第3話 不比人

 長いオペを終えて家に帰ると、父様から、俺の息子が生まれたので見に行こうと言われた。そうか。生まれたか。息子が無事に生まれたのは、まぁ嬉しいが、本当は姫が良かったな。でも、うちに生まれてくる姫は、ここ数百年遡っても、野生のサブ子みたいなのばかりらしく、やっぱり息子でよかったのかもしれない。あんなバイオハザードは一人で十分だ。


 妻の佳子は、妊娠したと分かるやいなや、南都の実家に帰って、そのまま引き籠ってしまったので、息子は、この1200年の間で初めての南都生まれの嘉承家の子供になる。


 妻のいる南都の病院の入口の前に、父様と【転移】すると、満面の笑みの彰人と牧田の二人が待っていた。妻が妊娠すると、誰よりも、そして妻本人よりも先に気がついたのが牧田で、それ以来、珍しくお腹の中の子の成長に関心を示していて、時々、南都の妻のところに行っては、遠巻きに様子を見てくれていた。


 そんな牧田のいつもと違う様子を見て、ロクでもない噂を流す者もいたらしいが、ことごとく謎の集団の粛清にあい、気がつくと誰も何も言わなくなっていた。粛清にあった家の門柱や扉には、必ず牡丹の透かしの入った紙で、緋文字で「天誅」と書かれたものが貼られていた。緋文字の色が、火を現していると気づく者は多く、粛清された本人は、ほぼ首まで土に埋められて発見されたため、間違いなく「あの会」が裏にいると思われたが、それを口にする勇気と根性を持ち合わせた者は、西都のみならず、帝国内には一人もいなかった。


 俺自身は、牧田が、嘉承の跡継ぎに興味を示しているのは僥倖以外の何物でもないと思っている。瑞祥はともかく、嘉承は、1400年くらい牧田一人に全て面倒をみてもらっているので、今更、見捨てられると三日も待たずに立ち行かなくなるのが目に見えているからな。とりあえず、順当にいけば、嘉承はとりあえず、向こう80年くらいは安泰だ。後は知らん。


「おめでとうございます。とうとう生まれましたね」


 牧田が、感情を表に出すのは珍しい。俺より喜んでいないか。


「おう。ありがとな。もう見たのか」

「まさか。私は病院には入れませんよ。でも、遠くからでも、あの魔力は分かりますから」


 牧田は鼻が利きすぎて、薬品の匂いが漂う病院を極端に嫌う。俺も四人の側近も、昔はよく遊んでもらえたが、西都大学に入学して研究や研修を始めると、微妙な距離を置かれた。そんな牧田の態度に、享護の落ち込みが特に激しかった。


「にいさまーっ!」


 遠目にも浮足立っているのが分かる彰人は、すでに扉のところで、私に向かって、ぶんぶんと手を振っている。あいつも、妻の妊娠が分かるや否や、誰よりも張り切って、子供部屋や新生児用品を用意したりしていた。彰人の様子に苦笑している父様と、病院内に入る。新生児室につくと、彰人が、ぺたりと窓ガラスに張り付いた。


 俺には、父性がないので、新生児室に並んだ赤ん坊を見ても感動はないが、彰人は、さすがにあの祖父の血を色濃く受け継いだだけあって、「かわいーっ!」を連呼している。


 新生児どもが可愛いわけがないだろう。あいつらは、赤くて、ふやけていて、むにょむにょ動く芋虫だ。どこらへんが可愛いのか、祖父が亡くなって数年経つ今でも謎だ。まだ、蟻の行列の方が、律儀で働き者な感じがして好感が持てるくらいだ。


 例によって、ナースが、どう見ても大きな蚕の繭にしか見えない、おくるみを持ってやってきた。あの中には、新たなバイオハザードが入っている気しかしない。


「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」


 元気と言えば、聞こえがいいが、サブ子のようなリーサルウェポンの可能性がある。彰人は顔を輝かして抱きたそうにしているが、俺に遠慮しているのか手をわきわきさせているだけで、抱き上げようとしないので、俺が蚕をナースからもらった。


 蚕が私の腕の中に渡されたとたん、「ああ、そういうことか」と、ずっと気になっていたことが、すとんと腑に落ちた。


「父様、このチビ、魔力が四つありますよ」

「ちょっと抱かせろ」


 父様に蚕を渡すと、隣で彰人が少しだけがっかりした顔をした。


「おお、四属性って、本当に生まれてくるもんなんだな」


 父様が丁寧に、腕の中の蚕の魔力を視ているのが分かった。父様も確認したということは、蚕のチビに四つの魔力があるのは間違いない。普段の牧田の行動からは考えられない執着にも、これで納得がいく。


「父様、私も。私も抱かせてください」


 彰人が、父様の周りをウロウロし始めた。


「彰も、念のため確認をしてくれるか」


 彰人が父様の腕からそそくさと蚕を抱き上げると、「あれっ」と声を上げた。


「ああ、四属性ってこんな感じになるんだ」


 まじまじと、おくるみの中を覗き込んだ彰人に、「ふにっ」と蚕が声を上げた。


「うぐっ!」


 瞬間、彰人が壊れた。すごいな四属性。あんな珍妙な声の一撃で、嘉承と並ぶ魔力を有する瑞祥家の当代が玉砕したぞ。


「兄様、この子、本当に可愛いね。こんな可愛い子、見たことがないよ」

「そうか。それならお前にやるから、成人するまで瑞祥で養育しておいてくれ」

「えっ、いいの?本当にもらって帰っちゃうよ。本当にいいの?」


 遠慮しているようなことを言いながらも、すでに彰人の腕はがっつりとチビを抱え込んでいる。


「いいも何も、嘉承の直系は瑞祥で育てるのが伝統だからな。頼むわ」

「伝統ではあるが、絶対というわけでもないぞ。母親の佳子ちゃんの気持ちが優先だ」


 父様の言葉に、彰人が露骨に項垂れた。心配しなくとも、佳子は絶対に彰人にチビを渡す。


「彰人、一応、佳子に訊いとくか」

「うん、そうする。でも、出産直後で佳子ちゃん、お疲れなのに、赤ちゃんの養育がどうこう言うべきじゃないよね」

「いや、全く問題ないと思うぞ」


 俺達の会話に、ナースが目を泳がせていたが、賢明にも何も口を挟まなかった。


「息子は、今日、西都に連れて帰るから」


 俺達が西都の嘉承病院から来ているのを知っているナースは、「では、退院手続きを」とだけ言った。


「彰、俺、手続きしてくるから、お前、佳子に確認して来い」

「ダメだよ。兄様も行かないと。僕だけだと、佳子ちゃんも遠慮して言いたいことが言えなくなるかもしれないし」


 そう言いながらも、彰人の両手は正直で、がっつりと蚕を抱え込んでいる。さっきから、彰人の一人称は、私から僕になっていて、言葉使いも、代替わり前のような甘えた話し方だ。彰人がこうなるのは、気が動転している時で、最近では珍しい。


「父様も、証人として一緒に来てください」

「何で証人がいるんだ」

「でないと、僕が誘拐犯になるじゃないですか」

「瑞祥の家で嘉承の子が発見されても、世間は納得しかせんよ」


 ま、そういうことだな。嘉承の子がカッコウのヒナのように、実の親に養育されないことを知らない公家は、この帝国にはいない。佳子が俺に近づいた理由もそれだ。


 病室に向かう廊下を歩く彰人は、本当に嬉しそうで、チビを抱いていなければ、絶対にスキップをしている。あの野生のサブ子でも本気で可愛いと思っているくらいだから、蚕にも愛情を注いで育ててくれるのは間違いがない。四属性という変わり種の子供でも、西都の公卿の間で秘密裏に第三類危険物認定を受けている頼子よりは育てやすいだろう。第三類といえば、自然発火して燃えるヤバいやつだったか。誰が言い始めたか知らないが、上手いことを言うよな。


 病室をノックすると、佳子の実母がドアを開けてくれた。部屋には実父と、佳子の兄の二人もいた。佳子は大姫ながら、末っ子ということもあり、いまだに、南都の実家で溺愛され、のびのびと暮らしている。西都に来る気は微塵もない。


「嘉承公爵閣下、嘉承の君、この度はおめでとうございます」


 佳子の両親と兄たちが、頭を深々と下げてくれた、南都の貴族や、旧家というのは、よく言うと大らか、そのままで言うと、ちょっと変わった家が多い。文福の茶釜家もそうだ。あの頼子を嫁にとか考える辺りで、もう十分おかしい。佳子の家も、かなりそのきらいがあって、遡れば、某の権中納言の記した虫を愛でる姫の家になる。つまり、蟻の行列なんかを本気で可愛いと思う変わり者の集まりの家だ。


 そのせいか、ハンザキが大好きな佳子は、お母さまにも気に入られている。お母さまの場合は、血筋がやんごとない方だけに、多少、ご趣味が我々の理解の範疇を越える・・・と理解しておけと父様に言われている。


「佳子、ありがとうな」


 とりあえず声をかけると、佳子が頷いた。


「こちらこそ有難うございます。それで、今日から瑞祥公爵家で引き取って頂けるんですか」


 ほらな。彰人が心配しなくても、チビが瑞祥に行くことは決定事項なんだよ。


「え、いいの?佳子ちゃんがいいなら、瑞祥で、養育する準備は出来ているけど」

「閣下、私、ネーベル医学賞を目指している研究がありますので、育児は全面的にお願いしたいんです。敦人様には、その条件で結婚をお願いしました」


 佳子の告白に、彰人以外は誰も驚かなかった。佳子がネーベル賞を狙っているのは、西都大学医学部では知られた話だからな。彰人は法学部にいたから、噂は知らなかったか。


「本当にそれでいいんなら、もう今日から引き取っちゃうよ」


 佳子の事情を知らなかった彰人は、驚きながらも、もう一度佳子に念押しをして、佳子の家族の方にも確認をした。喜んで、さっさとチビを連れて帰るかと思ったが、さすがは、腐っても弁護士だな。


「それなら、本当に、瑞祥の家に引き取らせてもらうね。でも、私はこの子の親権は持たないよ。母親は、佳子ちゃんだからね。あくまでも、古の約束に則って、瑞祥は嘉承の子を守るだけだから」

「はい。よろしくお願いします」


 佳子が頭を下げた。


「そう。それなら、瑞祥で大事に育てるから、何も心配しなくていいよ」


 彰人、お前、佳子には神妙な口ぶりだが、全く説得力がないぞ。彰人は、誰が来ても絶対に離さないとばかりに、がっつりと蚕を抱え込んで、靴先は、さっきから病室のドアに向いている。普段の、都の様式美を体現していると言われる彰人からは想像できないダメ公卿ぶりだ。


「あの、お帰りになる前に、敦人様がお決めになった名前を聞かせてもらっていいですか」


 しまった、名前だ。名前がいるじゃないか。いくら何でも蚕とか芋虫とか呼び続けるわけにもいかないよな。


「それは、そうだね。兄様、この子の名前は何にするの?」


 まずい。全然考えていなかった・・・とはこの流れでは言いにくい。四つの魔力を持つチビの名前か。


「名前は、嘉承、ふひとだな」

「「不比等!?」」


 1400年、固く守られてきた沈黙の律を打ち破るその名前は、俺達の始祖の名前だ。四つの強大な魔力を持ち、千の妖を自分の手足のごとく自在に操ったと言われる、曙光帝国史上、最大の魔力量と、最高の制御を誇った至高の存在。


「閣下、嘉承の君、それは、小さな嘉承の君には重すぎるお名前ではないですか」


 佳子の父がやんわりと抗議をすると、母と兄二人も首肯した。今の帝国貴族の中には、始祖を神のように崇める者も少なくないから、もっともな心配ではある。


「いや、この子には、相応しい名前だ。いい名前を選んだな、敦人」


 父様が力強く肯定してくれたのを聞くと、確かに、あの魔力を持ったチビには、一番相応しい名前のような気がしてきた。


「不比人にします。俺達と同じように、最後は人の字を当てます」

「でも、閣下、嘉承の君、字が違っても、始祖様の狂信者達に何と思われるか。嘉承の若君が危ない目にあうような気がします」


 佳子の母も不安そうな顔をした。


「御心配には及びません。不比人は、瑞祥が全力で守り切ります」


 彰人が腹を括った。瑞祥の鉄壁の守りを破れる魔力を持った者は嘉承の直系くらいだ。それに、あの様子だと牧田も守ってくれるだろうしな。彰人と牧田に守らせて、馬鹿どもは、俺と父様が、焼くか刻むか弾き飛ばすかすれば、さすがにどんな馬鹿でも学習するだろう。その前に頼子達が何かしてくれそうだしな。


「じゃあ、僕たちは、もう失礼するね」


 さっさと帰ろうとする彰人に向かって、佳子がすがるように言った。


「あの、彰人様、これは私の我儘です」

「そうだね」

「でも、あの、もしも可能なら、敦人様の子供に嫌われたくありません」

「うん。分かった」


 何を分かったというのか、そのまま彰人は、ぷいっと顔を背けると、蚕を抱えて、挨拶もせずに出て行ってしまった。どうした、彰人。全くいつものお前らしくない態度だぞ。その後、微妙な雰囲気になった病室で、佳子と佳子の家族に、父様と挨拶をして、不比人の退院手続きを済ませて病院を出た。てっきり、彰人と牧田が待っていてくれていると思ったら、二人とも何処にもいなかった。念のため【遠見】を飛ばして気配を探ったが、二人ともとっくに南都を発ったようだ。逃げ足が早すぎるだろ、お前ら。


「牧田が、彰人と不比人を連れて帰ったな」


 父様が呆れたようにつぶやいた。


 その日、伝説の銀狼が、何の前触れもなく、嘉瑞山に現れたという。銀狼の背には、赤子を抱えた瑞祥彰人。銀狼の後ろには、数多あまたの妖が続いて、それぞれの目に明らかな憧憬を浮かべて、彰人の腕の中にある赤子を見ていたそうだ。


 そして、四つの魔力を持って生まれて来た俺の子は、嘉承不比人になった。

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