第7話 噂話

「ふわぁ……」


 大きな欠伸が漏れる。


 恥ずかしながら初っ端の体育が尾を引き、残りの授業は眠気との勝負だった。

 というより久々の座学だったこともあり、少し疲れてしまったのかもしれない。


 ちなみに体育は鬼ごっこだった。

 十九歳にもなって炎天下の中、鬼ごっこをやるとは思っていなかったが、正直舐めていた。

 当然クラスメイトは能力をバンバン使い、とても普通の鬼ごっこではなかったからだ。

 人ならざる動きをする者、炎を飛ばしてくる者、分身する者など、もはや鬼ごっこにあらずと言った具合だった。

 

「随分とお疲れ気味だな」

「ん、おお、矢崎か」


 そんな颯太に話しかけてきたのは矢崎実やさきみのる

 このクラスの委員長を務めている男だ。


「やはり初めての登校日は大変か?」

「まあ少しはね、でもそこまで苦労はしてないと思う」

「そうか、なら良かった。困ったことがあったら気兼ねなく聞いてくれ」

「了解、頼りにしてます」

「はは、じゃあまた」


 そう言って矢崎は去っていく。

 面倒見が良く、しっかりしている男。

 まさに委員長にピッタリの人物だと言えよう。


「よっしゃ、飯食おうぜ」


 感心している颯太の元へ阿久津は勢いよく肩を叩いた。

 さっきまで居眠りしてたくせに元気なものだ。


「飯って、どこかに食べる場所があるのか?」


 もちろん弁当なんて用意していない。

 生憎と蒼山さんが用意してくれているということもなかった。


「もちろん、食堂で食ったり購買部で買ったりしてな」


 何だかイメージ通りの学生生活に、不思議と感動した。

 中学校までは給食だったことから、学校で自分が好きなものを買って食べられるというのは、不思議な感覚だ。


「おすすめは?」

「間違いなく食堂だろうな、美味くて多い」

「じゃあそこにするか、ってお金は?」


 颯太は今財布を持っていないことに気づき尋ねる。

 非情に癪だが、最悪阿久津に借りなければならない。


「ああ、心配しなくていいぞ。そういうところもガイア同盟が負担してくれてるんだよ」

「そうなのか、太っ腹だな」

「ま、その代わりに俺たちは世界を救わないといけないんだけどな」

「まあ、そうだな」


 颯太は苦笑しながら答える。

 確かに自分たちは相応の対価を払っているのだと。


 ちなみに赤崎は先に別の友達と行ってしまったようで既に教室にはいなかった。


「じゃあ行こうぜ」

「ああ」


 そうして二人は食堂へと向かった。


「いやー、久々の授業はどうよ?」

「それ委員長にも聞かれたよ、まあ変な感じ、でも案外忘れてないもんだなって」


 食堂に向かう途中に二人は簡単な雑談を交わす。


「そりゃあ良かった」


 実のところ勉強は簡単だった。

 中学一年で異世界に転移することになった颯太でも分かるくらいには難易度が低く設定されていた。

 やはり七年ほどもブランクがある我々に合わせた授業内容にしているのだろう。

 もちろん颯太も異世界で多少の勉学には励んでいたことも影響があった。


「ってか、体育の時のことだけどよ、お前って普段能力を使わない性質なの?」

「いや、そんなことはないけど」


 阿久津の指摘に颯太は首を振る。


「じゃあどういうことだ? お前、能力を使う素振りなかったように見えたんだが、まあ身のこなしは凄まじかったけどよ……」

「単に色々と条件があって、さっきは使えるような状況じゃなかったってだけ」

「なるほどねえ、随分と特殊な能力みたいだな」

「使い勝手が悪いだけとも言えるけどな」


 颯太は自嘲気味に笑う。


「ここで使えるようになる見込みはあるのか?」

「まあ一応は」

「そうか、なら楽しみにしてるぜ」

「楽しみにしてくれ」


 颯太はニッと笑って答えた。


 そんなやり取りをしていると、阿久津が足を止める。


「っと着いたぜ、ここが食堂だ」


 食堂という看板が掛けられた建物。中にはたくさんの人々がいた。

 皆、日本人とは思えない髪色や瞳の色をしていることから、やはり異世界帰還者たちなのだろう。

 しかしこうも色々な年代の人が入り混じっていると、ただのフードコートにしか見えない。


「結構人がいるな」

「まあな、でもいつもこのくらいだぞ、ってことで席確保頼んだ」

「は?」


 そう言うと阿久津は人混みの中へと消えていった。


「ちょ、おい!」


 慌てて追いかけようとするが、人の波に阻まれてしまう。


「ったく、しょうがないな……」


 颯太は仕方なく、空いている席を探すことにした。


「あ」


 辺りを見渡しながら歩いていると、とある知人を見つけた。

 数人の女子生徒たちと一緒に食事を楽しむ蒼山さんである。

 彼女は友達の前でもそのクールっぷりを崩さないようで、会話には入っているもののそこまで表情を変えてはいなかった。

 ただ仕事モードの時よりは少し柔らかい印象を受けるような気がする。


「――でね、そのお店すっごく可愛かったの!」

「へえ、今度行ってみたいな」

「うん! 一緒に行こう!」

「蒼山さんはどう思う?」

「良いと思うわ」

「やった、じゃあ決まりだね」


 楽しげに話す彼女たちは、まるで普通の女の子のようだった。

 ただ華やか過ぎるその空間に、とても入っていけそうにない。

 颯太はバレないようにゆっくりとこの場から離れることにした。


「……あ」


 そして蒼山さんと目が合った。

 しまったと思ったがもう遅い。

 合わせるように周囲の女子生徒もこちらを見た。

 何とも言えない気まずさが襲ってくる。


「ど、どうも」


 無視するわけにもいかず、颯太は軽く蒼山さんに会釈をしてこの場から去ることにした。


「お疲れ様です、学校生活は問題なさそうですか?」


 だがむしろ蒼山さんの方が会話を続けようとしてくる。


「ええ、お陰様で……」


 周囲の目が痛い。

 一体お前は何者なんだと、そんな視線を感じる。


「そうですか、それなら良かったです」


 そうして一通りの会話が終わる。

 彼らにしてみれば何の変哲もない事務的な会話だ。

 しかし周囲の人々はそう簡単に納得してはくれるわけもなかった。


「え、蒼山さんが男子と話してる」

「あいつ誰だ、見たことない顔だな」

「あれじゃない? 例の試験官と」


 一気に周囲はざわめき出す。

 颯太は逃げ出したくなった。


「え、蒼山さん、今の男の子誰?」

「私知ってる、確かあの東山先輩を良い勝負したって子だよね」

「ええ、蒼山さん何でそんな子と知り合いなの?」


 蒼山さんの方も周囲の女子たちから質問攻めに合っていた。

 その表情は相変わらず乏しいが、少しだけ困っているように見える。

 助け舟を出したいのは山々だが、そんなことをすれば火に油を注ぐようなもの。

 もはや颯太一人にどうにかできる範疇ではなくなっていた。


「ねえねえきみきみ! 蒼山さんとどんな関係なの?」


 案の定、女子の一人に掴まってしまった。


「えっと……」


 どう答えたものかと悩んでいると、


「……彼は本日付で私のパートナーになったんです」


 蒼山さんが呆れた様子でそう口を開いた。

 彼女もこれ以上の面倒事は避けたかったのだろう。

 ただその発言が誤解を招いてしまう可能性があるということは、颯太でさえ気付いていた。


「え、パートナー!?」


 案の定、勘違いを起こしてしまった。

 そりゃあパートナーと聞いたら、別の方を想像してしまうのも無理はない。


「蒼山さん、本当?」

「これは大事件の予感」


 どこからか噂が広まっていく。

 このままでは大変なことになりそうだ。


「おっす如月、席は確保して置いてくれたか……って、これ何があったんだ?」


 そんな中、阿久津がやってきた。

 タイミング良いと言うべきか、悪いというべきか。


「あー、ちょっと変なことになってて」


 颯太は何とか事情を説明しようとするが、上手く言葉が出てこなかった。


「うん、さっぱり分からんが、お前が愉快なことになっていることだけは分かった」

「お前なぁ……」


 ダメだ、こいつは当てにならない、と颯太はため息をつく。

 やはり手っ取り早くこの場を収められるのは蒼山さんしかいないのだが、彼女は目に見えて困惑していた。

 こうなっては自分がどうにかするしかないと、颯太は口を開く。


「あの! 蒼山さんとはそう言った関係とかじゃなくて……」


 ザワザワとはやし立てる声が大きくなる。


「補佐官に就いていただいただけなんです!」


 できるだけハッキリと伝わるように声を上げた。

 一瞬、シンと静まり返った周囲だったが、


「あー、そういうこと!」

「なーんだ、ようやく蒼山さんに春が来たって思ったんだけどなぁ」


 彼女たちは蒼山さんの事情を知っているらしく、あっさりと納得してくれた。

 これなら最初から言っておけばよかった、と颯太は肩透かしの気分になる。

 周囲の人々も大分落ち着きを取り戻したようで、特に男子たちは良かったとホッとしているように見えた。


「すいません、お騒がせしました……」


 ペコリと頭を下げる蒼山さん。


「いえ、こちらこそ……」


 それに釣られるようにして颯太も謝罪をした。

 こうしてお昼の一幕は幕を閉じる。


「え、お前蒼山さんと知り合いなの!?」


 そんな阿久津の一言だけを残して。


 


 それから食事を済ませて教室に戻ると、赤崎が真っ先に駆け寄ってきた。


「ねえ、如月君が蒼山さんと付き合ってるって本当!?」

「いや……それは誤解で」


 彼女は食堂にはいなかったはずだ。

 だというのになぜ知っているのか。

 それはすなわち学校中にその話が広まっていることを示していた。

 しかも最も重要な誤解だということが伝わらずにだ。


「え、そうなの?」

「間違いなく」

「そ、そうなんだ、良かったぁ」


 そう言うと彼女は胸を撫で下ろしていた。


「あ、でもだったら何でそんな噂が?」


 小首を傾げる赤崎。


「簡単に言うと、蒼山さんは俺の補佐官に就いてくれることになったんだよ」


 再び誤解を招かないように簡潔に答える。

 これで問題ないだろう。

 だが次も彼女は驚きの声を上げた。


「ああ、そういうことなんですね……ってええ、蒼山さんが補佐官ですか!?」

「まあ、そういうことになる」

「そ、そうなんですか、それはまた……凄いですね」


 赤崎は力なく笑う。


「だよなあ、俺もあんな美人な先輩とお近づきになりてえよ」


 今は関係ないので阿久津は無視。


「やっぱり凄い人なのか……」

「ま、まあそうですね……とってもお綺麗ですし」


 まだ編入したてであろう赤崎までもがその存在を認識しているということは、やはりその人気は凄まじいのだろう。


「あんまり嬉しそうじゃないですね?」

「え、そう見える?」

「まあ、そうですね、普通だったら飛んで喜ぶと思います」


 赤崎はそう言って阿久津を見る。

 まあ確かに、と颯太は苦笑した。


「まあまだあんまり凄さが分かってないだけかも」

「そういう問題ですかね……?」


 赤崎が乾いた笑みを浮かべながら呟く。


「こりゃあ、面白いことにはならなさそうだ」


 呆れた様子で阿久津の呟いた。


「何がだよ」

「いーや、なんでも、ってかあんな四天使を前に良くもまあ平然としてられるよな」

「四天使?」


 突然ファンタジー用語を繰り出した阿久津に颯太は呆れた顔を向けた。


「まあお前は知らなくて当然だが、さっきの蒼山先輩を含めた四人はこのアカデミアで抜群の人気を誇ってるんだよ! それでいつしか付いたあだ名が四天使ってわけだ」


 意気揚々と語る阿久津のそれはまさにファンそのものだった。

 とはいえ阿久津の場合だと、純粋なファンというよりは単に面白そうだから注目しているといった意味合いの方が強い気がする。

 先ほどの騒動においても、熱狂しているという素振りは見られなかった。


「そうなのか」


 まるでドラマのようだ。

 しかしそれを本当だと思えるほどのオーラはあった。

 随分と凄い人が補佐官になってしまったようだ。


「そうなんだよ、だからお前はもうちょっと周りに気を付けろ、暗闇でブスっとなんてこともあり得る」

「ないだろ」


 冷静に指摘する颯太。


「おいおい、人の感情ってのを甘く見過ぎなんじゃないのか?」

「お前の方こそな」


 いつものやり取りを繰り返している内に、時は流れ、


「よーし、お前ら席につけー」


 担任の先生が教室に入ってくる。


「うっし、午後も頑張るか」

「じゃあ寝るなよ」

「約束はできん」

「……嘘でも意気込みは語れよ」

「俺は嘘は言わん男だからな」


 何て言ってどや顔する阿久津。

 呆れたまま颯太は席に着く。


「はいはい、じゃあ頑張ってくれ」

「おいおい、随分とおざなりだなあ」


 すっかり日常と化したやり取りを交わしながら、午後の授業が始まったのだった。

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