第8話(2)
佐伯司書はこの図書館に三十年以上勤めてきたベテランだ。
彼女は本を愛し図書館を愛し、走り回る子どもたちにも悪質なクレーマーにも毅然と立ち向かってきた。十年前の大規模な水害で蔵書の大半に被害を受けたときも、泣き言の一つこぼすことなく復旧と修繕に尽力した。
その彼女が、このとき激しく動揺していた。
黙々と配架を進めていたら、突然、目の前に異様な物体が現れたのである。
それは人の形をしていた。頭からつま先まで、活字で覆われた異形の何か。それは立ち上がり、何やらしげしげと自分の手足を眺めているようだった。
佐伯司書は「耳なし芳一」の怪談を思い出していた。
琵琶法師の芳一は平家の霊から身を守るため、全身にお経を書いた。これによって霊から姿を隠すことができたが、耳にお経を書き忘れていたために、耳だけを引きちぎられることになったという。
全身に経を書き込んだ全裸の人間が、肉体だけ透明になったら、こんなふうではあるまいか。
そんなことを思っていると、その物体は突然走り出した。
ビタンッ!
佐伯司書は肩をすくませる。
「それ」が壁に激突したのだ。
衝撃で、「それ」の頭や顔から、いくつかの文字が散る。それらは枯葉のように舞いながら、やがて見えなくなった。
辺りがざわついている。他の客やスタッフたちも「それ」の存在に気付いたのだ。
「それ」は周囲の反応を一切意に介す様子もなく、今度は出入り口から駆け出ていった。
佐伯司書は、この一件を後々まで語り継ぐことになる。
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