6 琳派 絵画とは、詮ずる所、装飾品である(暴論)
タイトルにも書いた通り、やや暴論です。
禅や文人画などに見られるように、絵を描くこと自体が精神的営為であり、修養なのだ。絵画芸術とは真・善・美の追求なのだ。……という主張はまったく正当だと思いますし、反対するつもりはありません。
それはそれとして、出来上がった作品は、多くの者にとっては生活を飾るものであることも否定できないところ。
部屋の間仕切りとなる襖、壁、天井、屏風。茶室を飾る掛け軸。
絵馬、扇子や、着物・帯に織る図柄も、その一種と言えるかも。
(……でも、絵巻物なんかになると、装飾品というのはちょっと苦しい)
というわけで、暴論であることは承知のうえで、しれっと話を進めましょう。
なぜこんな話から始めたかというと、琳派とはなんだったのか? ということを考えたいからです。
私の筆名にもなっているので、琳派の話は避けて通るわけにいかない――と勝手に思っています。ところが、琳派ってなに? と問われると、答えに詰まってしまうのです。
一応、答えらしきものはある。ただし、これがまたけっこう暴論かも。
琳派の最初期の担い手として名の挙がる、俵屋宗達と本阿弥光悦。この二人が、新しい芸術一派を立ち上げてやるぜ! なんて思っていなかったことは、断言できます。
第一、宗達の作品は、典型的琳派風の絵だけにとどまるものではありません。
それでも、「あ、これこれ」と思うような、琳派らしい作品もあって、琳派の系譜に彼が位置づけられることに異論はないのです。
では、どんなところに、宗達と光琳を結ぶ共通点、琳派の本質があるのか?
それは、宮廷の香が匂ってきそうな、雅な装飾品のなかに特に色濃く見えてくるように思えます。
例えば、宗達の『扇面散屏風』だとか、宗達・光悦共作の『鶴下絵和歌巻』とか。
光琳なら『燕子花図屏風』に『三十六歌仙図屏風』とか。
つまり、琳派の真骨頂は、装飾品にあり。と言えましょう。(暴論)
琳派の作風は、なにもない所に突然生まれたのではなく、異端でもなく、営々と宮廷画工たちが培ってきた表現の文脈上に結実したのだと思います。
彼らの作品は、本質的には、皇族・貴族・僧侶・大名の生活空間を装飾する工芸品でした。宗達・光悦の凄さは、工芸品の美を芸術の域にまで高めたことにあるのだと思います。
* * *
(参考)俵屋宗達作『扇面散屏風』
俵屋宗達・本阿弥光悦共作『鶴下絵和歌巻』
尾形光琳筆『燕子花図屏風』『三十六歌仙図屏風』
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