15 琳派 そこにリズムはあるんか?


 琳派について、もうすこし。


 琳派の真骨頂は、装飾だ! というような話を以前しました。

 装飾品であれば、見ていて・囲まれていて心地よい、というのは要件のひとつです。そして、日本においてそれは、画面のなかのリズムに求められているような気がします。

(イスラム美術で幾何学文様のリズムが発達したこととの共通点と相違点を考えてみるのも、面白いかもしれませんね)



 例えば光琳の『燕子花かきつばた図屏風』を見てみましょう。

 これは「伊勢物語」のなかの「八橋」の段をモチーフにしています。にもかかわらず、在原業平はおらず、橋さえ描かれない、省略され尽くした構成が、まず光ります。

 説明しなくっても、見たら「八橋だな」とわかってもらえる。つまり、それだけの教養をもった鑑賞者を前提に描かれているわけです。(というか、たいていの人はわかるのかもしれませんが……ともかく、わかる人にしたら、そのものずばりのシーンが描かれているのは野暮だ、という審美観が背景にあるとは言えると思います)


 金地の屏風に描かれるのは燕子花だけ。燕子花の置かれた構図にも注目です。

 花の並びに、リズムのようなものを感じないでしょうか。画面のリズムを大切にするのは、日本絵画のひとつの特質のように思えます。それは琳派以前の装飾的やまと絵にも見られますし、桃山時代の豪壮な障壁画にも見られます。ちょっと変則的ですが、浮世絵にも承け継がれていると見ることも可能だと思います。


 燕子花のリズムから、描かれてはいない橋の姿が浮かんできたら、幻視の才能があるかもしれません。

 じつは、光琳は、この燕子花に橋を描き加えた『八橋図屏風』も描いています。ふたつを見比べてみるのも面白いです。


 また、このリズムは例えば『四季草花図屏風』にも見てとることができます。さまざまな草花の相克する、緊張感あふれる画面を破綻なくまとめるセンスに陶然となってしまいます。

 あるいは、『三十六歌仙図屏風』は、描く対象が人物群になってもやはりリズムがあるところが、光琳の面目躍如と思えて、興味深いです。



 ところで、光琳の弟に尾形乾山がいて、こちらは陶工として高名なのですが、やはり琳派に位置づけられ、絵も描いています。

 彼の話は、次回。



 * * *


(参考)尾形光琳筆『燕子花図屏風』『八橋図屏風』『四季草花図屏風』『三十六歌仙図屏風』


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