第6話

 魂だけの状態でも、疲労は溜まるらしい。

 数時間移動を続けた私は、倦怠感に包まれていた。

 建造物も遮蔽物もすり抜けて進んだため、距離自体はかなりショートカットできた。しかし、如何せん輪郭線しか見えない私はしょっちゅう方向を見失った。

 太陽の光。建造物の細部。町全体の色づき。

 私たちが「方向感覚」とか「見覚え」とか言うものには、視覚情報が相当に影響しているのだ。

 それでも自宅へたどり着けたのは、執念のなせるわざと言えるかもしれない。

 道中、私の頭を占めていたのは、妻と息子の姿だった。

 その表情をつぶさに眺めることはできなくとも、二人が無事に過ごしてくれていればそれでいい。

 玄関の飛び石。「真比」の表札。こぢんまりとした二階建て。間違いなく我が家だ。

 玄関扉を通り抜ける。

 リビングを見た。ダイニングを見た。二階の寝室も見た。


 ——どこに行ったんだ。


 妻と息子はいなかった。

 妻は車を運転しない。移動にはもっぱら自転車を使っていたが、それは庭に停まったままだった。

 せめて時間を確認しようと思ったのだが、私はアナログ時計を読むことができなかった。輪になった数字は見られるのだが、針が視認できない。

 寝室にデジタル時計があったはずだ。私は妙な胸騒ぎを覚えながら、二階へ向かう。


 ——妻と息子に、何かあったのでは。


 不安が胸の奥深くを締め付けてくる。

 半グレどもの怖いところは、情とか憐憫とか、そういった人間的な感情をいっさい解そうとしないところだ。搾取できそうな対象がいれば、限界までそいつから搾り取る。そして次のターゲットを見つける。誰かが「家族だけは見逃してくれ」と言えば、半グレどもは「家族をねらえばこいつはもっと金を出す」としか受け止められない。

 警官を殺し、その家族までも毒牙にかける。やつらのやりそうなことだ。

 デジタル時計は正午を示していた。日付を見ると、私が拷問を受けたクリスマスから、二週間近くが経過しているようだ。世は新年を迎え、すでに仕事も始まっている時期だろう。

 二週間。

 半グレどもが、私の家族を探し当てるのには十分な時間だ。

 幼い息子に奴らが危害を加えたら。

 妻の身に何かあったら。

 私は誰にも届かない声で叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る