16 琳派 その広がり


 ふつう琳派は、3つの時期に分けられます。

 まず創始期として、俵屋宗達(1570頃~1640頃)と本阿弥光悦(1558~1637)。

 次に中興の祖にして(というか、実質創始者かも)名の元となった、尾形光琳(1658~1716)。

 最後、江戸琳派と呼ばれる、酒井抱一ほういつ(1761~1829)に鈴木棋一きいつ(1796~1858)。


 この3世代、生没年が重ならないことでわかるように、直接の師弟関係があったわけではありません。それぞれ先達に私淑してその画風を継いだのでした。そんな現象が起こったのは、もちろん宗達や光琳の輝きがあればこそですが、それだけでなく、そもそも琳派が日本の審美観に共有される成分を多量に含んだ画風であったからなのだと思います。



 さて、光琳の弟に、尾形乾山がいることは前回述べました。

 絵に関しては、例えば『紅葉図』の紅いもみじが散る様は、若冲の『紅葉小禽図』との類似を感じたりして、若冲のなかにもしっかり琳派と共通の美意識が息づいていることを教えてくれます。


 このように乾山は絵も残しているわけですが、陶工としての業績の方が断然偉大です。

 陶芸の世界はまたものすごく奥深いので、私には語るほどの力はありませんが、その私でもわかるほどに、やはり彼の陶芸には琳派のセンスが色濃く見られるのです。

 多くに絵を付けているのが、華やかでありながら、あやういところで俗になりきらない。いきともまた違います。


 乾山の名は、一代で終わりませんでした。

 二世、三世、と継がれていきます。なかには私淑して勝手に号した人もいたらしいですが……、そんなところも琳派らしいですね。

 歴代のなかで、七世尾形乾山の名をいだのがイギリス人であることは、注目してよいと思います。彼の名は、バーナード・リーチ(1887~1979)。日本の美を深く理解し、その後継者にさえなった外国人がいると知ると、あらためて誇らしく思うと同時に、やはり優れた美は国や民族を越えて互いに響きあうものなのだと再確認します。



 * * *


(参考)酒井抱一筆『夏秋草図屛風』

    鈴木棋一筆『群鶴図屏風』『朝顔図屏風』

    尾形乾山筆『紅葉図』 陶器は名前で画像検索すると出てきます

    伊藤若冲筆『紅葉小禽図』(『動植綵絵』のうちの一つ)

    バーナード・リーチ こちらも名前で画像検索すると出てきます


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