第1章 この世界の日常

第1話 帰ってきた勇者

 視界が反転し、ほんの少しの気持ち悪さの後、段々と焦点が定まっていく。

 そんな中、肌寒い風が頬を撫で、身体を小さく震わせる。


「……戻ってきたんだな」


 視界にはひび割れたアスファルトの地面。

 ただそれだけのことなのに、颯太は懐かしさを感じずにはいられない。


 感傷的な気持ちのまま顔を上げると、丁度月が雲に隠れ、辺りは真っ暗な静寂に包まれていた。

 暗くて良く分からないが、どうやらここは転移前に立っていた場所らしい。


「さてと……帰るか」


 およそ七年ぶりの我が家へ、颯太は歩き出す。

 父さんと母さんの待つあの家へと。


 父さん、母さんは元気にしているだろうか? 今更ながら心配になってくる。

 七年というあまりにも長い年月を異世界で過ごしてきたのだ。

 連絡の一つも寄越さず、いきなり息子が現れても困ってしまうかもしれない。


「……ん?」


 しかしそんな颯太を待ち受けていたのは、予想だにしない現実だった。


 ここは周囲より小高い場所にあるため、町全体を見下ろすことができたのだが……。


「……暗すぎる」


 颯太は暗闇に包まれた故郷に強い違和感を覚えた。

 夜中だからというわけではない。

 本来ならば煌々とした明かりで彩られているはずの街灯も、住宅も、コンビニも、全てが暗闇に覆われている。

 まるで停電でもしているかのような、そんな光景。


 しかし雲の隙間から月明かりが顔を覗かせ、次第にその全貌が明らかになる。


「なんだこれ」


 目の前に広がったのは廃墟のような光景だった。

 壊れた建物に荒れ果てた道路。

 七年という月日が生み出した光景とはとても思えない。


 颯太は一抹の不安を覚え、急いで駆け下りていく。

 言いようのない不安が胸を締める。

 そして、その不安は形となって目の前に現れた。


「嘘だろ……?」


 それは紛れもない、自分の実家。

 いや正確には、かつての実家だったものがそこにはあった。

 見覚えのある門構えに、玄関まで続くアプローチ。

 そのどれもが記憶にあるものと相違なかった。


 だが、違う。

 決定的に何かが違う。


 その全てが著しく朽ち果てていた。

 母が手入れをしていた庭はすっかり荒れ果て、毎日のように入っていた玄関はその面影が感じられないほどにまで崩れている。

 何よりも、人の気配が全くしなかった。



 一体何が……? そんな自分の不安をかき消すように敷地内に足を踏み入れた。

 だがそこでふと気づく。


「なんだ、この足跡……?」


 雑草だらけの庭に、明らかに最近できたと思われる大きな足跡が残されていた。

 何か大きな動物が通ったのだろうか。大きさからして犬や猫の類ではない。とはいえ熊や猪といった大きな動物がこの町で出るとは考えにくい。

 妙な胸騒ぎを覚えつつ、家の前まで辿り着く。


 ボロボロになった木の板はもはや扉の役目を果たしておらず、触れば簡単に崩れ落ちてしまうであろう状態だった。

 しかしこの風化具合を見るに、ここ最近の出来事ではなさそうだ。

 少なくとも一年以内の出来事ではないはず。

 つまりこの家は一年以上前から無人だったということだ。


 とはいえこれ以上、有益になりそうな情報は見つかりそうにない。

 それこそ誰かに話を聞かない限りは何も分からないだろう。


「はあ……」


 颯太は深く溜息をつく。

 まさか異世界から帰還して早々こんな事態に遭遇するなんて。

 これからどうしようかと悩みながら、颯太は街中を練り歩く。


「っ!」

 

 突如として、背後に異様な気配を感じた。

 慌てて後ろを振り向こうとした時、背中に大きな衝撃が走る。


「ぐっ……!?」


 あまりにも予想外の衝撃に颯太は瓦礫の山に激突した。

 衝撃で肺の空気が口から溢れるが、すぐさま痛む身体を無理やり起こし、振り返る。


「なっ……!」


 目の前には自分を弾き飛ばしたであろう張本人が立っていた。

 大きな体躯に黒い体毛。

 そして何もかも燃やし尽くさんとする深紅の瞳が颯太を見据えている。


「あり得ない」


 思わず出た言葉。

 颯太は知っていた。

 否、正確にはこの個体ではなく、それに分類する怪物の名を。


「……魔物」


 それは異世界にて生態系の頂点に位置する最強の生物の名前。

 魔力で動き、魔力を求める破壊の化身。

 そしてまさしくそれは異世界で幾度となく戦ってきた人類の敵、そのものだった。


「なんでここに……」


 意味が分からなかった。

 この世界に魔物なんているわけがないのだから。

 

――いや、今はそんなことを考えている場合じゃない!


 颯太はすぐさま立ち上がろうとした。

 しかしいかんせん足場が悪く、すぐには立ち上がることができない。

 そしてその隙を魔物が見逃すわけがなかった。


「クソっ……」


 遅かった。

 そう直感が告げる。


 もはや間に合うような距離ではなかったのだ。

 せめて致命傷を逃れるだけでも、と颯太は必死で身体を反らす。


 だがその瞬間突如として、数回の破裂音が鳴り響いた。




 そして一瞬の静寂。

 颯太の身には何も起こらなかった。

 何故ならこちらに攻撃が届く前に、奴の身体が大きく横に弾き飛ばされたからだ。


「……なにが?」


 何が起きたのか理解できないまま、颯太はひとまず立ち上がった。

 するとそこには武装した男たちが数人。

 皆、小銃のようなものを魔物に向けて構えていた。


「おい、無事か?」


 その内の一人が声をかけてきた。

 顔はヘルメットを被っていて見えないが、その声音からこちらを心配していることが分かった。


「あ、はい、大丈夫です!」

「そうか、なら良かった。よしお前ら行くぞ」


 男の声に反応し、他の男たちも一斉に動き出す。

 彼らは手にした小銃を魔物に向けると容赦なく発砲し始めた。

 魔物の断末魔が響き渡り、次第に小さくなる。

 やがて完全に沈黙したのを確認すると、ようやく銃口を下げた。


「あの、貴方たちは……?」


 颯太は彼らに問いかける。

 警察、もしくは自衛隊なのかと思ったが、どうも違うようだ。


「悪いが、今は直ぐにここを離れるべきだ」


 先ほどの男がそう言って、周囲の警戒を始めた。

 それに呼応するように周りの男たちも武器を構え始める。

 まるで襲撃を警戒しているかのように。

 その様子に、颯太はただならぬ雰囲気を感じ取った。

 ここは素直に彼らの指示に従ったほうがいいだろう。


「今の音を聞いて奴らが集まってくるかもしれないんだ、分かってくれ」

「分かりました」


 颯太は小さく返事をし、彼らと一緒にその場を離れた。



 それから数分あまり歩いたところで、男たちの警戒が緩んだのを感じ取り、颯太は声をかけた。


「あの、さっきはありがとうございました」

「気にしなくていい、無事で何よりだ」


 男はぶっきらぼうに答えたが、その口調からは温かみを感じることができた。

 とはいえ雑談を交わせるような雰囲気ではなく、それだけ言って颯太は再び黙り込む。


 再び沈黙の中、移動を続ける。


 しかし酷いありさまだった。

 街灯は消え、建物は薄汚れ、道路もアスファルトが剥がれ、ひび割れている。

 記憶の中にある故郷とはあまりにもかけ離れた姿に心が痛んだ。

 一体何があったのか、今となっては概ね予想することができる。

 十中八九魔物が絡んでいるのだろう。

 そうでもなければ、これほどまでの変貌を遂げることは考えられない。



 しばらくして、降りた踏切の前で男が立ち止まった。


 当然電車を待っているわけではない。

 それはあの寂れたホームと線路がそれを物語っていた。


 その最中に音もたてず踏切がゆっくりと上がっていく。

 

 彼らは特に反応することなく再び歩き始めた。

 再び無言の時間が待ち受けているのかと、思っていた折、彼は急に立ち止まり、後ろを振り返る。


「そろそろ大丈夫か……ああそうだ、君の名前を聞いてもいいか?」


 男たちの緊張が一気に緩和していくのが確認できた。

 どうやらここからは安全地帯らしい。


「あ、はい。俺は如月颯太きさらぎそうたと言います。年齢は……ええっと」


 自分の歳を答えようとして固まった。

 七年間異世界にいたことは確かだが、この世界においても丁度七年経っているかどうかは分からない。

 それこそ世界がここまで一変しているのだから、想像以上の年が経過している可能性もある。


「ちなみに今は西暦2023年だ」

「えっ……あ、はい、じゃあ……年齢は十九歳です」


 まさかの絶妙な助け舟に逆に困惑する。

 ただどうやらこの世界と異世界は時の流れが同じであったことを知れたのは幸いだった。


「そうか十九歳か、随分と大変な思いをしてきたんだろう。私は高橋という者だ、これからよろしく頼む」

「は、はい……よ、よろしくお願いします」


 何だか意味深な高橋の問いに、颯太は戸惑いながらも差し出された手を握り返した。

 颯太の手はゴツゴツとした大きな手に包まれる。


「……そうだな、単刀直入に言うべきか」


 高橋と名乗った男は少し考えた後、こう言った。


「君は異世界からの帰還者、間違いはないか?」

「…………え?」


 颯太は一瞬、何を言われたか理解できなかった。

 あり得ない、分かるわけがない。

 今までの会話の流れで、そんな夢物語の結論に辿り着くわけがないのだ。


「その反応だと、そうなんだろうな」


 しかし颯太の反応を見て、男は確信を得たように呟いた。


「まあ驚くのも無理はない、ただ詳しい話はまた後で話すことになるが、まあ簡潔に言えば俺たちにとって異世界の存在は当たり前になっているからだ」

「……そう、なんですね」

「そうだ。君も見たはずだ、先ほど倒した怪物の姿を」


 魔物。

 確かにあれはこの地球上には存在しなかったものだ。

 それこそ異世界でしか見たことがなかったもの、ということはすなわち――

 

「初めて確認されたのは六年前、奴らは突然現れた。未確認生物だと騒がれるほどには注目を集めていたんだが、そんな浮ついた話題も一瞬で消し飛ばしてしまうほどの事件が起きた」


 苦々しい顔をしながら高橋さんは続ける。


「奴らによる大量虐殺事件、その事件を皮切りに世論は一変し、すぐさま対策を取るように政府へ働きかけたが、もう既に取り返しのつかないところにまで来てしまっていた。

奴らはとんでもないスピードで人類の文明を侵略していき、多くの人々が国々が崩壊していった。善戦した国もあったと聞いている、だがそれでも勝利することは叶わず、遂には人類は滅びの危機に立たされたんだ」


 彼の声音、表情から、当時の凄惨さが伝わってくるようだった。


「そんなことが……」


 とても信じられるような話ではなかった。

 しかし先ほど見てきたような荒廃しきった景色を見た以上、納得せざるを得ない。

 まさか自分が異世界に行っている間に、この世界がこんなことになっているなんて。

 颯太は己の無力感に歯噛みした。


「本当に地獄のような日々だった、住む場所を奪われ、無実の市民たちが大勢命を落とす。そんなことあってはならない現実だ」


 高橋さんは苦々しい表情で呟く。


「もはやこのまま人類は滅びてしまうのではないかと――だが我々に希望が訪れた」


 そう言って高橋さんは颯太を見つめる。


「そう、君のような異世界から帰還した者たちだ」

「異世界から……」

「そうだ、君たち帰還者は例外なく高い戦闘力を有している。その能力を活かして、我々は魔物に対抗する術を持つことができた」


 高橋の声に力が籠る。


「そして世界の希望たる君たちのことを、我々は敬意を込めて帰還者ユリシーズと呼んでいる」

「俺が、帰還者ユリシーズ……」

「ああ、そうだ。君もその一人だ」


 その言葉を噛み締める。

 まさかこの世界でも称号を得ることになろうとは。


「そしてここが、人類の希望が集ってできた場所――ガイア同盟東京支部だ」


 高橋さんの視線の先、そこには文明の光がいくつも灯っていた。

 ここが東京だということを加味すれば乏しい光だ。

 しかしその光こそが、人類の明日を照らす灯火なのだ。


「たくさんの人たちのお陰でようやくここまでくることができた」


 そう語る高橋の瞳は、どこか遠くを見ていた。

 まさに多くの人たちが結集してここまで人類を再興させることができたのだろう。

 多くの犠牲を出し、多くの敗北を重ねても、決して諦めなかった。

 きっと、その先に未来があると信じて。

 そんな彼らはまさに英雄だ。

 颯太は彼らの姿を気持ちを想像し、心が熱くなった。


「……如月颯太君、異世界からの帰還者である君に頼みたいことがある」


 高橋さんは真剣な眼差しを向けてそう言った。

 何となくだが彼の言わんとしていることは分かっていた。


「これから世界を救うためにガイア同盟の一員として戦ってくれないか?」


 考えるまでもない。

 颯太の中で既に答えは決まっていた。


「もちろんです。是非協力させてください!」

「……迷いはないのか?」


 そんな高橋の問い。


「はい、世界を救うことに迷いなんてありません」


 正真正銘の本音だった。

 颯太にとって力を持つ者は、誰かのために戦うことは当然のことなのだから。


「そうか……如月颯太君、君の加盟を歓迎する。ようこそガイア同盟へ」

「はい、よろしくお願いします」 


 こうして颯太は、異世界で得た力を胸に、人類の希望――《帰還者》としての戦いに身を投じることになるのであった。

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