3章 儀式

第10話 首

 山上家は玄関も雨戸も開け放たれていて、人々は思い思いの場所から屋内に上がった。昨夜、並んでいた座卓はかたづけられ、白い布で囲われた空間以外には何もない。


 咲耶は多賀史と比古一の間に座らされた。比古一の向こう側には弟の比古次ひこつぐが座った。


 やがて室内は、30人ほどの白喪服の人間で埋まった。山上家の者を除けば、ほとんどが老婆で、残りも中年の女性だ。誰もが唇を結び、これから行われる儀式を前に厳粛な気持ちでいるようだった。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 縁側の太鼓が鳴った。打っているのは咲耶と似たような年頃の少女だった。


新神あらがみだ」


 比古一が小声で教えてくれた。その声が親しげなのは、本人は咲耶と結婚するものと思っているからだろう。咲耶は、キモイ、と思ったが、表情には出さなかった。まだ、自分は異邦人。状況がわかるまで、彼の情報は貴重だ。


 腰の曲がった老婆が立った。手には麻の繊維をまとめた大幣おおぬさを手にしている。


「皆の衆、これより山上比古造の魂の止め置きの儀式を行う……」


 その体躯に見合わない凛とした声が室内を制圧し、人々は頭を下げた。咲耶はそれにならった。


「神職の大神琉山るざん、大神さまだ」


 再び、比古一がささやいた。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 新神がたたく音に合わせ、アヤメと多賀史が白幕を外した。中にあるのは昨晩と同じ、比古造の遺体とヒムカのやつれた姿だった。


 琉山が比古造の枕元に座り、大幣を額の前に掲げてゆっくり振る。


「オー、魔母衣の地を治めるアメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミよ……」


 そこまでは咲耶にも聞き取れたが、その後はモゴモゴと音はするものの、言葉のようには聞こえなかった。これが祝詞のりとというものか……。そんなことを考えながら、声が止むのを待った。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 祝詞が終わると太鼓が鳴り、数人の男性が小さな膳を運んでくる。その中に天具の姿もあった。


 参列者の前に置かれた膳には汁椀と小皿がひとつ。汁椀の中身は米と草の実らしいものを混ぜたかゆで、真ん中にウナギの肝のような小さな肉片がひとつ……。小皿に乗っているのは一切れの煮凝にこごりだった。咲耶はそのゼラチン質が苦手で、まいったなぁ、と胸の中でつぶやいた。


 膳が配り終わると、「いただきなさいませ」とヒムカが言ったが、それは最前列の者たちにしか届かなかった。


「山上比古造の魂、受け取りなさいませ」


 琉山が凛と発した。


「いただきまする」


 参列者が一同に額を傾け、箸を取った。


 食べ方にも礼儀があるのではないか? 煮凝りの中身や粥に入った肉も草の実にも意味があるはずだ。……咲耶は、比古一を窺ったが、彼は何も教えてはくれなかった。


 比古一は、小皿を手にすると煮凝りを口に運んだ。咲耶はそれを真似る。口の中でゼラチン質が溶けた。ヌルっとした感触に耐え、目をつむって飲み込んだ。口の中に焼き肉のような固形物が残った。この触感は……。それは、咲耶の記憶に深く刻まれたものだった。


 比古一が粥の椀から肉片だけをつまんで口に運んだ。それをしばらく噛んでいた。それから、流し込むようにして粥をすすった。咲耶も同じように肉片を口に入れた。その感触に記憶はない。とても固かった。粥の塩味の具合は良かったが、中の草の実は飲み込みにくかった。


 全員が食べ終わったのを見計らって太鼓が打ち鳴らされた。すると配膳した男性が現れ、膳をかたづけた。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 再び太鼓が鳴った。


「一緒に来てくれ」


 比古一が耳元でささやいて立った。訳がわからないまま彼に続き、遺体の枕元に座った。そこにアヤメが炊飯器ほどの大きさの杉目模様の美しい桶を運んできた。中は空っぽだ。


「ここにおじいさまの首を入れてください」


 彼女が咲耶に向かって言った。


 何を言われたのかのみこめず、咲耶は遺体の顔と比古一に視線を泳がせた。すると彼が比古造の身体を覆っていた白い布団をめくった。


 比古造の遺体は頭部だけで、首から下がなかった。あるのは薄っぺらな人型の作り物だった。


「アッ……」


 咲耶は一瞬、息をのんだ。とはいえ、驚いたわけではない。昨夜、ここに座った時から身体が薄っぺらなことには違和感を覚えていた。首から下がないのか、あるいは潰れてしまっているのか。……母がしたように、首だけを残して身体は解体してしまっている可能性を疑っていた。


 やはり……。咲耶は、自分の推理が当たっていると確信した。


「驚かないで。これが村の葬儀方法です。さあ、首を」


 アヤメが、目で比古造の頭部を指した。


「はい」


 咲耶は指示された通り、比古造の首を持ち上げて桶に入れた。重いと思うことはあっても怖くはなかった。


 多賀史が首桶のふたを閉め、天秤棒にくくり付けた。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


「おかしらの出立だ。立ちませーい」


 琉山が号令を発すると、参列者は静々と立って表に出た。


 参列者が列を作る。天秤棒を背負った多賀史が列の中ほどに立ち、その後にヒムカ、アヤメと咲耶、と親族が続いた。


「参る」


 琉山が先頭になり、葬列は出発した。細い道を森へ、山へ……。ひたひたと進む。


 普段なら咲耶は、葬儀の行列など陰気くさいと心の底から嫌っただろう。ところがその時、心は躍っていた。もし、行列の中にいるのでなければ、スキップをしたかもしれない。そんな気分になった理由に心当たりはなかった。


「私、浮かれているかな?」


 後ろを歩く比古一に訊いた。彼は理由を知っていた。


「麻の実のせいだ」


「アサの実?」


「粥に入っていただろう。麻の実は栄養もあるが、幻覚作用もあるんだ。それで、浮かれた気持ちなのだろう。炊きこめられる香にも麻の実が使われている」


 麻というと、大麻か? それは栽培が禁止されているはず。あー、この村は何でもアリなんだ。


「なーる、ほど」


 その効果か、藁草履ですれる皮膚の傷みも忘れた。


 坂を上りあおい深山に潜った。地面まで届く光は少なく、景色は夕闇のようだ。麻の実の効果が切れたのだろう。足が重くなる。それを忘れるために比古一に声をかけた。


「あの肉のことだけど」


「なんのこと?」


 彼が平静を装っているのがわかる。


「煮凝りに入っていたのが何の肉かは見当がつくの。わからないのは、粥に入っていた硬い肉片。あんなもの食べたことがない。あれは何ですか?」


「あれは……」比古一は躊躇していた。が、結局、話した。「……心臓の肉片だよ」


「心臓……?」


 人が産まれてから死ぬまで動き続ける心臓。その筋肉が強く硬いということは想像できた。


「先人の心臓をいただいて、その人が持っていた魂と能力を引き継ぐんだ」


「……なるほど。そうなのね」


「驚いた?」


「いいえ。わかるの。昔の人の思いが……」


「咲耶さん、変わっているね」


「そうかな?」


 咲耶は、アヤメや多賀史が比古造の身体を切り刻む様子を思い描きながら、ダラダラ歩いた。


「もう疲れたわ」


 行列の歩みは遅いが、藁草履の鼻緒が指に食い込んで痛む。裾の長い着物も歩きにくい。後ろを歩く比古一に愚痴った。


「もうじき黄泉の滝だ。そこには眩い滝がある」


「黄泉の滝……」


 良いイメージは浮かばなかった。

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