわば情報収集だ。
マウントを取れる相手、取ってはいけない相手……、より上のカーストに所属できるよう、探り合う時間だ。
側から見て、女子の中でもとりわけ目立っているのが凪と豊四季だ。
その見た目だけでスクールカースト上位に君臨できるレベルなのだから、有象無象が寄ってくるのは当然といえば当然だ。
一緒にいたら何となく自分も可愛い認定される気がする。
それを浅薄だと吐き捨てることはできない。
使えるリソースは使うべきだ。
よく見ると男子の中でもチラチラと二人を目で追っている奴がいる。
……豊四季はともかく、凪に手を出したらぶっ殺すからな。
「ねえねえ、二人は好きな人いるの?」
「あれでしょ、彼氏がいたりするんでしょう?」
「もう経験済みだったりー?」
「きゃー」
「きゃー」
「きゃー」じゃねえんだよな……。
凪に関していえば下ネタへの耐性がないから……というか、そもそも人との会話に耐性がないから心配だが、大丈夫だろうか。
「すすす、好きな人なんていないよ……?」
質問攻めにテンパっていた。
目をぐるんぐるん回しながら、慌てふためく凪も……可愛い。
それにしても、好きな人はいない、と。
好きな人がいて、その対象が僕であって欲しいというのはさすがに傲慢で、都合が良すぎる話だと言うのは分かっている。
凪から好意を向けられるほどの人間ではないはずなのに、つい期待してしまう愚かな自分を情けなく思う。
いきなり学力テストが行われた。
どうやらこの学校では、毎月のように学力テストを行い、その結果が、各々に支給されたタブレット端末へ配信されるらしい。
しかも即日開票。
極め付けは、その順位が全体公開される仕様となっていて、下手な順位を取ろうものなら羞恥プレイだ。
そしてその都度席替えを行い、成績順に後ろから座席を決定するらしい。
何というスパルタ。個人情報が何かと喧しく、ナンバーワンよりオンリーワンを推進するこの時代において、中々アグレッシブな育成方針だと思う。
五科目を半日で行う。
即日結果が出るのはマークシートだからか……などと、余計なことを考える。
全教科それなりに手応えがあった。
推薦で入学を決めてしまったから受験らしい受験をしていないものの、その分、じっくりと基礎学習に時間を費やすことができた効果がここに来て現れているのかも知れない。
中学時代に凪と図書館に籠城した成果だとしたらこの上ない幸せだ。
昼食前に全科目の結果が配信された。
自分の名前を上から探す……と、どこからともなく歓声が上がる。何だ……?
と思ったが、すぐにその意味するところがわかった。
一位:豊四季 波
ふざけるなよ。天は何物を与えるんだ。
二位:緑ヶ丘 続
順当だろう。
手応えはあった。何なら一位だと思ったくらいだ。
頂点を掴み取って、凪に格好良いところを見せる算段だった。
三位:宿連寺 凪
さすが凪。
机の下で小さくガッツポーズする姿が可愛かった。
こうした結果を見ると、僕たちがやってきたことは間違いではなかったと、これまでの時間が肯定されたようで少しだけ報われる気がした。
結果順に座席を並べたことで、一番後ろの窓際が豊四季、そこから順に右へ僕、凪となった。
うん、左隣はあれだが、右隣が凪というのはこれ以上ない僥倖。
それだけで学校に来る意味がある。
お互いにこの順位を維持すれば、永遠に隣同士でいられるということか。
エンドレス凪の隣システム。
もはや永久機関では?
なんて夢のあるシステム! スパルタ万歳!
男子からの恨めしそうな視線にはただ苦笑いするばかりだが、仕方あるまい。諸君らも精進するように。
午後は、学級委員長を決めることになったが、誰も手を挙げない時間が続いていた。
「緑ヶ丘続、あなたはやらないの?」
「いや……」
「つまらないやつ」
ぷいっと前を向いた。悪いが僕には、そんなものにかまけている時間はない。
推薦での大学受験に際しては有利に働くのかもしれないが、余計なタスクを増やされて凪との時間を削られることの方が耐え難い。内申点など欲しいやつにくれてやる……はずだった。
「私、やります」
高く手をあげた豊四季。
クラスは満場一致の賛成。拍手喝采。お祭り騒ぎ。
誰だよ、指笛を鳴らしたやつ。いい加減にしろ。
「助かるぞ。女子は豊四季に決まりだ。あとは……男子、誰かおらんか?」
冴えない初老の教師が促すものの、依然として静まり返る教室。
おい男子!
いま立候補すれば、豊四季波とお近づきになれるのだぞ。
とっとと手を挙げろ。
「先生、私が指名するというのはどうですか?」
「ええ……? まあ……構わんが」
いいのかよ。
というか……何だか物凄く嫌な予感がする。
先の展開が想像できる。
「それじゃあ、緑ヶ丘続。あなた、私を補佐しなさい」
そんな気はしたよ。
「いやです」
「では、先生そういうことでお願いします」
「……それでいいか? 緑ヶ丘?」
「待ってください。よくありません。無理です」
「え? なに? どうして? だめなの? まさか、そんなはずはないよね? いいよね? やってくれるよね? 断ったりしないよね?」
動画を拡散するぞ、と言外に匂わせつつニッコリと不敵な笑みを浮かべる豊四季。
教卓の前に仁王立ちし僕を詰める。
その様子は、さながら体育会系企業のパワハラ上司が月末に実績の足らない営業マンを詰める光景に似ていた。
異論反論意見など挟む余地もない圧倒的な理不尽。
「…………はい。ぜひ、この僕に、やらせてください」
「『お願いします。この無能な僕に任せていただけませんか?』でしょう。日本語は正しく使いなさい」
「お前いい加減にしろよ?」
「お前? 今、お前って言った? 聞き間違い? それ、誰に向かって言っているの?」
「……ぐっ。戯言です。申し訳ございません。お、お願いします。無能なこの僕に任せていただけませんか」
「うふふ……どうしようかしら……」
楽しそうだった。
もう勝手にしてくれ。
一連のやり取りを見て、恐怖に慄く男子生徒一同だった(一部変質的な嗜好を持った生徒を除いて)。
逆にこれは、おっとりした凪の人気が高まりそうでもある。
可憐なお姫様であるところの凪と、冷徹な女王様であるところの豊四季で二大派閥ができてしまう。
先生が不憫そうな顔で僕を見る。
無言でうなずくその顔からは「強く生きろよ」というメッセージが込められているように感じた。
「では、学級委員になった二人は、このあと職員室へ来るように」
「………………はい」
暗澹とする。
凪が、
「づっくん、学級委員になっちゃったねっ! 頼もしいなあ」
と、目を輝かせていたから、まだ幾らか救われる。
将来、凪を養っていくことを考えた時、やはりお金を稼ぐことは大切だ。
女の子と付き合いたいのなら、その子を一生金銭面で苦労させない甲斐性を持ちなさいと、かつてこの星でもっとも偉大な女神が言っていた。
さすれば、就職先で出世しマネジメント職に就く必要があるわけだから、そのための予行練習だと思えばいいか……。
人生で一番大切なものは決してお金ではないが、しかし、お金で凪に苦労はさせたくない。
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