第4話 不比人と白狐の南蛮渡来のお菓子

「いなりやしゃん、ごきげんよう」

「違いますよ。ふー様は、悪い代官なのですから、私を呼び捨てにして、稲荷屋、よく参ったのぅ、って言ってください」

「いなりや、よくまいったのぅ?」

「これは、これは、御代官様、いつもありがとうございます。こちらは、私どもより、些少ではありますが、ほんの気持ちの品でございます。どうぞ、御納めくださいませ」

「あっ、おかしだ、わーい、ありがとう」

「ふー様、わーいではなくて、ここは、お菓子箱の蓋を開けて、お菓子の下を見るふりをしてくださいね。はい、じゃあ、最初から、もう一度やってみましょう」

「はーい!」


 幼児特有の高い声が聞こえた。息子の不比人だ。今日は、来月の法要の打ち合わせに弟の彰人と一緒に喜代水寺に来ている。弟は、不比人が生まれてから、不比人をいつも側において離そうとしないので、喜代水に連れて来たが、まだ三歳の子供は、じっとしておれず、すぐに庭に逃げ出してしまった。


 喜代水は、我が家のある嘉瑞山よりも、少し高いくらいの山の中腹にある。緩やかに続く長い参道は、車で来るには細すぎて、歩くしか手立てがない。俺の【転移】は、聖域内では自重するという古の約定に引っかかっているしな。全く面倒くさい話だ。


 彰人が山門をくぐる前に作った中型犬ほどの大きさのポニーに乗って、機嫌良く足をぶらぶらさせている不比人には、数千の視線が注がれていたが、本人は全く気にしていなかった。あいつは、鈍いのか、大物なのか。


 人間の参拝者は、俺や彰人が通り過ぎるまで頭を下げるので、視線は全く気にならないが、不比人に向けられるそれは、人ではなく、人外のものだ。とは言え、ここで、不比人に寄って来る妖の中には悪さをするやつは皆無だ。不比人にガチガチの加護を付与しているのが誰なのか、喜代水の連中は、理解しているからな。妖力も魔力も視えないやつが多い街の中で歩かせるよりも安心なので、ここでは、彰人も不比人を自由にさせていた。


「ふー、そこにいるのか」

「あ、とうしゃまだ。ここでしゅよー」


 声のする方に茂みをかき分けて進んでいると、ざざっと物音がしたのは、妖が逃げていったからだろう。あいつらは、俺達の前には現れない。特に俺の魔力は小物には害にしかならないらしいからな。


 不比人がいたのは、木々の間にぽっかりと開いた空間だった。嬉しそうに手をぶんぶん振っている不比人の前に、白い大きな尻尾の狐が座っていた。俺が近づいても、怯える様子もないということは、なかなかの高位の妖か。


「ふー様、お父様が来られたので、もう大丈夫ですね。私は、そろそろ失礼しますよ」


 俺が来るまで、ちゃんと子守をしてくれていたのか。間違いなく高位だ。高位の妖は、気に入った者をとにかく可愛がるからな。まぁ、奴らの可愛がりかたは、必ずしも人間に有難いとは限らないが。


「ええっ、帰っちゃうの?」

「残念ですけどねぇ、いいところだったのに。でも、次に会うまでに、ちゃんと練習しておいて下さいね」

「はぁい」


 狐と不比人の間に、土人形が転がっていたので、土の魔力の練習をしていたのか。まぁ、魔力の練習は奨励ものだが、教わる相手が妖狐でいいのかよ。


 不比人は、弟の彰人を筆頭に瑞祥家で溺愛されて育っているせいか、嘉承の火と風の魔力の発達が、水と土に比べると遅い。今のところ、彰人の妻で、三条の二の姫の董子の影響で、水を得意にしているだけに、その両極にある火の家々から懸念が上がっているほどだ。


 風は、良くも悪くも枠に縛られない連中が多いせいか、水の使い手が嘉承の当主になることを面白がっている節があるが、火は直情的なやつが多いからな。


「狐、息子の面倒をみてくれて、ありがとな」

「いえいえ、楽しかったですよ」


 とりあえず、礼を言うと、白い狐は、くふりと笑った。妖がこういう風に笑う時は、要注意なんだよな。うちにも、こういう笑いをして、しれっとした顔でとんでもないことを要求してくるのがいるからな。


 身構えていると、白い狐が二本足で立ち上がって、ふーに、今まで遊んでいた人形三体と菓子折のようなものを渡した。


「ふー様、これを全部差し上げますから、頑張ってくださいね」

「うん、ありがと」


 ふーが、頭をぺこりと下げて御礼を言うと、白狐はまた、くふりと笑って、ふーの頭を撫でた。


「じゃあ、魔王様、私たちはこれで」


 そう言うと、狐の姿が消えた。誰が魔王だ、誰が。


「ふー、狐の他にも何かいたのか」

「うん、もふっとしたのが、いっぱいいたけど、みんな、どっか行っちゃった」


 ああ、俺が来る前に逃げ出した連中か。小物なら、別に心配することもないか。


「そっか。皆、家に帰ったんだろ。俺らも帰るぞ」


 不比人と二人で、彰人と義理の弟の文福の待つ本堂に戻り、そしてまた、ふーは山門まで、彰人のポニーに揺られて、来た道を戻った。行きと違うのは、ふーが嬉しそうに背負っている風呂敷包だ。念のため、彰人に確認してもらったが、喜代水の土で作られた人形で、悪い影響が出るようなものではないらしい。土に特化した魔力で作られたものではないので、数日しか持たないような代物だが、ふーが、やけに気に入っているので持って帰ることにした。


「練習しないといけないから」


 というのが、ふーの説明だったが、土の魔力なら、一から成形しないと練習にならないんじゃないか。機嫌良さげに、足をぶらぶらさせて前を行く不比人の後ろを歩きながら、彰人に訊くと、そうでもないらしい。


「制御の練習のことでしょう。私たちは、土人形を駒にしてチェスをするので。駒を動かすのに細かな制御の練習をするんです。それを妖に奨励されるのが、何というか、ふーちゃんらしいですね」


 彰人が笑っているので、心配はないようだ。彰人は、帝国で一番の土の魔力持ちだから、間違いはないはずだ。


 そして、家に帰ると、玄関で迎えてくれた家令の牧田が、あからさまに、不機嫌な顔で俺を睨んだ。何で俺が睨まれるんだよ。何もしてねぇだろうが。


「若様、夕飯の前に、お風呂に入って下さいね。ええ、もちろん、旦那様も」


 ふーには、良い笑顔で、俺を見る視線には殺気を込めて牧田が言い切った。何で、そんなに器用なんだよ。


「はーい」


 不比人の良いところは、逆らってはいけない対象を、本能的に理解しているところだな。生存本能は、この家で暮らすには一番重要な能力だ。


「旦那様、若様の御髪おぐしをちゃんと洗って下さいね。ものすごく嫌な匂いがします」


 あれか。別れ際に、狐がちょっと撫でただけなのに、大袈裟だよな。


「何か?」

「さーて、ふー、お風呂に入ろうなー」


 風呂敷包みを素早く彰人に押し付け、俺は、急いで不比人を小脇に抱えて、風呂に直行した。この家で暮らしてきた俺も、生存本能は間違いなく高い。



 その日の夕飯には、いつものように、嘉承の四侯爵家の当代と先代もちゃっかりと席についていた。今日も料理長の天才的な食事を堪能して、皆でお茶を飲んでいると、お母様が不比人に話しかけた。


「ふーちゃん、今日は、喜代水に行ったそうね。貴方は、本当に喜代水に行くのが好きね」

「はい、おばあしゃま。おともだちがいっぱいいて、あしょんでくれます」

「あら、お友達が遊んで下さるの?」


 お母様が、小首をエレガントに傾げた。


「ふーが行くと、いつも妖が集まってくるんですよ」

「その辺も、始祖様と同じなのね。魔力の関係かしら」


 不比人は、帝国で二番目に生まれた四つの魔力持ちだ。二人しかいないうえに、もう一人がいたのは1400年前なので、いまだに四つの魔力が、どう発達していくのかよく分かっていない。完全四属性とは言うものの、実際のところ、ふーの魔力の発達度合いは、四つの中で偏りがあるので、嘉承の嫡男である以上は、近い将来、火と風も特訓する必要がある。そんな話をしていると、不比人が思い出したように言った。


「おとうしゃま、お人形かえして。れんしゅうしなくちゃ」

「ああ、あの風呂敷包ね。ちょっと待っててね」


 彰人が、預かった風呂敷包を取りに行っている間に、皆に、ふーが、高位と思われる妖狐と土魔法の練習をしていたことを説明した。


「妖と土魔法の練習?聞いたこともないぞ。あいつらには魔力はないだろう」


 父様の疑問ももっともだが、実際、土の人形で遊んでいたのは事実だ。ふーに練習しろとも言っていた。


「高位なら、ちょっと気になる話だよねぇ」

「何か呪いが入っているんじゃないの」

「それはないだろ。高位は、自分が気に入った者は可愛がるそうだし」

「それが問題なんだって」


 先代侯爵たちの懸念は分かるが、彰人にちゃんと視てもらったし、本当に悪いものなら、妖力に誰よりも反応する牧田が、とうに何か言っているはずだしな。


 敦人が包を抱えて戻ってくると、お母様が興味深げに包の中を覗き込まれた。


「まぁ、ちゃんと綺麗なお着物も着せてもらっているのね。ふーちゃん、この子たちとどうやって遊んでいたか教えてくださる?」

「はーい」


 ふーが取り出した人形は、お母様が感動されるほどの完成度の犬と狸と猫だった。謎の菓子折もある。あれは、中によく出来たお菓子のおもちゃが入っていた。わざわざ稲荷屋と書かれた熨斗までついている始末だ。あの狐は、彰人なみに凝り性なのかもしれない。


 ふーが、魔力を練ると、犬と狸が動き出し、先ず、犬がふーの声で喋った。


「いなりや、よくまいったのぅ」

「これは、これは、おだいかんしゃま、いつもありがとうございます。こちらは、わたくしどもより、さちょーではありますが、ほんのきもちでございます。どうぞ、おおしゃめくださいましぇ」


 げっ。何の芝居を狐に習って来たんだ。それに、狸、お前が何で稲荷屋なんだよ。稲荷は、古今東西、狐じゃないのか。


 犬が、菓子折の蓋を開けて、中の菓子を少し持ち上げた。


「ほぅ。こがねいろのまんじゅうか。いなりや。おぬしはわるよのぅ」


 ・・・絶対にこのパターンになると思った。


 ふーの小芝居を呆気にとられて見ていた全員が爆笑した。お母様でさえ、手を叩いて喜んでおられるので、これは、これでいいのか。ウケたら、それでいいのか。


「おだいかんしゃま、きょうは、もっとよいおかしを、てにいれました」


 はぁ?菓子折りは一つじゃなかったのか。何か嫌な予感しかしないぞ。


 皆は、面白がって、ふーの小芝居を興味津々で見ている。狸が、後ろで正座していた猫をぐいっと引っ張った。


「なんばんとらいのおかしでございます。おだいかんしゃまのおしゅきなように、おめしあがりくだしゃい」


 うわあああああ。ダメだ、それ、ダメなやつ。


「おお、これは、よいではないか」

「あーれー、おだいかんしゃま、おゆるしをー」


 代官犬の前に、あられもなく転がる猫人形を掴み上げて、小芝居を強制終了した。「あーれー」って、狐の野郎、何を三歳児に教えてんだよ。


「ふー、今日は出かけて疲れたよな。そろそろ、彰人にベッドに連れて行ってもらえ」

「そうだね、ふーちゃん、そろそろ寝ようか」

「まだ眠くないよ」


 反論する不比人にお母様が良い笑顔で仰った。


「ふーちゃん、わたくし達、貴方の父様にお話がありますから、先に寝ていて下さるかしら?」


 もう一度言うと、不比人の良いところは、その高すぎる生存本能だ。


「お祖母しゃま、おやしゅみなしゃい」


 そそくさと椅子から降りて、彰人の手を握ると、皆にぺこりとお辞儀をして、さっさと退出した。あのガキ、危険回避が異常に素早いな。


 そして、今度は、俺の生存本能が、がんがんと命の危機を訴えていた。

 右に満面の笑みのお母様、左に、静かに微笑んでいる牧田。



 ・・・あーれー。

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