第13話 パーティの準備

 馬車がスノーグース家の邸宅の前に着くや否や、ふわふわのコートを着たブルーベルが飛び出してきた。

 荷台からアリシアが降りると、ブルーベルはその足元にギュッと抱きついて震えている。


「お嬢さま!? どうなさいました……?」


「ミーシャさん……もう、かえってこないかと思った……」


 啜り泣くブルーベルの頭を訳の分からないまま撫でていると、執事のヨゼフも駆け寄ってきた。


「買い物に行かれただけだとお伝えしたのですが、屋敷を出て行ったのではと心配されていたようなのです」


「うぅ……だって……今までの『おかあさま』、出て行ったきり一度もかえってこなかった……。わたしのこときらいになって、すてられちゃったかと思ったの……」


 アリシアはしゃがみ込み、ブルーベルの深青の瞳と視線を合わせた。そして優しく彼女の手を握り、ゆっくりと語りかける。


「お嬢さまのこと、嫌いになるはずがありませんよ。ずっと一緒にいたいくらい大好きなんですから。黙って出かけてごめんなさい」


「……ほんと? ほんとに居なくならない?」


「ええ、約束します。──それに、ほら! お嬢様のために、とっても良いものを買ってきたんですよ!」


 馬車の荷台に駆け込んだアリシアは、何やら大きな箱を抱えて戻ってきた。その中から赤い野菜を取り出すと、ブルーベルの手のひらに握らせる。


「これ……レッドプルム? 生のおやさいって、はじめて……! ぴかぴかでスベスベで、とってもきれい……」


「そうなのです! なんと、食材を凍らせずに持ち帰れました! 野菜も果物もお花も、ぜ〜んぶ新鮮なままですよ!」


「そんな! どうやって……」


 驚く一同の前で、アリシアは得意気に荷台を開けた。中に積まれている箱は、コートや防寒具によって覆われている。


「お野菜の入った箱を、こうやってコートで包んだんです。そしてここに来るまでの間、ずっと火の魔石に魔力を込めることで温度を維持して……」


 話を遮るように、ヨゼフが必死の形相でアリシアの腕を掴んだ。


「奥様!! まさか着ていったコートを全部荷物にかけて、自分はこの薄着でいたわけじゃ……お顔も真っ青だし、腕もこんなに冷えきっているじゃないですか!!」


「私が持っている火の魔石が、これしかなくて……魔石はとても高価だか……っくしゅん!!」


「ああほら!! 本当に貴方は……とにかく、早く屋敷に入ってあったまってください!! ジャックさんも、今日はもう遅いので泊まって行ってくださいね!」


 ぽかんと口を開けるジャックとブルーベルの前で、ヨゼフはアリシアを屋敷に引っ張り込んだ。


 ・・・・・


「奥様……今回ばかりは、許し難いです」

 

 毛布に包まれ暖炉の火にあたるアリシアの横で、ヨゼフは静かに言った。

 浴場に押し込まれてしっかり温まったので、体はぽかぽかだ。アリシアは申し訳なさそうに体を縮める。


「ご、ごめんなさい……」


 ヨゼフは横目でアリシアを見つめると、ハァ……と大きなため息をついた。


「ご理解いただけていないようなので、何回も申し上げますが……貴方はもう、ミーシャ=サンフラワーではありません」


「えっ……!? それは、どういう……」


 自分が「アリシア」なのがバレたのかと思い、心臓がドキリと音を立てる。そろりと目を向けると、ヨゼフは真剣な表情でこちらを見つめていた。


「貴方は、ミーシャ=スノーグースです。サンフラワー家で虐げられていた、過去の貴方ではないのです。簡単に自分を犠牲にしないでください」


「犠牲になんか……」


「今までがどうだったか、詳しくは知りませんが……。今の貴方が風邪を引けば、困ったり、悲しんだりする人がいます。それは優しい貴方の本意ではないでしょう? 自己犠牲は美ではないと、自覚してください」


「悲しむ人なんているはずが……」


 隣にいるブルーベルが何度も首を振り、毛布越しにギュッと抱きついてくる。


「ブルーベル様もそうですし、シェフのエリオットも悲しむでしょう。それに私も……その、貴重な働き手がいないと大変困りますし、奥様が不在だと業務にも色々支障が出ますし……」


 ヨゼフはごにょごにょと口籠り、少し赤面しながら眼鏡を指で押し上げた。


「……単純に、心配です。仕事仲間としても、一人の人間としても。貴方を大切に思っている人がいることを、忘れないでください」


 ヨゼフとブルーベルの表情を見て、アリシアの胸がギュッと締め付けられる。

 (この人達は、私のことを本当に心配しているんだわ。風邪を引いて欲しくない、自分を大切にしてほしいって、心の底から思ってくれている……。)

 

 「ミーシャ」として生きてきた時は、風邪を引いて心配してくれる人などいなかった。神経を擦り減らして、体力の限り働いて……ボロボロになった姿を見て、人々は嘲笑った。

 

 そんな日々が続くうちに、自分を犠牲にして働くことが当たり前となっていた。これだけ苦しい思いをして頑張れば、少しは喜んでくれるかもしれない。もしかしたら、憐れに思って手を差し伸べてくれるかもしれない……。その祈りのような思いは、一度だって叶うことはなかったのに。


 でも今は、自分の痛みを我が身のように思ってくれる人達がいる。それがどんなに有難いことで、どんなに望んでいたことか……。アリシアの目から、温かい涙が溢れた。


「ありがとう、ございます……」


「分かれば良いのです。とにかく奥様は、人を頼るということを覚えてください。魔石だって言ってくだされば用意しましたし、他のコートをお貸しすることも出来ました。人を上手く使うことも、奥様の仕事ですからね!」


「……はい。肝に銘じます」


「じゃあ今日は、早く寝てください。……今すぐ!」


「でも、荷物の整理が……」


「ほらもう! そんなのはこちらでやりますから! 貴方の今の仕事は、ゆっくり休んで体力を回復させることです」


「ヨゼフさん、だいじょうぶ! わたしが、せきにんもって寝かしつけるから……」


 ブルーベルが顔を真っ赤にしながら、アリシアを背負おうと力を入れる。


「ふふっ、わかりました。ブルーベルさま、一緒に寝てくれますか? まだ体が寒くって、誰かが一緒でないと……」


「……! まかせて!」

 

 嬉々とするブルーベルに手を引かれ、アリシアは温かい気持ちで自室へと向かった。


 ・・・・・


 翌朝、アリシアは厨房にいた。


「奥様、連れてきました!」


 ドアが開き、ヨゼフが二人のメイドを引き摺るようにして入ってくる。


「どうしてアタシが、コイツの手伝いなんてしなきゃならないんだ! 自分の仕事で忙しいんだよ」


「サリー、奥様に『コイツ』とは何事ですか! それにメイドの仕事は、奥様が手伝われているので楽になっているはずですよ」


「ケッ! アタシはコイツのこと奥サマだって認めてないからね。ちょっと家事は出来るようだけど、どうせすぐ居なくなるだろうし……。それに貴族の娘なんて、アタシらのこと見下してるんだろう? 恩を売ってもしょうがな……」


「見下すなんて、とんでもない! 尊敬しかないですよ!!」


 バッと身を乗り出したアリシアは、突如自分のエプロンを脱ぎ始めた。


「お、おい!? 何を……」


「サリーさん……貴方からお借りしたこのエプロン、貴方のでしょう? 量産品では不可能な、細部まで手間を惜しまない凝ったデザインですし……それにここ、タグに『Sally』と刺繍があります」


「アッ……! それは……」


 赤面したサリーは、頭に被っていたヘッドドレスを両手でギュッと握り締める。それを見たアリシアは目を光らせ、ヘッドドレスを指差しながら興奮気味に続けた。


「このヘッドドレスも! 見てください、この均等で美しいギャザーと正確な縫い目! フリルの部分はたっぷりと布を使って、中央と端とで微妙に幅を変えていますね!? 相当な技量と裁縫への愛がないと、出来ない仕上がりです」


「な、なかなか見る目があるじゃないか……」


「おい、サリー! ほだされるんじゃないよ!」


「なんだよ、マール。別に絆されてなんかねえってば」


 突然褒め倒され、サリーは嬉しさを隠しきれない表情で頭を掻く。アリシアは脱いだエプロンを再び身につけながら、サリーに問いかけた。


「貴方のメイド服も、普段着ている服も……ご自身で作られたものですよね。これほどの腕で、なぜメイドを? 服職人としてやっていけたのでは……?」


「アタシだって、そうしたかったさ。でも職人の世界はさ、腕だけじゃ何ともならない、難しさがあって……」


 サリーはキッチン台に寄りかかり、天を仰ぎながら語り始めた。


「小さな村の出身だったアタシは、夢を持って町の服屋に就職した。見習いから始めて、だんだん仕事も任せてもらえるようになったが……。見ての通り、人に媚びへつらうのが苦手でね。前からいた先輩共に嫉妬されてよ……盗みの容疑をかけられて、追い出されちまった」


「そんな……ひどい」


「才能のある奴は疎まれるもんさ、とか言ってな」


 サリーは自虐気味にフンッと笑って、鼻の下を擦る。


「ご丁寧なことに、町中に噂まで広められてさ。盗人なんか、どこでも雇ってくれる訳はないさな。それでユルユルな求人条件の、この辺鄙なお屋敷まで来ちまったってワケ」


 真剣な表情で聞いていたアリシアは、サリーに近づいてそっと手を握る。


「……今は淡々と語っていらっしゃいますが、どれほどの苦労と悲しみがあったことでしょう。経験した貴方にしか分からないことだとは思いますけれど……辛かった、ですね」


「……まあ、な……」


「その境遇を『良かった』と言うことはできませんが……サリーさんに出会えたことは、私にとっては幸運です。──その力、私に貸してはくれませんか?」


 そう言って厨房の奥に消えたアリシアは、たくさんの布地を抱えて戻ってきた。


「これで、お嬢様のドレスを作ってもらいたいのです。パーティ用のとびきり可愛いものを。それに屋敷の装飾品や、カーテンなども」


 続けてアリシアがテーブルの上に広げたのは、ドレスや装飾品のデザイン画だった。サリーはそれを食い入るように見つめ、大量の布と紙とを交互に見比べる。


「……これ、全部使っていいのかい?」


「ええ、全部好きに使ってください! それにデザインに関しても、希望は書きましたが自由に変えていただいて構いません。サリーさんのセンスを信じていますから。次の食事会は三日後なので、まずは間に合う範囲で……」


 サリーはフラフラとテーブルに近づき、棒状に巻かれた布地にそっと触れた。


「仕事として、裁縫をして良いっていうのかい? アタシを針子として使ってくれるってのかい……」


 呆然と布地を撫で続けるサリーの後ろで、ヨゼフはコソッとアリシアに耳打ちをした。


「……あの布地のお金は、どこから?」


「あ、あは……嫁ぐ時に持ってきた、少しのお金の中から……」


 ヨゼフがため息を吐く前に、慌てて彼の口を押さえて話し出す。


「分かっています! 経費ですね!? 自分のお金を使ってしまって、ごめんなさい」


「……その通りです。伯爵家にとっては痛くも痒くもない金額ですから、ちゃんと申告して下さい。身銭を切ってもらうほど、スノーグース家は困窮していませんから」


 キリッと眼鏡を上げるヨゼフの横で、もう一人のメイドのマールが大きくあくびをして言った。


「それで私にも、何かさせるつもり〜? 私、別に辛い過去もないし、ただ性格悪くてお金が好きだから、ここで働いてるだけだし〜。絆される気はないよ?」


 マールは不敵な笑みを浮かべたが、勢い良く距離を詰めてくるアリシアの勢いにたじろぐ。


「マールさんは! 抜群にセンスが良いですよね!! それに色彩感覚も!」


 曇りのないキラキラとした瞳に見つめられ、マールは呻きながら目を逸らす。


「屋敷内の家具は、ほとんどマールさんが揃えられたと聞きました。レイモンド様のご気分に合うように寒色で統一されてはいますが……所々にアクセントとなるカラーが入ってますし、家具配置も絶妙です。それにこちらも!」


 両手で示した先には、大きな食器棚が佇んでいた。アリシアは語気を強めながら続ける。


「この食器類! こちらもマールさんが揃えられたんだとか! 有名アンティークから無名のものまで、素晴らしいセンスで絶妙な品揃え……。どんなシチュエーションの、どんな気分の、どんな色合いの料理でも、合う食器が見つかること間違いなしです!」


「ふ、ふ〜ん……分かってるじゃない……」


「そんなマールさんのセンスを見越して、お願いしたいのが……」


 スリスリと擦り寄ってアリシアが差し出したのは、春色の大きな花束だった。


「これで食事会場に、『春の食卓』をイメージした装飾をして欲しいんです。気分がウキウキするような、華やかなテーブルコーディネートを……。でもマールさんは寒色がお得意なようですから、パステルカラーは難しいですかね……?」


「難しいわけないわ! 旦那様のご趣味に合わせていただけで、本当はビビットでもカラフルでも得意なんだから〜!」


「キャッ! マールさん、すごいです! でも流石に、すご〜くセンスが必要な、お料理の盛り付けまでは無理ですよね……? 食材の色合いを活かした、目でも楽しめるお皿にしたいんですけれど……」


「盛り付け〜!? そんなの楽勝だわ! こう見えて私、王都のレストランでの給仕経験もあって……」


「さすがです、マールさん! 何でも出来る女! カッコいい!!」


 得意気に反り返るマールを、アリシアは満面の笑みと大きな拍手で褒め称える。その光景を見ながら、ヨゼフは無表情で呟いた。


「……人を頼れとは言いましたが……のせるのが上手すぎでは? 前々から思っていましたが、生粋の人タラシですね……」


 

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