第4話 ある料理人のつぶやきと、ある悪意

 松本の言葉に、後頭部を鈍器で殴られたような気分になった。心臓が早鐘を打ち、手が震えてくる。勘弁してくれ。俺のしでしかしたことは、ふー様とも公爵家とも何の関係もないことだ。俺の昏い過去に、ふー様を巻き込まないでくれ。


 宰相と稲荷屋の息子二人が抗議をしようとしたように見えたが、三人とも、魚のように口をぱくぱくとさせただけだった。牧田さんが何かをしたのだと思う。あの人は、ふー様の思うところを汲んで何でもするからな。隣のふー様は、笑顔のままだったが、目が笑っていなかった。あれは、怒ると笑う瑞祥の習性だ。


「松本さん、ご質問ありがとうございます。帝国の食育と、そのやり方云々という件については、宰相閣下にお答えいただくとして、私からは、松本さんが私の大事な家族を、親殺しという恐ろしい名で呼んで、彼の名誉を著しく棄損したことについて、思うところを述べさせてください」


 ふー様の後ろで牧田さんが、くふりと笑ったのが分かった。何か楽しいことがある時の、牧田さんのいつもの笑い方だ。


「まず、料理長の我が家での雇用は、私の曾祖父である嘉承迅人はやとが決めました。その後、祖父・長人、父・敦人へと代替わりがあり、都度、家人の契約を顧問弁護士を代々勤める瑞祥家と確認をしています。私の実父と養父である叔父が決めたことを、どうこう言えるほどには、私は人生経験を積んでいるわけではないので、私は二人の父の判断を信じるだけです」


 まさか、七年しか生きていない少年に、こうも堂々とした返答が出来るとは思わなかったんだろう。会場にいた全員は、瞠目したり、ほぅと息を漏らし感嘆していた。そんな周りの様子に、絶望で、ぐるぐると渦を巻いていた俺の思考に、ほんのりと温かいものが流れて来たように感じた。そうだ、うちのふー様は、とても賢くて、優しくて、最高に気高い真の公卿だ。そこらの七歳児と一緒にするなよ。


 ちらりと、隣のふー様に視線をやると、完全に目が据わっていた。その隣にいる官僚の皆さんは、顔色を悪くしていたが、宰相は、ちょっと楽しそうな顔つきだった。牧田さんが、この状況を楽しんでいるのは、見なくても分かる。あの人にとっては、どんな時だって「自慢の若様」だからな。俺も同じだ。もう許されないかもしれないが、俺にとっても、ふー様は、いつも自慢の孫のような存在だった。


「親殺しと仰いましたが、曙光帝国では尊属殺人は、無期懲役か、死刑でしょう。少年法が適用される年齢だったとしても、普通は、出て来れません。恩赦も適用されませんしね。それなのに、うちの料理長は、中学生の頃に曾祖父に引き取られ、卒業してからは、先代の料理長について修行を始めています。つまり、殺人は犯してはいないということです」


 ふー様の説明に、皆が納得したような素振りを見せ始めると、松本が、口元を歪めて反論した。


「そんなのは、公爵家の力を使ったからだろう」

「だろう、ということは、貴方の推察の域を出ない話ですね。松本さん、私は、まだ子供ですから、判断できないと申しました。私が尊敬する祖父と二人の父が判断したこと、これが私には全てです。それに、仮に我が家の料理長が何かの事件に巻き込まれていたとしても、すでに司法による判決はついているわけですよね。それについて異議があるのでしたら、七歳の子供に絡むよりも、こちらにおられる法務省のお役人方に申し立てる方がよっぽど有益ではないですか」


 ふー様の言葉に、法務省の官僚の一人が頷いた。


「もちろん、伺いますよ。ただし、曙光帝国憲法では、一事不再理が定められていますので、告訴はできませんがね」

「一事不再理って何ですか」


 ふー様が、こてんと頭を傾げて尋ねると、実直そうな顔をした役人が説明を始めた。


「何人も、既に発効した裁判所の判決を科された行いによって、再び立件され、捜査され、公訴され、 公判に付されることはないものとすると、我が国の憲法にありましてね。簡単に申し上げると、判決が確定したとき、同一事件については再度審理を許さない、つまり、二度と刑事上の責任を問うことはできないという意味です」


 簡単に申し上げると、と言いながら、まだ難しい内容だったが、賢い若様は理解できたようで、役人に向かって首肯していた。


「なるほど。ありがとうございます。そういうことでしたら、問題はないですよね。松本さん、これは私の祖父の長人の言葉なんですが、あの世におわす閻魔大魔王でさえ、私達が死ぬまで、裁きを待って下さっているんです。人の世の裁判官でさえない我々が、他の人のことを勝手に決めつけて、あれやことれやと誹謗を並べると、身のほどを弁えずに、閻魔様をないがしろにしていることになりますから、この世での罪が重くなるそうなんです」


「そうかい。でも、俺がやってることは、誹謗じゃなくて、批判って言うんだよ、若様。国民に報せて、それをどう受け止めるかは読者しだい。この国家プロジェクトは、殺人犯が、俺らの血税を使って、贅沢な料理を作って、子供達に食わせるという貴族の子供の趣味の悪い遊びだ。何も知らせずに、貴族や役人どもが、いいようにやってるのは、それこそ閻魔様に怒られることなんじゃないか」


 松本のふー様を完全に小馬鹿にしたような物言いと態度に、こちら側の人間だけでなく、記者の中にも憤慨している様子の者たちもいたが、ほとんどは、野次馬的好奇心を隠そうともせずに、俺達の方を見ている。嫌な連中だ。


「貴方の態度や言動を、誹謗か批判か、私が決めつけることはできませんよ。それは、閻魔様がお決めになることですから。でも、松本さん、ご存知でした?閻魔様ご自身は、寛大な方なので、裁きは待って下さるんですが、手下の鬼たちが、閻魔様のお怒りを感じると、地獄から現れることがあるそうなんです」


 そこで、ふー様が、にやりと笑った。牧田さんもよくやる悪い顔だ。


「ああ、なるほど。忖度というわけですね。あの世もこの世も、王に仕える者は大変ですからねぇ」


 宰相まで悪い顔で、にやりとすると、官僚たちが自嘲気味に笑った。


「さて、次はワタクシの番ですか。政府のいう食育というものがどういうことかという質問ですね。これに関しては、ずばり、曙光帝国の未来を支える、まっとうな大人になって頂くために、子供達が心身ともに健康に成長していくための支援を目的としたプロジェクトですよ。子供達には、初対面の相手には挨拶をする、きちんとした所作と言葉使いを学ぶ、人前に出る時は、不快感を与えないように清潔に身なりを整える、ルールを無視しない、そう言った当たり前のことが出来るようにはなってもらいたいですね」


 宰相の分かりやすい嫌味に、今度は官僚たちだけでなく、会場全体に失笑が広がった。それに、記者の松本が、血色の悪い肌色を、怒りで更に黒くして立ち上がった。あれは、肝臓だな。酒で悪くしたんだろう。


「何なんだ、お前ら。殺人犯をかばうのか。国民を馬鹿にするのもいい加減にしろよ。どこのまともな親が、自分の父親を殺した男が作った料理を可愛い子供に食べさせたいと思うんだよ」


 松本の怒号に、警備員が松本の側に寄ろうとしたが、宰相がすっと片手を上げて制止した。


「あなたね、プロを名乗るなら、もう少しきちんとした調査をしてから発言をしなさい。同じ記者を名乗る他の皆さんたちに失礼ですよ。正確には、正当防衛です」


 そこで、宰相が、はぁと大きな溜息をついた。


「個人情報ですから、本来は控えるべきことです。貴方の発言を、ここにいる記者さんたちに事実を知らないままに書き立てられては困りますからね。皆さん、これを公表するのは、この個人情報の部分についてどう取り上げるか、皆さんの記者としての品位と矜持を信じて、ということですからね。ご本人と嘉承公爵家の名誉のために申し上げると、料理長殿ほど、このプロジェクトの総監修に適した方はいないのですよ。不遇な幼少、少年期を過ごされ、その後、お酒と薬の乱用で精神錯乱を起こした父親から、ご自分と姉君を守ろうとし、不幸な事故が起きたのです。実際、お父上を刺した後、直ぐに救急車を呼んでいます。お父上が亡くなったのは、息子に刺されたからではなく、酒と薬の禁断症状に耐え切れずに、入院していた病院の屋上から、飛び降り自殺をしたからです」


 違う、宰相、違うんだ。美談にしないでくれ。俺が親父を殺したというの本当のことだ。


「実の子に刺されるほどに憎まれた男が、どういった類の父親だったかは、明白でしょう。ロクなもんじゃありませんよ。ああ、これは、大変な失礼を」


 そう言って、宰相が俺の方を向いて、軽く頭を下げてくれた。


「皆さん、ワタクシは、あくまで、陛下の御代をお支えする政治家であって、聖人ではないのですよ。ですから、そんな目に合わせた子供達を置いて、自分の苦しみから逃れようとして死んだ、どこまでも身勝手な人間には同情の気持ちは湧かないのです。中学一年生の少年が、そんな十字架を背負い、トラウマを抱えた姉を守ろうと、必死で、生きてきたんですよ。今では、皇帝陛下が召し抱えたいと、ご希望になるほどの腕を持つ、帝国一の料理人ですからね。そんな方に、我が祖国の未来を担う子供達の食育の監修をお任せしたことに、ワタクシは何のためらいもないどころか、自分のあまりのグッドジョブぶりに感動さえ覚えましたが、何か?」


 そこで、宰相が銀縁眼鏡をくいっと上げると、司会の浩子さんと、宰相の子飼いと思われる官僚たちが、もの凄い勢いで拍手をした。それにつられて、会場にいた記者たちも拍手をして、そのままの勢いで閉会となった。


 帰りの車の中で、ふー様は一言も口を利かなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る