17 反美人画 湯女


 3月末完結予定ですので、ラストが近づいてきました。

 そこで、まさに「読み解き」に相応しい、濃いお話を。


 ※ 今回のお話の核心部分は、或る本からの受け売りです。と言っても私の勝手な解釈が混じったり記憶違いがあったりもたぶんするので、多少おかしなことを書いたとすれば、それは私の責任です。

 元ネタは、佐藤康宏著『湯女図――視線のドラマ』。



 日本にももちろん美人画はありました。伝説的な美人を描いたのもあれば、市井の美女を描いた風俗画、浮世絵も。

 ただ、以前も書いた通り、それらはあんまり私の印象には残らず、代わりに、くせのスゴい人物の絵ばかりに目が行ってしまいます。

 今回ご紹介する『湯女ゆな図』も、美人画の系譜から外れます。


 作者は不明。作風から推して、『彦根屏風』に近い絵師の手になるもののようです。

(『彦根屛風』も、背景を深読みしたくなるような面白い絵で、画中画として描かれる山水画の完成度の高さも特筆ものなのですが、、、話が分散するのでここでは割愛します)


 残念ながら完全な作品の形では残っておらず、現在見られるのはその残簡です。

 そこには6人の女が描かれています。くせがスゴいとまでは言いませんが、美人ではない。


 この絵は何を表しているのか。失われた部分には何が描かれていたのか。

 そこを読み解いていきましょう。


 描かれているのが湯女であることは、まず疑いありません。根拠は、一人が着ている浴衣の柄に「沐」の字があること。(「沐浴」という熟語で見られるように、「沐」は「洗う」という意味をもっています)

 湯女とは、風呂屋で客の相手をする女です。客の体を洗ったり、風呂上がりに湯茶を出したり、あるいは体を売ったりもしていました。

 桃山時代、秀吉存命の頃から湯女風呂の存在は確認でき、江戸時代初期には大繁盛していたようです。吉原のように敷居の高い遊郭と異なり、身近にあって春をひさぐ湯女は、ひとびとの関心と好奇の視線を惹きつけたことでしょう。

 同じ寛永(1624~1644)の頃にさかんに描かれた風俗画に、湯女が登場するのも当然と言えそうです。


 この大繁盛と、その反作用が、『湯女図』を読み解く鍵になります。



 ……長くなりましたので、2回に分けて、続きは次回お話しします。



 * * *


(参考)『湯女図』

    『彦根屏風』

    対照的な美人図として、例えば 円山応挙筆『楊貴妃図』


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