第3話
翌朝になった。
私は『絶対に履いてはならないパンティ』を通学カバンの中にこっそり忍ばせて、制服のスカートの下には普段履きのパンティを履いて高校に行ったのよ。
教室に入ると、結奈と美優が笑いながら私を見たの。私たちの席は近い。美優は私の隣の席、結奈はその美優の前の席だ。
私は二人に笑ってウンって
私たちはさっそく女子トイレに行ったの。そうして、3人がそれぞれ個室に入って『絶対に履いてはならないパンティ』に履き替えたのよ。
私はパンティを履き替えるときに、『自分が思ってもいない行動』が起こるんじゃないかって、とっても緊張したわ。でも、何も起こらなかった。個室を出ると、トイレの手洗いの前で結奈と美優が私を待っていてくれた。私が聞くと、2人ともパンティを履き替えても何も起こっていないらしいの。
やっぱり、昨日結奈が言ったように、パンティを履いたら『自分が思ってもいない行動』を取るって、嘘っぱちだったのかなあ。だけど、昨日の美優の説明では、『自分が思ってもいない行動』はいつ始まるか分からないのだ。まだまだ油断は禁物よねえ・・
実は、私たち3人が女子トイレに入る前に、美優が「結奈、杏。普段履きのパンティは制服のスカートのポケットに入れておきましょう。そうしたら、もし、誰かが『自分が思ってもいない行動』を始めても、あとの2人がすぐにパンティを履き替えさせることができるわよ」と言ったので、私は履き替えたパンティをハンカチのように丸めて、スカートのポケットにしまっておいたの。
そうこうしているうちに、今日の授業が始まったのよ。
1時限目は国語の現代文だ。
現代文の教師は
越後は教室に入ると、開口一番に教壇から言った。
「今日の授業は、芥川龍之介の小説『桃太郎』だ。これは、童話の『桃太郎』を元に、大正十三年に芥川によって書かれた実にウィットに富んだ小説なんだ。桃太郎が、悪い犬、猿、キジを従えて、善良な鬼が住む鬼ヶ島に略奪に行くというストーリーなんだが・・・」
へえ~。芥川龍之介が『桃太郎』という小説を書いていたなんて、ちっとも知らなかった。・・それに、何というストーリーなの。桃太郎が、悪い犬、猿、キジを従えて、善良な鬼が住む鬼ヶ島に略奪に行くなんて・・
そんな私の思いとは別に、越後が出席簿を見ながら言葉を続けた。
「では、教科書の78ページを開いて・・・誰かに読んでもらおう。・・・そうだな・・・では、津島・・・津島結奈。最初から読んでくれ」
結奈が教科書を持って立ち上がった。私も教科書を見た。教科書に書いてある、芥川龍之介の小説『桃太郎』の書き出しはこうだった。
『むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の
結奈の声が教室に響いた。
「ポン、ポン、ポン、ポン」
はあ~? 結奈、あなた、一体どこを読んでいるの? 先生は最初からって言ったでしょ。
結奈の声が続く。
「一つ、人の世の・・おなごのスカート、めくりまくって50年・・・」
えっ・・スカート? めくる?
私は驚いて、自分の席から結奈を見上げた。
驚いたのは私だけじゃなくて、教室の中にいる全員だ。教壇の越後は、あんぐりと口を開けて結奈を見つめている。教室にいる他の生徒たちもあっけに取られて結奈を注視している。
全員が注視する静寂の中で、結奈のゆっくりとした声がさらに教室に響き渡った。
「二つ、
結奈、あなた、一体何を言ってるの?・・・
結奈はここで首をまわして教室を一通り見わたすと、今度は越後に顔を向けて、ゆっくりと宣言するように言った。
「三つ、醜い浮き世の悪徳教師、現代文の越後を
教室中から大爆笑が起こった。手を叩いている男子生徒もいる。
私の隣の美優が私を見ながら、つぶやいた。
「これは・・・テレビの桃太郎侍の決め台詞じゃないの。テレビでは、キンキラキンの衣装を着た桃太郎侍が、『ポン、ポン、ポン、ポン』という
『 一つ、人の世生き血をすすり・・・二つ、不埒な悪行三昧・・・三つ、醜い浮き世の鬼を、
これって?・・」
でも、美優はそれ以上、話すことができなかった。
越後が真っ赤な顔をして、結奈の席に歩いてきたのだ。
すると、結奈がまた、ゆっくりした声を出した。今度は何かを含んでいるような低い声だ。上目遣いで越後を見ている。
「フフフ。越後屋。おぬしも悪よのう・・」
越後が頭の上から声を出した。
「え、えち、越後屋だってぇぇぇ・・」
美優の声が聞こえた。
「今度は悪代官と悪徳商人の廻船問屋、越後屋のやり取りよ・・」
越後が結奈の横に立った。私と美優の眼の前だ。越後の顔が真っ赤になって、怒りに震えている。
私は首をひねった。一体、どうしたの? 結奈?
すると、結奈がバレエを踊るように両手を上にあげて・・・その場で、クルクルと回転し始めたのだ。そして、回転しながら、結奈がまた言った。
「せ、先生。ひ、ひらに、ひらにご容赦をっ」
越後が眼を向いた。
「はあ~?」
すると、両手を上にあげて回転しながら、結奈が席を離れたのだ。そして、そのまま回転しながら、教壇の方に移動していく。結奈の声が続く。
「先生。お、おやめください、そんなぁ・・ごむたいなぁ」
越後が目を丸くしている。
「はあ~?」
美優がポツリと言った。
「これって・・・悪代官が町娘の帯をクルクルとまわす『帯回しのシーン』なのね・・」
『帯回しのシーン』ですって?
結奈が教壇の横に倒れ込んだ。教室の床に横座りする。何とも色っぽい格好だ。制服のスカートが大きくめくれ上がって、健康そうな太ももと・・・なんと、ピンクの大胆レース柄の『絶対に履いてはならないパンティ』までが丸見えになっている。
越後があわてて教壇に走り寄った。結奈が床に倒れたので、何か起こったと思ったのだろう。すると、結奈が床に横座りになったままで、左手で半身を起こし、右手の手のひらを口に持ってきて叫んだ。
「あ~れ~! お許しを~ 先生! お戯れを・・」
男子生徒たちは大爆笑だ。拍手をしながら、ピューピューと口笛を鳴らしている生徒もいる。一方、女子生徒たちは、私と美優を除いて、全員が非難の視線を越後に向けている。越後があわてて言った。
「いや、俺は何もしてないぞ。俺は何もしていないんだ。津島が勝手に・・」
越後は横座りの結奈の前に突っ立ったままだ。結奈の突然の帯回しに、越後も意表を突かれてしまったようで・・・怒りはどこかへ消し飛んでしまったようだ。越後がバツが悪そうに結奈に言った。
「もういい、津島。もう、やめなさい。・・・席に戻っていいから、授業中は静かにしていてくれ・・・」
すると、結奈が横座りのままで越後に向かって叫んだ。
「おとっつぁん! それは言わない約束よっ!」
越後の口から、絞った声が飛び出した。
「お、おとっつぁん!・・」
私の横から、また美優の声が聞こえた。
「時代劇の孝行娘が、病気のお父さんから『いつも済まないねぇ』ってお礼を言われたときのセリフよ」
今度は時代劇の孝行娘ですって?・・時代劇ばかりじゃないの? えっ?・・
私の頭に、昨日、美優が言った言葉が蘇った。
・・・このパンティを履いたら、『自分が思ってもいない行動』を取ってしまうんだってさ。この説明では、作ったこともない替え歌を歌ったり、見たこともない映画のセリフを口にしたり、知らないダンスを踊ったり、好きでもない人にキスしたり・・
これは、ひょっとして?・・
私は美優を見た。
美優が私に頷いて言った。
「杏。これって、きっと『絶対に履いてはならないパンティ』の『自分が思ってもいない行動』なのよ・・・結奈を助けましょう」
でも、私も美優も突然のことで、結奈を助けるタイミングが見つからない。私たちは呆然と結奈と越後を見つめた。
すると、再び結奈が大きな声を出した。今度は教室の天井を見上げている。
「天井に、大きな、大きなネズミが潜んでおるわぁ」
越後が教室の天井を見上げて言った。
「えっ? 天井に・・ネズミが?」
美優がつぶやく。
「きっと・・天井に敵の忍者が潜んでいるシーンよ」
結奈は突然、床から立ち上がると・・黒板に置いてあった、黒板消しをつかんで・・教室の天井に向かって投げつけた。再び、結奈が叫ぶ。
「者ども、曲者じゃああ。出あえ! 出あえ! 各々方、お出あいめされい!」
タップリとチョークの粉を吸った黒板消しが宙を飛んで・・・天井にボンと当たった。天井にチョークの粉がパッと舞った。そして、黒板消しがチョークの粉をまき散らしながら落下していって・・・口を開けて上を見ている越後の顔にバーンと音を立てて激突した。
再び、チョークが舞った。越後の顔がチョークの粉で見えなくなった。その瞬間、教室の中の全ての動きが止まった。一瞬だが、静寂が教室を支配した。
「杏。今よ。結奈を助けなきゃ」
美優が席から立ち上がって、私の手を引いた。私も立ち上がって、美優と一緒に教壇に走った。美優と私が越後の前に立った。
そのとき、チョークの粉が薄れて・・見えたのは、チョークの粉でパックした越後の顔だった。私はあまりの越後の顔に・・思わずお腹を抱えて、笑い出してしまった。
「ギャハハハハ・・」
美優が私に言った。
「杏。笑ってないで・・結奈を抱えて・・」
私が結奈を抱える。美優は越後に向かって、急いで言った。
「先生。結奈は・・今日はちょっと具合が悪いんです。私たちが保健室に連れて行きますから・・」
そして、美優と私は結奈を抱えて、教室を走り出た。越後が、チョークの粉でパックした顔で、あんぐりと口を開けて私たちを見送っている。
私たちが教室を出るとき、結奈が、教室の中で茫然としている越後とクラスメートたちに声を掛けた。
「皆の者、大儀であった・・・」
私の眼に、教室の前の方に座っていた数人の男子生徒が「ははあ~」と言って、机に平伏するのが見えた。
(次回に続く)
(著者註)芥川龍之介『桃太郎』は青空文庫より引用。
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