18. 犬とトラウマ

 セレナたちはドラゴンが飛び去った方向へとひたすら森を歩いた。

 ああは言ったものの、セレナもラフィが少し心配だった。


 あんなスピードで飛び去られては、追いつくのにどれだけかかるかわからない。


「方向はこっちで合ってるんだよね?」

 そう問うと、イーコは頷いた。


「うん。飛び去った方向はこっちだし、北の方に巣を作っているという目撃情報とも一緒だからね!それにさっき木に登った時に、巣の位置に大体目星は付けたんだ」


 イーコは普段は無邪気な女の子ではあるのだが、こうして外に出ているとその観察眼や勘のようなものには驚かされる。

 セレナの記憶を辿ってもあまりイーコの過去については知らず、テイマー、つまり動物を使役する魔術を使うということと、出会ってからのことしか知らないようだった。


 そんなことを考えていると、前を歩いていたイーコが突然足を止める。


「おっと、二人とも、少しストップ」


「どうしたの?」


 イーコは人差し指を口に手を当てると、声を出さないように促した。


 道とも言えない道の脇にある茂みが、少し他の部分より潰れているのを見たイーコは、姿勢を低くしながらそちらへと近づく。


「大きい、マオオカミかも」


「マオオカミって?」

 小声でセレナは問うたが、イーコは気に掛けず茂みの方へと向かう。


 そしてその裏手に回り込んだが、何もいなかったのか手招きした。

 手には長い白い毛を持っている。


「何?それ」


「マオオカミの毛だよ。ついさっきまでいたみたい。毛が長いから体長もきっと大きいし、群れで行動していないからマオオカミかな」


「よくわかるね……それって……」



 そう話している途中で、セレナの視界は突然ひっくり返った。


「はっ?」


 脳の処理が追いつかないが、物凄いスピードで足元を掬われ、退き倒されたようだ。

 そう思っている最中にも、茂みの中をすごい勢いで引きずられる。


 そして間近で獣の唸り声が響く。

 耳から入って腹の底へ響くような、恐ろしい唸り声だ。


「セレナ!!」


 イーコの叫び声が聞こえる。

 盾は展開せずに持ち運んでいた為、引き倒された時に身体から離れてしまった。

 剣は身体の下に入り込んで、手で掴もうと足掻いても、上手く柄を掴めない。


「だ、誰か!」


 セレナは奇襲に対して人がいかに無力か思い知っていた。

 ただただ恐怖に侵されるまま、足掻くことしかできない。


「このッ!無事かマスター!」


 スイトがセレナの真上へ剣を横なぎにするが、大きな影は瞬時にそれを避けた。


「スイト待って!」


 イーコが叫び、スイトは追撃を抑えた。


「マオオカミだよ。私に任せて」


 イーコの声に反応し、マオオカミもそちらへと向き直った。


 イーコは呪文を唱えると、両方の人差し指を喉へと当てる。

 すると呪文で増幅された声が響いた。

 普段しゃべるのとは異なり、直接脳に響いてくるかのようだ。


『賢き狼よ、汝との対話を望む』


 するとマオオカミは小さく唸った。

 当然、セレナ達には獣の唸り声しか聞こえなかったが、イーコは小さく頷いた。


『我らは森を荒らす者にあらず。竜を討伐するべく、初めてここに立ち入った』


 会話を続けるように、マオオカミは唸り、イーコは続ける。


『それらは私たちの仕業ではない。必要ならば力を貸そう』


 いくつか言葉を交わすと、イーコはマオオカミの前に片足を立てて跪いた。

 そして手を差し出すと、マオオカミは、ぽんと前足の一つを乗せた。


「よし、契約完了!」


 いつもの元気な調子に戻ったイーコが、笑顔でセレナたちの方へと振り向いた。


「森を荒らしている犯人を探しているんだって。説得したら、協力しようってことになったんだ~」


「その術って……」


 セレナが問いかける。記憶では、見るのは初めてではなかったが、自分が襲われた後のことだ。


 今はイーコの隣りに並んでお座りしている狼を、本当に信頼できるのかと疑問に思った。


「そそ。私の呪文は、あくまで翻訳。契約自体は、強制力があるものではなくて、結んだ相手との意思の疎通を助けるだけのものだよ」

 つまり、あくまで対等な立場で、魔物と巨力関係を築いたということだろう。


「それ本当に大丈夫なの?」


「大丈夫だよ!誤解は解けたし」

 そうイーコが言うと、意味を理解したのか、マオオカミはセレナの方へと近づき、身体を擦り付けてきた。


「ひぇッ……」


 しかしセレナは引きずり回された恐怖によって、完全にマオオカミへのトラウマが生じていた。

 身体を硬直させ、顔を引きつらせて縮こまってしまった。


「そのうち慣れるさ」


 何かを察してそう言って慰めるように、スイトはセレナの肩に手を置いたのだった。

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