9 病葉は、東洋のメメントモリである
西洋画の「ヴァニタス(空虚)」という画題で描かれる静物画が、メメント・モリ(死を忘れるなかれ)という言葉で象徴されることは、ご存知の方もおられるかもしれません。
瑞々しい果物籠の端の方には傷み始めている果物があったり、テーブルからいまにも落っこちそうになっていたり、なぜか頭蓋骨が転がっていたり。
また、「ヴァニタス」とはまた別に、幼年・成年・老年・死体を一枚のなかに同居させて、生の果敢なさを示すような絵もちらほら見られたりもして――どうやら生者必滅の無常観は、東洋の専売特許ではないようです。
では、無常観は日本では美術にどのように表れているかというのを、すこし見てみましょう。
まず人体では――
仏教修行のひとつである観想・「不浄観」のために、死んでから骨になるまでの推移を描いた「九相図」が描かれています。
これは、死体が朽ちていく様を直視することで無常を感得し、身体への執着を断ち切るという修行です。
あるいは、地獄を表した図や、「七難図」などで、死が身近にあることを示す絵も多数。
そして西洋の「ヴァニタス」にも似た趣向の絵が、「
病葉とは、半分枯れていたり虫食いで穴が開いたりしている葉っぱです。葉っぱ以外にも、虫に食われたり傷んだりした野菜や果物、萎れた花なども好んで描かれます。
絶頂と凋落の様子を並べて描くのも「ヴァニタス」に似て、葡萄の実が生る横で枯れた葉が萎れていたり、蓮池では白い花と花弁を落とした蜂巣状の姿が隣りあっていたり。
やはり仏教の教えは骨身に沁み込んでいるようです。
病葉は一種の様式美であり、また、造形の面白さから好んで描かれたのでもあろうとは思います。無常観を表すことに画家がどれだけ自覚的だったかというと、やや疑問を感じるところもありますが……、ともかく、メメントモリ的な画題は、東洋でも好まれていたのでした。
* * *
(参考)伝
俵屋宗達筆『蓮池水禽図』
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