第7話

 しばらく家で過ごしたが、妻と子が帰って来る気配はなかった。

 やはり再び工場へ向かうしかあるまい。

 私に時間は無限にある。取り越し苦労ならそれまでだ。妻と子の安全が確認できるまで、半グレどもを監視しておくに越したことはない。

 外に出た私の前方から、バイクがやって来る。

 後部から文字が溢れている。夕刊を運んでいるのだ。

 すれ違いざま、私は無造作にひとつかみの文字をむしり取った。

 細かな記事たちが、私の手の中に浮かぶ。


 ――見つけた。


 いくつものゴシップや報道に埋もれ、私の望む情報がそこにあった。

 隣県の山中で、警官の遺体発見。

 私の遺体は山に遺棄され、先日発見されたばかりらしい。

 警察の追及を逃れるために、半グレどもが交渉材料として私の家族を誘拐。

 あり得ない話ではない。

 もしそうであれば、ただではおかない。


 ――肉体がほしい。


 切にそう願った。

 奴らに干渉さえできれば、私は妻と子を守れるのだ。



 復路は往路よりもスムーズだった。

 とは言え私の身体は確かに疲労を感じていた。魂だけの分際で、移動の最大出力も駆け足程度、加えて生前と同様にくたびれる。世の中、アニメや漫画のようにうまくはできていないようだ。

 工場付近の道路で、複数人が作業をしていた。

 何をしているのかと覗き込むと、『一時停止』の『止』の字を書き直している。

 私が感情のまま引きはがした『止』の字は、丸まったまま、道の端に転がっている。

 やはり、文字には干渉できるのだ。それしかできないのだ。



 のろのろと工場の壁をくぐると、人影があった。

 人相の分からない私には、それが誰なのかを把握する術がない。半グレの一味なのだろうが、下っ端なのかリーダー格なのか判別できなかった。

 そいつは小さな箱体を手に持ち、何やら操作している。メールをやり取りでもしているのだろう。

 やがて文字列が放たれる。

 私はそれをつかみ、手の中で泳がせた。

『山で警官が見つかったな』

 私の話をしている。

 続きを確認しなくてはならない。こいつが誰なのか、メールの相手が誰なのか、これから何が起きようとしているのか。妻と息子はどうなっているのか。

 私は文字を解き放った。

 それは先ほどと同じように、上空へ立ち上っていった。

 わずかばかりの間を置いて、文字列が下りてくる。

 返信だ。

 それが箱体へ吸い込まれる前に、私は文字をつかみ取った。

『一人逮捕で手打ちだな。それ以上は追及されない』

 一人逮捕で手打ち。

 確かにそうだろう。実行犯が何人であれ、それを証明する証拠も証言もない。自分一人でやったという下っ端が現れたら、そいつをしょっぴいて終わりだ。

 問題は、この返信を送った人間が誰かということだ。

 これが半グレ同士の、ただの推測ならいい。

 しかし『それ以上は追及されない』とはどういうことだ。

 私は彼らのメールのやり取りを追い続けた。

『テツをしょっぴかせて終わりだ』

『そいつは大丈夫か? ゲロったら終わりだぞ』

『出所したら幹部にしてやるって言ったら涙流して喜んでいた。バカだから大丈夫』

『それで肝心のこと』

『あんたの借金はチャラ』

『恩に着る』

『晴れて、借金のために仲間を売ったクソ野郎だな』

 仲間を売ったクソ野郎。

 私の頭で、何かがつながった。

 メールの相手は、おそらく同僚の佐藤だ。パチンコにハマって、少なくない借金があるのは周知の事実だった。

 闇金に手を出した佐藤に、周辺を嗅ぎまわるマルボウを煙たく思った半グレどもが取引を提案。彼らについての捜査を進めていた私が、見せしめに殺された。

そんなところだろう。

 メールは続く。

『何とでも言え。これっきりだ』

『これっきり? どこかにカモがいれば教えろ』

『この前、真比の家を教えただろう』

 私の家。妻と息子はどうなったのか。

 私は居ても立っても居られず、その人影につかみかかった。両の腕は、何の手ごたえもなく、空間をすり抜けるだけだった。

『行ってみたら誰もいなかった』

『なら知らん。実家に帰ったかもしれん』

『実家はどこだ』

『たしか兵庫』

『探せない距離じゃないな』

『奥さんはめちゃくちゃ美人』

『そりゃあ最高だ』

 複数の感情が私の中で渦巻く。

 まずは、妻と息子が半グレどもに捕まったのではないという安堵。

 そして、妻と息子が狙われているという不安。

 軽口のようなメールが続いたが、やがて目の前の人影は、締めの文章を打ち込んだ。

『嫁の実家の住所だけ調べて今すぐ送れ。それが済めば、もう関わることもないだろう。メールはすべて消しておけよ』

 私は怒りに任せてその文章をつかんだ。

 そのまま振り回すと、ぱらぱらと文字がこぼれ落ちる。

 そのとき、何かが私の頭をよぎった。それは単純とも狡猾ともとれない思いつきだった。

 文字を捨て、文字を拾い、私は文章を組み替えていく。

『今すぐこい』

 手の中に、それだけの言葉が残った。

 そっと手を離すと、その文字列は空中へ浮かんでいった。

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