世界を守るために乙女は全てを差し出した ――麒麟の首――

明日乃たまご

1章 邪(よこしま)

第1話 大人のオモチャ

 山上咲耶やまがみさくやが灯りを消した。ベッドに入ると、天井の隅にクリクリとした黒い瞳が現れ、カーテンの隙間から射す月明かりを鈍く反射した。ほぼ同時に壁の隅に耳が現れて、蜜を吸う蝶の羽のように微動した。


 天井の目は横になったばかりの咲耶との距離を測るようにパチパチと瞬きすると、うように彼女の真上に移動した。壁の耳は虫が這うように枕元に移動して、彼女の寝息に耳をそばだてる。すると、瞳がもうひとつ、耳ももうひとつ現れた。それらも彼女のより近くへと移動した。


 見られている。……咲耶は感じていた。怖くはない。3年ほど前、中学2年生の夏休みを迎える直前から感覚が鋭敏になり、自分の動向を追う眼や耳が室内にあることに気づいた。夜中に目覚めて、それを見たことも何度かある。今も眼を開けたら、目玉や耳を見ることができるだろう。わかっていたがそうはしなかった。視線が合ったら、お互い気まずくなる。


 その住まいは、13年ほど前に父親の比呂彦ひろひこが中古で購入したものだった。生活雑貨の輸入事業で成功した彼が、不動産事業も手掛け始めたときに格安で手に入れたのだ。高級住宅街にあるその屋敷は、300坪ほどの敷地に50坪ほどの木造住宅と車が3台入る屋根つきの車庫があって、庭には立派な黒松や楓、桜、黒竹くろちく、紅梅のある日本庭園があり、大きな池には錦鯉が泳いでいた。幼いころは池で金魚や鯉を釣って遊んだ。美しい草花もあって興味を引いたが、毒草があるのでそれには触れるな、と両親から厳しく注意されていた。


 家が古いから妖しげな霊や妖怪が住み着いているのだろうと考えていた。以前、自分の部屋に目玉や耳だけの妖怪が現れると両親に話したことがある。


「まあ、怖い。妖怪百目かしら? それとも、目玉オヤジ?」


 母親の明心めいしんはコロコロ笑った。チベットの山奥で生まれた彼女は、そうした怪奇現象に慣れていると話した。比呂彦も同じだった。輸入雑貨店を営む彼は世界中を旅していて、不思議な経験を沢山してきたそうだ。「実害がない限り霊や妖怪など放っておけばいい」と笑った。


 確かに実害はなかった。が、寝姿や着替えを見られ、友人との会話を聞かれているかと思うと、気持ちの良いものではない。それを話すと「日本には八百万神やおよろずのかみがいる」と比呂彦が言った。


「……あらゆる物が神であり精霊、霊魂を持っているということだ。今ここにあるテレビにも、あの人形や観葉植物にも魂があって私たちの話を聞いている。私たちは常に見られているのだから、そのつもりで生きて行かなければならない。わかるね」


「うーん、なんとなく」そう応じるしかなかった。


「父さんも、いつも咲耶を見ているよ」


 彼は優しく微笑んだ。


 その日から、夜中に現れる眼や耳を父や母のものだと思うことにした。すると不気味に感じていたそれらにも親しみを覚え、ひと月もすると、その存在にすっかり慣れてしまった。


 初めの頃は一組だった眼と耳も、いつの間にか数が増えた。仲間が集まっているのか、あるいは子供を産むように分裂しているのか知らないけれど、1年ほど前に見たときは、数えられる程度だったものが、天井や壁を埋めるように並ぶようになっていた。それはまるで、ドット柄のようだ。


 ――ピロロン――


 眠りに落ちる直前にメッセージの着信音が鳴った。スマホのディスプレーがほんのりと明るくなると、壁や天井の目玉や耳が消えた。


 咲耶は瞼を持ち上げて天井を見た。月明りとスマホに照らされたそこには何もなかった。


 隠れたんだ。……そんな風に思いながらスマホを手にした。


〖サク、明日、期末テストが終わったらカラオケに行こう〗


 同級生の天乃雅あまのみやびからだった。彼女は聖清純学園せいせいじゅんがくえん中等部からの親友で、17歳になるのに子供のように無邪気で、何かと難しく考える咲耶とは対極的な存在だ。だからこそ、お互いに憧れ、仲良くなれたのかもしれない。彼女の無邪気さは性格だけでなく容姿も同じで、背は低く童顔でロリコン男子に人気があった。彼らは彼女を自分の妹か娘のように扱いたがるのだけれど、彼女はその無邪気さゆえに、彼らの気持ちを理解せず煙たがった。


 カラオケかぁ。……考えるまでもなかった。明日は、担任の田尻幸利たじりゆきとしが家庭訪問に来ることになっていた。一昨日、化粧品や大人のオモチャといった私物を学校に持って行ったのがばれたのだ。化粧品だけだったら、小言を言われただけで放免されたに違いない。大人のオモチャはまずかった。好奇心でドン・キ〇ーテで買っただけだと言い訳しても許してもらえなかった。曲がりなりにもお嬢様学校だから……。


「本来なら親を呼び出すところだけど、騒ぎになると君も困るだろう? 学園側としても体裁が悪い。大人のオモチャなんて……」田尻先生は、家庭訪問の結果次第で穏便おんびんに済ませてやると言った。生徒の不良行動は、担任の成績にも影響があるのだろう。


【ゴメン、みやび。明日はソッコー帰る】


 咲耶は渋々の思いで返信した。


〖どうしたの?〗


【秘密の約束がある】


〖デート?〗


【違うわよ。人生にかかわる深刻な問題】


〖もしかしたらだけど、あれ、ばれた?〗


 そもそも大人のオモチャを学校に持って行ったのは、彼女に見せて驚かせるためだった。


【うん、最悪だわ】


〖ご愁傷様、(-人-)〗


 テスト期間だというのに、2人に緊張感はなかった。通っているのが中学から大学までの一貫校だから、よほど悪い点を取らない限り進学に影響はない。とはいえ、不安要素はあった。成績に問題がなくても、あのオモチャの件では厳しい対応があるかもしれない。エアコンの鈍い音が、不安をかき立てた。


「まぁ、なるようになれ。Let it beだ」


 全てを忘れて寝ることに決め、タオルケットに頭までもぐりこんだ。


 また、眼や耳が現れたようだ。……胸の中がゾワゾワした。


 大人のオモチャで遊んだところを彼らも見ていたのだろうか? もしかしたら、その目のひとつが田尻先生のものだったのではないかしら? そんなことでもなければ、あの日、鞄の中にそれが入っているのを先生がわかるはずがない。


「この、変態教師!」


 叫ぶと胸がすっきりして、深い眠りに落ちた。


 ひとつ、ふたつ……、十、五十と室内の目玉が増える。丸い眼、細い眼、黒い眼、灰色の眼、鳶色の眼……、百様の眼が時には瞬きをし、時には移動しながらタオルケットが作る人型を見下ろしていた。同じ数だけの耳が、咲耶の穏やかな寝息を聞いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る