第12話 食材輸送大作戦

 いつもと同じ吹雪の朝……屋敷のドアが開いた音を耳にし、アリシアは階段を駆け降りた。


「ジャックさん……ですね!?」


 執事のヨゼフと話していた雪まみれの青年が、その声につられて振り向く。

 レイモンドと同じ、二十代前半くらいだろうか……青年はアリシアを見てポカンと口を開けた後、数回瞬きをして呟いた。


「びっくりした、アリシアが蘇ったかと……ああ、すみません! 僕がジャックです」


 勢い良く下げた頭から、積もっていた雪が滑り落ちる。プルプルと子犬のように頭を振ってから帽子を脱ぐと、キャラメル色の髪と端正な顔立ちが露わになった。ペリドットのような淡い黄緑の瞳はキラキラと輝いていて、どこか少年の面影を残している。


 (ジャック……大きくなって! 最後に見た時はまだ見習いの少年で、父親と一緒にここに来ていたのに……。今は一人前の商人になっているのね……感慨深いわ!)


 胸の奥で感動に浸りながら、アリシアも深いお辞儀カーティシーを返す。濃紺のドレスが優雅に揺れ、絹のような髪が柔らかく流れ落ちた。


「お初にお目にかかります、ミーシャ=サンフラワー……」


「……奥様!」


「ああ、いえ、違いましたわ! ミーシャ=スノーグースです!」


 慌てて取り繕った格好のつかない名乗りを終え、アリシアは顔を赤くして微笑んだ。

 ミーシャもスノーグースも本当の自分の名ではないというのに、スムーズに名乗れる方がおかしいわ……と、自分を慰める。


 美しい所作に見惚れているジャックの横を素通りし、アリシアは玄関に積まれていた箱に近付いた。


「早速で恐縮ですが……食材を拝見してもよろしいですか?」


「食材を? ええと、構いませんけど……」


 呆気に取られる二人をよそに、アリシアは次々に箱を開封していく。中を覗く度に小柄な体が半分ほど箱に入り込み、背中のリボンだけがピョコピョコと見え隠れした。

 

「これがお野菜で……お肉。卵もあるわね……こっちがキノコ類で──ジャックさん、やはり食べ物は全て冷凍で?」


 忙しなく呟いた後、アリシアは箱から突然顔を出して尋ねた。その姿が雪山からピョコンと顔を出すウサギのようで、ジャックは笑いを堪えるような顔で答える。


「ええ、はい……そうです。町を出る時点では生なのですが、ここに来るまでの間に、どうしても凍ってしまって……」


「そうですか……」


 頬に手を当ててしばらく考え込んだ後、アリシアはずいっとジャックに顔を寄せた。うるうると輝く瞳が間近に迫り、ジャックの息が止まる。


「あの、私を町に連れて行っていただけませんか? もちろん、お代はきっちりお支払いしますので……少し待っていてください!」


「ええ!? 奥様、何を……」


 ヨゼフが制止する前にピュンッと駆け出したアリシアは、すぐにその場に戻ってきた。厚手のコートや防寒具を何重にも着込み、モコモコに着膨れた姿で。

 

 その姿を眺めたヨゼフは、渋い顔で呟く。


「奥様……前々からそうするつもりでしたね? あまりにも準備が良すぎます」


「えへ……バレちゃいましたか。それで、ジャックさん……どうでしょうか? どうしても、町で直接買いたい物があるのです……!」


 指を組んで祈りのポーズをするアリシアをしばらく見つめた後、ジャックは横を向いて笑い出した。


「あははっ! 新しい奥サマは、ずいぶん愉快な人なんですね! ますます、僕の知人に似ています。……今日の午後は仕事もありませんし、大丈夫ですよ。領主の奥サマの命令なら、断れませんしね」


 いたずらっ子のように笑うジャックの言葉に、アリシアは慌てて両手を振った。


「そんな! 命令なんてつもりじゃ……」


「冗談ですよ! とにかく、僕は問題ありませんから。往復で二時間以上はかかりますけど……」


「ちょ、ちょっと待ってください奥様! 本当に今日行かれるのですか? こんなに急に?」


 馬車に乗り込もうとするアリシアを、ヨゼフが焦った様子で追いかける。


「ごめんなさいヨゼフ、相談も無しに。事前に言ったら、止められると思ったので……」


「そりゃ止めますよ! 貴方ここに来る時、寒さで生まれたての小鹿みたいに震えていたじゃないですか! お身体も強くないようですし、何も自ら行かれなくても……」


「今日は火の魔石つきの防寒具をたっぷり着ていますから、大丈夫ですよ! ほら、ヨゼフがクローゼットに用意してくれたものです」


 アリシアは着膨れてまん丸になった姿で両手を広げ、クルリと一回転した。


「私、魔力だけはたくさんあるので……往復の間、火の魔石にずっと魔力を込めて暖めますから、安心してください。──レイモンド様とブルーベル様のお食事会のために、どうしても手に入れたい物があるのです」


 その穏やかな微笑みを見て、ヨゼフはハァとため息を吐いた。


「……その顔は、何を言っても聞かない顔ですね。私も学びました。くれぐれも、お気をつけて。……ああそれと、町で出歩く時は深くフードを被って、ジャックさんの側を離れないように」


「? ええ、分かりました」


 アリシアは馬車に乗り込むと、御者台からヨゼフに大きく手を振った。


 ・・・・・


「……久方ぶりのチルノースだわ!」


 町に降り立ったアリシアは、両手を天に掲げながらそう言った。

 道や建物は全て暖色の煉瓦で作られており、左右に並んだ露店の前を、商人や住人が忙しなく行き来している。


 チルノースは、スノーグース領の最南端の町だ。

 他領との境界に面したこの町は、邸宅の周囲と違い一年中初春のような気候である。

 

 元々氷の魔石の産出で栄えたスノーグース領であったが、今でも領地の収入の多くを魔石の輸出が担っていた。

 ここは領地の中でも比較的暖かく人が住みやすいので、採掘者やその家族達が暮らしているのだ。


 町は活気に溢れており、他領から輸入された食材は勿論のこと、地産の野菜なども売られている。ギリギリ動植物が育つ気候のため、町の周囲には畑や農場も少なからず存在していた。


「はあ……あたたかいお日さまの日差し……。体に染み入るようだわ……」


 アリシアが久しぶりの日光を全身で噛み締めていると、道中ですっかり打ち解けたジャックがクスリと笑う。


「それで、奥サマ。今日は何を買いたいの?」


「ええ! まずはレッドプルム……」


「レッドプルムなら、僕が今日持って行った物の中にもあったけど……」


 アリシアはキョロキョロと辺りを見渡し、一つの露店に駆け足で近づく。


「すみません! これ五つ買うので、値引きしてもらえません? ……ああ、それはまだ少し青いので、こちらの方と……あとその奥のを。ハリがあるしヘタも反り返っているので、よく熟れていますね」


 食材選びから値引き交渉までそつなくこなす姿を見て、ジャックは目を丸くした。


「……奥サマ、貴族のお嬢さんだったんだよね? どこでそんな買い物術を覚えたの? 普通の貴族は、お金の使い方も知らないって聞くよ」


「え、えっと……王妃教育の中で、庶民の生活も学ぶんです。野菜の目利きとか、市井での買い物の仕方とか……」


「ふうん、王妃教育ってそんなことまでするんだね!」


 勿論、大嘘である。これは前の「アリシア」だった頃……孤児院で生活していた時と、メイドとして働いていた時の経験から培った物だ。

 アリシアは嘘をついた申し訳なさから、ぎこちなく微笑んだ。


 ・・・・・


 多くの露店を巡り、両手に抱えきれないほどの食材を買ったアリシアは、ホクホクとした顔で荷台に荷物を積み込んでいく。

 鼻歌を歌いながら再び町へ向かおうとするアリシアの腕を、ジャックが慌てて掴んだ。


「お、奥サマ! まだ買うの?」


「次で最後です! それにこれでも、被りと日持ちを考えて絞ったんですよ。太陽の恵みを腐らせては失礼ですから……と、ここです!」


 アリシアは、広場にある露店の前で立ち止まった。そこは花屋のようで、色とりどりの花が目に眩しく並んでいる。


「すみません。この赤いチューリップと……ピンク、黄色、オレンジ……それとミモザ、スイートピー、コデマリもいいな……を、全部ください!」


「奥サマ……花なんて買っても、屋敷に辿り着く前に全部凍っちゃうよ? 氷漬けの花のアート作品でも作るつもりなの?」


「ふふっ、それはいいアイディアですね! 今度やってみましょうか。でも今回は、私に考えがありまして……」


「はいよ、嬢ちゃん! とりあえず一つにまとめておいたよ。こんなにたくさん買って、パーティでもするのかい?」


「はい! とっても大切な人の、大事な大事なパーティが……」


 女店主が差し出した大きな花束を、アリシアは嬉々とした顔で受け取る。花々の間に優しく顔を埋め大きく深呼吸すると、恍惚とした表情で呟いた。


「はあ……春の……春の香り……」


 花束から顔を上げる際に小枝が引っかかり、被っていたフードがハラリと外れた。

 美しいホワイトブロンズの髪がなめらかにこぼれ落ち、陶器のような肌とエメラルドの瞳が露わになる。その顔を見て、店主がハッと口元を覆った。


「まあ! 嬢ちゃん、えらく別嬪さんだね!? それにその綺麗な髪……もしかして、お貴族様? これはとんだご無礼を……」


「え!? いえ、そんなことは……」


 店主の声につられて、周辺に人が集まってきた。人々はアリシア達を囲み、驚いたり口笛を吹いたりと好き勝手に騒ぎ立てる。


「おい、この辺じゃ見たこともないような美人だぞ! 王都の女優のお忍びか?」


「いや、女優がこんな辺鄙な所まで来ないだろう。もしかして、レイモンド様の新しい奥様とかいう……?」


 その視線は悪意のこもったものではないというのに、状況がアリシアの頭にフラッシュバックを起こさせる。

 雨の中嘲笑と蔑みの目に囲まれ、婚約破棄された日……サンフラワー家で、殺意のこもった周囲の視線に怯えていた毎日……。


「……これは、まずいかもしれないな。逃げますよ、奥サマ!」


「え、わっ、は!?」


 ジャックは固まっていたアリシアの手を引き、風のような勢いで駆け出した。花束を胸に抱いたアリシアは、人々の間を縫いながら必死に足を動かす。


 ようやく馬車に辿り着き、幌付きの荷台に乗り込むと、ジャックはフゥ……と息を吐いた。


「フードを外すなっていうのは、こういうことだったんだね。領主の妻だってバレたら、騒ぎになって帰るに帰れなくなるもんね……」


「な、なぜ、ばれたん、でしょう、か……」


 アリシアは荷台の床に四つん這いになり、肩で息をしながら呟いた。


「だっ……大丈夫!? ごめん、早すぎたね。奥サマはお嬢サマなのに……」


「いえ、ありがとう、ございます……。鍛え方が、足りなかっただけ、で……」


 (「アリシア」だったら大丈夫だったけれど、「ミーシャ」の体は貧弱だから……。ちゃんと働く為に、しっかり食べて筋肉もつけないといけないわね……。)


 一人で反省しているアリシアを、ジャックがじっと見つめて言った。


「奥サマはもっと、自分の容姿に自覚を持った方がいいよ。王都ではどうか知らないけど、田舎のスノーグース領ここでは目立ち過ぎる。それに……」


 暗い荷台の中で、ジャックの顔がグッと近づく。全てを見透かしてしまいそうなペリドットの瞳が、アリシアの視線とぶつかった。


「さっきも思ったけど……ひまわりの目、だね」


 アリシアはバッと勢い良く立ち上がると、ガタガタと音を立てながら荷物の整理を始めた。


「そ、それでは、早く屋敷に帰りませんと! 夜になってしまったら大変でしょう? このお野菜とこのお野菜はひとまとめにして……」


 (私が「アリシア」だってこと……バレてないわよね?  ジャックとは昔、とても仲良しだったけれど……。)


 アリシアの後ろ姿を静かに見つめながら、ジャックは寂しげに微笑んだ。


「……奥サマ、屋敷の人たちに言えないことがあったら、いつでも相談してね。僕、口だけはとても固いから」


 アリシアはゆっくりと首を回すと、隙のない笑顔を彼に向ける。


「お心遣い、感謝いたします。……それと帰りは私、荷台に乗ろうと思いますの」


「ええっ荷台に!? 何故……?」


「ふふっ、私に考えがあるのです。とにかく、操縦はお願いしますね」


 荷台から追い出されたジャックは、中から聞こえる「ふふふふふっ……」という不気味な笑い声に、「嫌な予感しかしない……」と呟いた。

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