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 3月25日、いよいよ明日は閉校式だ。閉校式では様々な催しがあるが、その中に一番の見どころがある。最後の卒業生、本吉和孝のピアノ演奏による『故郷』だ。


 和孝は朝から海を見ている。あさって、僕は東京へ向かう。故郷とはしばらくのお別れだ。次に帰って来る時は、世界的に有名なピアニストになってからだろう。


「そう。いよいよ明日ね」


 和孝は振り向いた。徳子がいる。徳子は寂しそうな表情だ。あさって、東京へ向かうからだろう。


「そ、そうだね。来てくれたんだね」


 徳子は和孝の横にやって来て、外の風景を見ている。何度見ても美しい風景だ。見ているだけで心が和む。だけど、この風景をあとどれぐらい見る事ができるだろう。人は年々減っている。いつか、ここから人がいなくなるかもしれない。


「卒業生の僕も感慨深いな。私の母校が消えてしまうなんて。だけど、目を閉じたら、そこにはいつもあって、子供たちの歓声で満ち溢れている。だけど、人々はみんな都会に行ってしまうんだろうか?」

「どうだろう」


 あさって東京に行く和孝は考えた。東京に住む彼らに、故郷という安らげる場所はあるんだろうか? そして、帰るべき場所はあるんだろうか?


「それまで知らなかったんだけど、空別って、昔は賑わってたんだね」


 閉校が決まってから、空別の昔の事を知る機会が多くなった。だが、あとどれぐらいこの町はあるんだろう。小学校がなくなると、この町はもっと寂れてしまうだろう。今のうちに、その光景を留めておかないと。


「うん。昔はニシン漁で栄えたんだけど、みんな都会に行ってしまって。それが時代の流れなんだろうか?」

「そんな時もあったんだね」


 徳子は部屋を出て行った。和孝はその後姿を見ている。


 と、そこにはオバケが現れた。学校は午前中で終わっている。寂しいので、ここに来たんだろう。


「明日が閉校式なんだね」

「うん。僕も最後の卒業生として出るんだ。そして、演奏するんだ」


 和孝は、明日の閉校式に出席し、そこでピアノを披露する事が決まっている。すでに準備はできているし、練習もばっちりしている。あとは明日を待つだけだ。


「何を演奏するの?」

「故郷」


 故郷は、高野辰之作詞、岡野貞一作曲による唱歌で、幅広い年齢に知られている代表的な唱歌だ。和孝もオバケも、この曲が大好きだ。


「故郷って、いい曲だね」

「僕も素晴らしいと思ってる。それに、思うんだ。世界的に有名なピアニストになって、帰ってくるって、3番の歌詞そのまんまだなって」


 和孝は、再び外を見た。この景色を目に留めておき、また帰ってきた時にどうなっているのか、この目で見たいな。


「そうだね」

「志を果たして、いつの日にか帰らん」


 と、オバケが3番を歌い出した。


「山は青き故郷、水は清き故郷」


 それに続いて、和孝も歌いだす。とても癒される。日本を代表する唱歌だと思っている。


「ねぇ、僕もその閉校式に来ると思うよ! 君の弾く故郷、聴きたいな!」

「いいよ! 来てよ!」


 オバケは笑みを浮かべた。明日は重要な日だ。空別小学校の最後の瞬間を自分の目で見たいな。


「いよいよ明日だね。そしてあさって、東京に行く」


 和孝は財布からある物を取り出した。それは、あさっての寝台特急北斗星の切符だ。上野行きという文字を見ると、あさって、ここを離れて、東京に行くんだと改めて思ってしまう。寂しいけれど、成長しないと。


「寂しいけれど、ここで過ごした日々、忘れないよ」

「そっか。東京は大変だけど、頑張ってね。そして、有名なピアニストになってね!」


 和孝とオバケは握手をした。必ず戻ってくると約束して。


「わかった!」


 和孝とオバケは抱き合った。オバケは冷たいのに、なぜか温かい。どうしてだろう。




 翌日、今日はいよいよ閉校式だ。3月の下旬だが、まだ雪が残っている。まだまだ寒い。


 朝から空別には多くの人が訪れている。テレビ局の関係者も来ている。まるで昔のような賑わいを見せている。


 和孝は空別小学校にやって来た。空別小学校には多くの人が来ている。そのほとんどは卒業生だ。自分たちが巣立った小学校が消えようとしている。最後の瞬間をこの目で確かめようとする人々だ。


「いよいよ、今日が閉校式なんだね」


 和孝は横を見た。そこにはオバケがいる。やはり来てくれたんだ。和孝は嬉しくなった。


「うん」


 和孝は空別小学校をじっと見た。空別小学校は今日までだ。今日という日を永遠に記憶しておこう。


「この学校は、もう消えてしまう。だけど、人々の心の中ではあり続ける」

「忘れないようにしよう!」


 オバケも空別小学校を見ている。小学校は今日限りで消えてしまうけど、何らかの形で建物は残ってほしいな。


「ああ」


 2人は体育館にやって来た。体育館には多くの人が集まっている。地元の人々が多く来ている。漁に出ている人々も今日は漁を休んで来ている。


 と、演台に校長がやって来た。校長は厳しい表情だ。いよいよ今日が最後だ。旗が返還される。寂しいけれど、それが時代の流れだ。時代の流れには逆らえない。


「ただいまより、空別小学校、閉校式を行います! 一同、起立! 国歌斉唱!」


 出席している人々は脱帽し、立ち上がった。それと共に、君が代が流れた。出席者は君が代を歌い出した。和孝やオバケも歌っている。


「閉校記念事業実行委員長の挨拶です!」


 それと共に、演台に白髪の老人がやって来た。実行委員長だ。


「いよいよ、この日が来てしまいました。私は、生まれも育ちもこの空別です。空別は厳しい自然だけど、そこで獲れる海の幸はとてもおいしくて、町の自慢です。そんな港町の中に、私たちの巣だった空別小学校はあります。昔は多くの生徒がいて、子供たちの声が絶えなかったそうです。だが、人々はみんな都会へ出て行き、そして児童数は減っていきました。そして、児童数の減少により、今年度限りでの閉校となりました。我々の巣だった空別小学校が消えてしまうのは、とても残念でたまりません。ですが、人々の心の中では、いつまでも残っていくでしょう」


 いつしか、実行委員長の目には涙があふれている。実行委員長も悲しいようだ。巣立った小学校がなくなるのは、誰でも悲しいようだ。


「校長の挨拶です!」


 そして、校長先生が再び演台にやって来た。校長先生は緊張したような表情だ。


「とうとう、最後の日になってしまいました。まさか、私が最後の校長になろうとは、思いもしませんでした。去年の夏に、閉校の知らせを聞いた時には、大変驚きました。だが、これも時代の流れなのだと感じました。だけど、本当に残念でたまりません。この空別小学校はもうすぐなくなろうとしています。けれども、ここで過ごした人々、そしてその関係者、そして何より地元の人々の心の中ではいつまでもあり続けていくでしょう」

「最後に、本校最後の卒業生、本吉和孝くんのピアノ演奏による合唱、『故郷』をお送りします。一同、起立!」


 その横にいる教頭の声とともに、和孝は右端にあるピアノに向かった。ここで演奏するのはしばらくないだろう。しっかりと、悔いのない様に弾こう。



 兎追いしかの山

 小鮒釣りしかの川

 夢は今もめぐりて

 忘れがたき故郷


 いかにいます父母

 つつがなしや友がき

 雨に風につけても

 思いいずる故郷


 志を果たして

 いつの日にか帰らん

 山は青き故郷

 水は清き故郷



 出席した全ての人々が歌っている。空別小学校との別れが悲しいのか、涙を流している人もいる。演奏が終わると、割れんばかりの拍手が沸き起こる。それを聞いて、和孝は立ち上がり、彼らに向かって礼をした。


「ありがとう空別小学校!」

「ありがとう!」


 その瞬間、みんなは立ち上がった。誰もが和孝の演奏に感動している。それを見て、和孝は思った。将来、もっと多くの人に感動してもらいたいな。そのためには東京に行って、もっと頑張らないと。




 その後、人々は校舎に向かった。教室には、昔の空別小学校の写真が多く飾られている。人々はそれを、懐かしそうに見ている。


「懐かしいなー」

「これ俺だよ」


 老人は指を差した。老人は生まれてからずっとここに住み、漁師をしている。息子はみんな家を出て行き、都会で生活をしている。盆休みや年末年始は帰って来るが、それもいつまでだろう。不安になる時が来るという。


「こんな時代があったんだね」

「こんなに多くの人がいたんだね」


 老婆たちは懐かしそうに見ている。その老婆たちも空別出身で、ずっとここに住んでいる人々だ。


「うん。ここに住んでる人の多くは漁師の家族なんだ」

「賑やかな時代だったね」


 老人は寂しそうだ。若い者は豊かさを求めて、みんな空別を出て行った。年々、人口は減ってきているという。空別はいつまであり続けるだろう。


「もうこんな時代は戻ってこない。あとどれぐらいここに人がいるんだろう」


 やって来た校長もその写真を見ている。もう賑やかな頃の空別は戻ってこないだろう。閉校のニュースをたびたび耳にする。それを見ていると、全国の田舎はこうして寂れていくんだろうかと思ってしまう。


「わからないね」


 その横には、教頭がいる。教頭も寂しそうな表情だ。

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