* * *

 一回目。


 夜になって唐突に薄れ始めた自分の体を見て、冗談だと思った。

 新生活が始まったばかりで疲れている事が原因で、きっと悪い夢の中に紛れ込んだのだと思う事にして、その日はすぐに布団へ潜った。



 翌朝、目を覚まし、スマホを確認する。

 《四月七日》のままだった。


 信じられない気持ちではあったが、きっと《昨日》の事は夢だったのだと疑う自分がいた。

 ここはSF小説の中ではなく現実世界なのだから、タイムリープも異世界転生もありえない。

 そう自分に言い聞かせて、二回目の《四月七日》を過ごした。

 夜――。

 体が消えていく。

 恐怖でたまらなかった。泣きながら両親に助けを乞う。

 病院に駆け込んでみたものの、医者は「現代の医療では証明できない……」と立ち尽くした。

 途方に暮れた私は泣き疲れて眠ってしまった。



 翌朝、目を覚まし、スマホを確認する。

 《四月七日》のままだった。

 両親は、《昨日》の事を覚えていなかった。


 それからも何度か同じように《四月七日》を過ごしてみたものの、カレンダーは一向に進まない。


 繰り返される《四月七日》。

 まさしく、タイムリープだった。


 どうして私の身にこんな事が起きたのか。全くもって見当も付かなかった。

 恐怖、不安、怒り、苛立ち――様々な感情が心の中に同居して、私は壊れる寸前まで追い込まれた。


 しかし、そんな時だった。

 私が、緑ヶ丘続という人間に出会ったのは。

 もはや入学式へ出席する意味を見いだせずに、ふらふらと向かった屋上――そこに先客がいた。


 どこまでも広い春空の下、街を眺める後ろ姿が余りにも様になっていた。

 風に揺られる髪の毛先は軽やかで、私は思わず見惚れてしまった。

「きみもサボり?」

 私に気が付いた彼は気怠そうな声で問う。

 大きな瞳に春の陽射しが瞬いた。

 吸い寄せられてしまう。

「…………」

「まさかの無視……!?」

「……私?」

「きみ以外に誰がいるんだ……」

 屋上を見渡す。

 ここには、私と彼の二人だけ。

「ごめんなさい……」

「いや、別に謝るほどのことではないけど……」

 特に喋る事もなく、私たちは、ただ黙って街並みを眺めた。


 少しだけ冷たい春の風が、桜を掬い上げている。

 青く広い空が途方もない。

 私は切なくなった。


「元気がなさそうだけど……何かあった?」


「タイムリープって信じますか?」


 変な人間だと思われそうだけど、しかし、どうせ今日で終わる世界線だ。

「ここはSF小説の中じゃないのだから、タイムリープも異世界転生もありえない」

「……前のページの地の文みたいな事を言いますね」

「地の文? 何の話だ?」

「いえ、こっちの話です……やっぱり、あり得ないですよね」

 思わず俯いて、暗い声を出してしまった。

 不思議そうに私を見た彼は、再び街の方へと視線を戻しながら言った。


「でも、あったら良いな、と思うよ、タイムリープ」


「え?」


「やり直せる……という事だろう?」


 酷く寂しそうに言う。そんな風に考えた事はなかった。

「やり直したい過去が、あるんですか?」

「それはもう、幾つも。僕は弱くて……間違いばかりだったから」

「……」


「きみは? やり直す事ができたなら、何がしたい?」


 何がしたい――?

 私は、この繰り返しの日々に、何を――。


「私は……明日を――未来を生きたい」


 一瞬だけ驚いたように呆けた顔をしてから、彼はからりと笑った。


「それはいい。過去ではなく、未来のために、か。ポジティブなんだな」

「いや、そういう意味ではなくて……」

「きみも何かを変えたくてもがいているらしい」

「…………ええ」

「何の根拠もないけれど、きみなら大丈夫だと思う。きっと望む未来が手に入るよ」


 そう言って、差し出された右手。

 怪訝に思って彼を見る。

「無責任なことを言いますね」

「そりゃあね。だって、僕には何の責任もない」

 余りの清々しさに、私は思わず笑った。


「はじめまして。僕は、緑ヶ丘続。よろしく」

 挨拶の握手らしい。

 どうせ消えてしまうこの世界線で、新たな関係を築くことに果たして、どれほどの意味があるのかは分からないけれど。

 それでも、差し出されたその手を、掴むことくらいは、別に構わないだろう。

「私の名前は――豊四季波」


 思えばここからだった。

 私の新たな人生が始まったのは。

 長く険しい道程が--明日を、未来を生きるための旅路が始まったのは。

 彼に背中を押されて、踏み出した私の人生は――ここから、始まった。

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