第5話 家族な他人と他人な家族とエピローグ
「で、料理長、うちを辞めたいというのは、俺には止める権利はない。でも、そうなると、ふーは、後を追いかけて、家出をするだろうな」
嘉承公爵家の食堂で、当代公爵の敦人様がぶすっとした顔で語り始めた。俺が、公爵家に戻って、速攻で退職願を出したからだ。ふー様は、俺の過去については何も聞かされていなかった。俺のために、大嘘をつかせてしまった。許されないことだ。
「それは、別にいいんだがな」
いいわけがないだろう、偏食公爵。七歳児に家出をさせるな。
「そうなると、ふーは、絶対に牧田を連れて行くだろうからな。牧田に逃げられると、うちは、あっさり滅ぶんだよ。1400年続いた公爵家の滅亡だぞ。どうしてくれるんだ」
「どうもならんな、敦人。こうなったら、俺もふーと牧田と家を出るとするか」
先代公爵が真顔で言うと、当代も「その手があったな」と頷いた。この親子は昔から変だと思っていたが、やっぱり、ものすごく変だった。ふー様のように、ちゃんとネギを食べないから、訳のわからない思考になるんだろう。
「あの、長人様と敦人様が家を出てどうされるんですか」
「牧田とふーと一緒に料理長のところに行くに決まってるだろう」
そんなドヤ顔で言われても困るんだが。ネギ、食えよ。
「いや、敦人様、俺の行き先は決まってないので、行くと決められても困ります」
「俺の方が、もっと困ってんだよ。親父と息子と家令と料理長に纏めて出て行かれて、一人でどうするんだよ」
それはその通りだ。何だか、ものすごく訳が分からない言い合いになっているが、公爵の言うことは、決して間違ってはいない。
「料理長、とりあえず行き先を決めるまでは、ここにいればいいじゃないですか。若様は、美食に関しては妥協するということを知りませんから、確実に、貴方の後を追って出て行くでしょう。その場合、私も一緒に行くことは決定事項ですから、そうなると、もれなく長人様も敦人様もついてくることになります。それなのに、行き先がないとなると、五人まとめて路頭を彷徨うことになりますからね。まだ小さい若様のためにも、雨露をしのぐという最低限のことは、きちんと考えて頂かないと」
牧田さんが、いつもの冷静な口調で言うので、つい、脊髄反射で「申し訳ありません」と謝罪してしまった。何で、皆で路頭に迷うんだよ。おかしいだろう、嘉承公爵家・・・とは、決して牧田さんの前では言えない。
「じゃ、そういうことで、先ずは行き先を決めてくれよな。はい、今日はこれまで。お疲れー」
強引に話を終えようとする公爵だったが、そうはいかない。
「待ってください。俺のせいで、ふー様が、将来、あんな男のいる家にお嫁に行きたくないと言われて破談になったらどうするんです。ふー様の未来に関わる大事な話なんですから」
「いつの心配をしてるんだ、料理長。ふーの嫁が、うちに来たくないなら、来ないでいいだろ。そんな嫁じゃ、どうせ頼子と揉めて、逃げ帰るのがオチだと思うぞ。まぁ、その前に姫が許さんだろうな」
「そうそう。あら、何か問題があるのかしらって、ものすごい笑顔で詰め寄られて、追い出されるな」
ぎゃははははと、いつものように先代と当代が大ウケしている横で、ふー様は、無言をつらぬいている。やっぱり、俺の過去の話は、ショックだったに違いない。
「まぁ、嫁云々の前に、痩せないとな、スナギツネ」
公爵がそう言ったところで、ようやく顔を上げたふー様は泣いていた。ほら、やっぱり、俺の話はふー様には、受け入れることができないくらい嫌な話だったんだ。
「ずなぎづねじゃないもん。うわあああああああんん、ごめんだだいーっ」
そう言うと、俺のところに飛びついてきた。若様は、涙が出ると、鼻水も大量に出て、何を言っているのか分からなくなるが、ごめんなさいと言ってくれたのは分かった。
ひとしきり、ぎゃんぎゃん泣いて、疲れ果てたのか、号泣がおさまってきたところで、牧田さんが、俺の腕の中から、ふー様を取り上げてしまった。今まであった温もりが急になくなったせいか、寒く感じる。寒いという感じは、寂しいという感じに似ているんだよな。そう言えば、そういうのは、この家に来てからというもの、感じたことがない。姉を亡くした時でさえ、俺の横には、公爵家の人達がいた。今さらながらに気がつき愕然とした。
「料理長、ごめんなさい。あんなところにまで私が引っ張って行っちゃったから、嫌な思いをしたよね。料理長は嫌だって言ったのに、私が我儘を通しちゃったから。本当にごめんなさい」
私が呆然としている前で、牧田さんに抱っこしてもらったふー様が必死で謝罪してくれた。そんなことを気にして、心配して口が利けなくなっていたのか。ああ、そうだ。うちの自慢の若様は、そうだよな。
「若様、もう寝る時間ですね。今日は、帝都に行って疲れたでしょう。ゆっくり休んでくださいね」
「でも、牧田、まだ寝る訳にはいかないよ」
「全く問題ありません。朝、起きたら、料理長がとびきり美味しい朝ごはんを作ってくれますからね」
「でも、料理長は出て行くって・・・」
「出て行ったところで、捕まえてくればいいだけです。世界の果てだろうが、どこに行っても私が見つけ出しますから、大丈夫ですよ」
そう言う牧田さんは、いつもの冷静な口調だが、何だか悪寒がする。牧田さんが若様に言うと、本当にやるからな。この人が捕まえると宣言すれば、地獄に逃げても、追いかけてくる気がする。逃げきるのは無理だ。
「いや、でも、俺は親殺しです。俺がそばにいると公爵家にどんな悪評が立つか。大恩ある迅人様の御子様、お孫様、曾孫様にご迷惑はかけられません」
「でも、宰相が正当防衛だって仰ったよ」
「でも、あの時は、本当に親父を殺してやると思って刺したんです。あの恐ろしい気持ちに飲みこまれて、俺はコントロールを失って、それで・・・」
私と、まだ涙目のふー様が言い合いになっていると、牧田さんがすっと俺の前に立った。
「料理長、そういう話は、死んでから、あの世の閻魔大魔王の前で述べてください。嘉承公爵家の悪評なんか、今に始まった話でもないでしょう。私の知る限り、いつも酷かったですよ。さぁ、もう若様は寝る時間です」
ふー様は、朝からの緊張と、大泣きしたことで、疲れ果てているのが明らかだ。瞼がかなり落ちてきているのを、必死で抗い目を開けようとしている。公爵の魔法で、一瞬の移動とはいえ、慣れない帝都で、あんな大勢の前で話をしたら、疲れて当たり前だ。それに、俺のせいで、酷いショックも与えてしまった。
「でも、牧田、料理長が・・・」
「ふー様、明日は、すごく美味しい朝ごはんを作りますから、楽しみにしていてくださいね」
思わず、そう声をかけた途端にふー様が、にっこりと笑って、牧田さんの腕の中で完全に寝落ちした。牧田さんは、一瞬だけ、とても優しい顔でふー様の寝顔を見ると、すっといつもの冷静で優秀な家令の顔つきに戻り、瑞祥家にある若様の寝室へと向かおうとした。
そして、ふいに足を止め、振り向きもせずに、独り言のようにおかしなことを言った。
「そうそう、地獄では、閻魔大魔王が怒ると、手下の鬼どもが忖度をして、この世に出て来て、馬鹿者に罰を与えるとか。鬼のような小物とはいえ、健気なところは、とても好感が持てます」
それを聞いた当代と先代の公爵が、「それを言うと、もう忖度じゃねーだろ」と、呆れたように仰った。
よく分からない幕引きになってしまったが、泣く子と地頭には勝てぬと言うことで、諦めてくれと当代に言われた。先代も、ここで決着できないと、大姫様がご登場になると言う。それは、全力で避けたいが、大姫様に説得されなくても、ふー様に泣かれては、絶対に出ていけない。こうなったら、腹を括って、更に腕を磨いて、ふー様の美食王への道を全力でサポートするしかない。俺も、隣の侯爵家の坊ちゃんの「魔皇帝を支える会」に入れてもらおう。
その数週間後のある日、稲荷屋の三男坊が、菓子の配達に来た時に、帝都の稲荷屋の店員が、ある出版社に勤めているという顧客から聞いた話をしてくれた。
「牧田さん、あの失礼な記者の週刊誌、廃刊になるそうですよ。何でも、松本っていう記者が、夜ごと、茶色い化け物の集団に追いかけられるという妄想に憑りつかれて、とうとう、おかしくなっちゃったらしいんです。それで、過去の取材なんかで見つけたネタで脅迫していた芸能人や政治家の名前と素行を、あろうことか、ライバル会社の週刊文秋に暴露したらしいんです。信じられます?文秋砲で、芸能界も政界もとんでもないカオスになるんじゃないかって。茶色い化け物って、狐じゃないかって、うちの店では騒いでましてね。あのプロジェクトは、お稲荷様のご意向があったから、罰があたったんですよ、きっと」
いや、その茶色い化け物ってのは、狐じゃなくて、今、そこで、やけに派手な団扇を振っている集団じゃないか。稲荷屋の倅には見えない絶妙な位置にいる茶色い連中の団扇には、全部、平仮名でメッセージが書かれてあった。
「ま」「お」「う」「さ」「ま」「ほ」「う」「しゅ」「う」「!」
「魔王様、報酬?」
俺が読むと、茶色い何かの集団は、嬉しそうに頷いて、稲荷屋の倅が振り返る前に消えてしまった。
「料理長、どうかされましたか」
「いや、何でもない」
嘉承公爵家は、世間では何と言われようと、いつも楽しくて居心地のいい家だ。そして、何より、俺の自慢の家族が住んでいる。
エピローグ
「まったく、茶色いというだけで妖狐一族に疑いがかかるのは、何とも迷惑な話ですねぇ。第一、ここらの妖狐に茶色はいないというのに」
「婉曲的には、お前の弟子を守ったわけだから、そんなに、ぷりぷりしなくてもいいだろう」
「ふふっ。まぁ、それは、そうなんですけどねぇ。あ、橙の子が持ってきたお酒、もうちょっと頂けます?」
西国の、とても評判の良い公爵家と、とても評判の悪い公爵家が統べる都では、大きなお社で、不思議な
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