8 〇〇がいなければ、仏教は日本で栄えなかった


 またまた暴論ですが。

「〇〇がいなければ、仏教は日本で栄えなかった」


 上の〇〇には、誰の名が入ると思われますか?




 聖徳太子?

 蘇我馬子?

 聖武天皇?



 たぶんこの三人全員そろって、まるまる存在しなかったとしても仏教は日本で栄えただろうと、私は思います。


 では、もう少し源流まで遡って、例えば玄奘三蔵?

 彼の足跡は偉大なんでしょうけど、日本への仏教伝来の方が先ですからね。

 もっともっと遡って、もしもお釈迦さまがいなかったら? ……もちろん仏教が日本に来ることはありませんが、そもそも仏教が生まれないのでそれは考えないことにしましょう。


 私の答えは、「アレキサンダー大王」です。

 彼の偉大なる東征が、仏教の隆盛、特にインドの領域外へと広がる隆盛を齎したんじゃないかと思うのです。


 なぜか。

 それは、ギリシア彫刻と仏教の出会いです。

 小学校でも(たぶん)習う、ヘレニズムですね。

 ギリシアで花開いた人体美の表現が、仏像に取り入れられた。そのうつくしさは人々を魅了したことでしょう。

 うつくしい仏像があったからこそ、中国に広がり、日本にも伝わったのだと思うわけです。


 その魔力的ともいえるほどの力を思うと、ユダヤの神さまが偶像崇拝を禁じたのもわかる気がしますね。


 というわけで、アレキサンダー大王のおかげで、東洋美術ではめずらしく、仏教美術は人体の美を官能的に表現しています。


 特に、仏教伝来初期の仏像が、私は好きです。

 すっきり高い鼻梁に、すずやかな目もと。この世のしがらみを超越されたようなお顔。中性的なお体に、ぞくっと電流の流れるような妖しい魅力を感じる人もいたでしょう。あるいは神々しさを見た人も。


 その後、仏像も次第に国風化していき、運慶・快慶のような新たな作風が生まれたり、さまざまな発展を遂げましたが、つねに仏像はうつくしく表現されました。

 その淵源をギリシアに求めるなら、仏像がうつくしくあることは、誕生のときから宿命づけられていたのかもしれません。


(今回は、絵ではなく彫刻のお話ばっかりになりました・・・)



 * * *


(参考)広隆寺『弥勒菩薩半跏思惟像』(伝来初期)

    法隆寺『百済観音像』(伝来初期)

    東大寺南大門『金剛力士像』(中世、一時代を築いた作風)

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