第11話(1)

 ジャケット。サスペンダーズボン。手袋。警備靴。帯革。防弾チョッキ。

 全ての準備は整った。

 文字が露出しているのは、頭だけだ。



 工場の扉は閉まっている。

 手を掛けて引いてみると、隙間はできるものの開かない。覗くと、どうやら内側にチェーンが巻かれているようだ。

 工場の前には、何台もの車両が停まっている。

 確認したところ、佐藤の車のナンバーがあった。奴は本格的に、このグループへ入会したらしい。

 半グレや佐藤、少なくとも十数人が、この中にいる。一網打尽にするには最適なタイミングと言えた。

 帯革に手をやる。

 警棒に手が触れた。無線機に手が触れた。手錠に手が触れた。

 そして、拳銃に手が触れた。



 銃声が響いたはずだ。

 火花が散ったはずだ。

 どうでもいい。

 重要なのは、扉が開いたことだ。

 ゆっくり踏み込む。警備靴の底がゴツゴツと鳴った。

 想定どおり、工場内にいるのは二十人弱。誰が誰だか分からないが、全員悪人だ。

 そう私が断定できた理由は、彼らが囲っているものにあった。

 天井から吊り下げられた鎖と、そこにぶら下がっている人間。

 生きているのか知らないが、私の最期と同じように、捕まって拷問を受けている人間がいるのだ。


 ——妻でありませんように。


 それはもはや怒りでも、恐怖でもなかった。

 私は全てを理解していた。

 あらゆるものは記号なのだ。私の身体を見るがいい。

 ここにいる半グレどもに、どんな背景がありどんな思惑がありどんな同情の余地があるのか、私は知らない。

 私にとって、彼らは「悪」の記号でしかない。

 主観的に独善的に偏狭的に排他的に、私は彼らを葬るだけだ。

 生きていたころ、こんな考え方はしなかった。意識的に人間的であろうとしていた。

 だが、私はもう人間ですらないのだ。

 何人かが、バットやら何やらを手に、こちらへ走って来た。

 躊躇はない。

 私は続けざまに発砲し、五人の頭が弾けた。



 まだ十人以上残っている。拳銃の弾は切れた。

 私は銃をホルスターに収納し、代わりに警棒を取り出した。ここからは肉弾戦だ。

 ただし、以前のような遅れはとらない。私の名前は、極めて頑丈に保護されている。

 私が警棒に持ち替えたことで、飛び道具はもうないと把握したらしい。さらに何人かの半グレが躍りかかった。

 以前闘った人間から入れ知恵されたのだろうか、名前のある胴体部分を執拗に狙ってくる。しかし、痛くもかゆくもない。殴打でめまいを起こすこともない。

 殴られた箇所も、はがれた文字が服に受け止められ、再び吸着していく。半グレどもにとって、再生能力をもった化け物を相手にしているのと相違ない。

 警棒を無造作に振り、一人の頭をはじいた。そいつは、頭から『頭』の字を散らしながら吹っ飛んでいった。

 次の一人は、バールを構える肩へと警棒を振り下ろす。案の定、『肩』の字が飛び散り、そいつは武器を取り落とした。

 八人を潰したところで、警棒が折れ曲がった。仕方なく、半グレどもの落としたバールを手にする。

 鎖に吊るされた人間は、まだ生きているようだ。身をよじって、拘束を解こうとしている。

 その下には、シートが敷いてある。隅のタグに、『断熱素材』の文字が見えた。

 私を殺した後始末が大変だったに違いない。私の吐瀉物、血液、肉片、臓物が工場の地面にまき散ったはずだ。それで、今回はこうしてシートを準備したのだろう。


 ――人を何だと思っているのだろうか。


 主観的に独善的に偏狭的に排他的に、私はさらに数人を殴打した。

 バールの尖った面で殴ったから、何人助かるか分からない。知ったことでもない。

 残るは二人。

 一人は、見覚えのある輪郭だった。以前、私を叩きのめした人間だろう。そしてもう一人は、相変わらず名刺をポケットに入れっぱなしだった。

 佐藤がポケットから何かを取り出し、もう一人がそれを受け取った。

 強い衝撃が私の胸を襲った。

 身体がぶれる。軽いめまいもやってきた。

 防弾とは言え、さすがに至近距離の実弾はダメージが大きい。

 しかし、この程度のことは私も想定している。チョッキの内側には鉄板も仕込んできた。痛みはあるが、何も問題ない。

 銃をもった半グレは、再び発砲しようとしている。私は大股で歩み寄り、右手を伸ばした。銃口に親指を突っ込む。

 私は音も閃光も感じなかった。ただ静かに、銃身が弾け、相手の両手指が吹き飛ぶのを見ていた。同時に、私の右手が手袋ごとはじけ飛んだ。

 相手は後ろ向きに倒れた。破裂した銃身の破片が、額の中央を貫いたらしい。


 ——あっけないものだ。


 そして私は佐藤に向き直り、その顔面を殴りつけた。

 他の人間と同様、『頭』『鼻』の字を顔の近くに浮かばせたまま、佐藤は大きく後退する。

 しかし、彼はそこで思いがけない行動に出た。

 さすがというか、佐藤はクズらしさを取り戻したらしい。

 鎖につながれた人間の喉元に、刃物を突きつける。

 私は動きを止めた。

 人質が、妻なのかどうか。私には知る術がない。

 佐藤が何か叫んでいる。人質の存在が私に効果的だと見るや、強気に出る。こういった狡猾さは表彰ものだ。

 動けない私の胸元を、佐藤は蹴り上げた。無論、人質の首元にはナイフが光ったままだ。

 片腕を失っているせいか、うまくバランスを保てず、私はシートの上に尻もちをついた。

 何らダメージはなかった。ただ、興奮している佐藤が、私を攻撃した拍子に人質の肌を傷つけるのではと気が気でない。

 左の手元に何かが触れた。視線を落とし、ああ、と思う。

 ものは試し。うまくいくのかどうかは分からないが、主観的に独善的に偏狭的に排他的に行動するのだ。

 私はそれを、佐藤の頭に向かって投げつける。

 佐藤のこめかみに流れる『頭』の字に、『断』の字がくっついた。

 シートの『断熱素材』という表記からはがしたのだ。


 ——『断頭』。


 佐藤の頭がぽろりと転がり落ちた。

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