第8話(1)
――肉体が欲しい。
私は再び願った。
私が組み替えたあのメールが佐藤に届いたとして、どうしろというのか。佐藤と半グレがかみ合わぬやりとりをしているところを、私ははたから眺めていることしかできない。
無声映画(しかも、輪郭線だけのできそこないだ!)を、ただ流し見るのはごめんだった。
——肉体が欲しい。
それは渇望と言ってもいいような強い欲求だった。
その衝動に任せ、私は工場を飛び出した。
わめきながら(誰にも聞こえないのだ!)、腕を振り回し(何にも当たらないのだ!)、およそ狂ったとしか思えないありさまで(誰にも見えないのだ!)、私は通りを駆けた。
ふと図書館が目に入り、私は動きを止めた。やみくもに走っているうち、図書館の正面へと出てしまったらしい。
文字の渦を見上げているうちに、ざわざわと肌が粟立ってくる。
文字に触れて以来の身体感覚だった。
何かに導かれるように、私はそこへ踏み入った。
無数の文字が私の身体を呑み込んだ。想像以上のうねりに包まれる。
湿りを帯びた細かな粒子が、私の身体を叩いてはどこかへ消えていく。砂塵の中を進んでいるようだ。
やがて私は、自分がつむじ風の中心にいることを理解した。私の周りを囲むように、文字たちが渦巻いている。
一瞬の間を置いて、それらは私に襲いかかった。怪物が私を食らおうとしている。言い知れぬ圧力を感じ、私は片膝をついた。
私を覆う文字の中に、とてつもなく熱いものが混じっている。それらが触れるたび、私は身をよじった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。文字たちは突然、凶暴な動きを止めた。よろめきながら立ち上がると、彼らはすでに、果てぬ回遊へと戻っている。
私は自分の腕を凝視した。上腕から手首にかけて、いくつもの『腕』という文字が張り付いている。手のひらには『手』の字。大きさも書体もバラバラだった。
足から順に、身体を眺めまわす。『足』『脚』『腹』『脇』『胸』。私の全身を文字が覆っていた。焼けつくような熱は、これらが張り付いたときのものらしい。文字たちの隙間から、私の名前が放つオレンジの光が漏れ出ていた。
立ち上がると、足の裏がごわごわする。それがカーペットの感覚だと気付くのに、時間はかからなかった。
——踏みしめている。
長らくなかった感覚だった。
私の願いは叶ったのかもしれない。
歓喜して外へ飛び出そうとしたら、壁に激突した。壁だ。壁に阻まれたのだ。私の希望は確信に変わった。
したたかにぶつけたところから、『頭』『頬』『腕』の文字がいくつかパラパラと落ちた。
そんなことに構ってはいられない。文字の流れをかき分けて出入り口を探し出し、私は図書館を後にした。
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