第3話 姉と妹
就職してしばらくして。
一度だけ実家に戻った。
来なくていいよ。嫌な思いをするだけだから。
そう言って、私の帰郷を拒んでいた母さん。
でも、どうしても伝えたいことがあった。
「私の所に来ない? 仕事も落ち着いてきたし、母さん一人ぐらいなら養えるから」
そう言うと、母さんは声を上げて笑った。
「しばらく会わない内に、随分偉くなったわね」
「まあ、ね。でも本心なの。私は母さんと暮らしたい」
「ありがとう。そんな風に言ってもらえて、嬉しいわ」
「じゃあ」
「でもね、ごめんなさい。私はこの家に残る」
「……本当はあの時言いたかった。この村を出る時、一緒に行こうって言いたかった。でも学生だった私には、母さんを養っていく自信がなかった。
でも今なら言える。たった一人でこの家を守ってきた母さんを、私は救いたい。私たちに何もしてくれなかったこんな村、捨てたっていいじゃない」
「そうね、そうかもしれない。でも駄目なの」
「どうして」
「前に言ったかもしれないけど、これは私の人生、私の選択なの。私は自分の意思で、今の生き方を選んだ。もし私が家を捨てたら、全部なくなっちゃう。それは嫌なの」
「なくなったりしない。母さんがこれまでやってきたこと、全部私が知ってる。それに母さんは、私と姉さんを育ててくれた。自分の人生を犠牲にして、私たちを一人前にしてくれた。私と姉さんの今があるのは、母さんのおかげ。だから母さんにも、幸せになってもらいたいの」
「だから言ったのよ、ありがとうって」
「……」
「多分お姉ちゃんも、同じことを思ってくれてると思う。本当に私は、優しい子供に恵まれて幸せだわ」
「もっと幸せになろうよ。今からだって遅くないから」
「ううん、これで十分。私は本当に幸せ。これ以上望んだら、罰が当たっちゃう」
そう言って母さんは笑った。
それが私の見た、最後の笑顔だった。
葬式は盛大に執り行われた。
喪主になったのは、新たに本家の当主になった叔父。
姉さんではなかった。
姉さんは「いいのいいの、ほっとしたよ」と笑ってたが、相変わらず失礼な人たちだ。
私たちは唯一の肉親でありながら、末席に追いやられた。
親族の誰一人として、私たちに声をかけてこない。
子供の頃からよく知っている住職ですら、目も合わせてくれなかった。
ーー村を捨てた裏切り者。
そんな空気がビシビシと伝わってきた。
喪主である叔父が、母さんを誇らしげに語る。
彼女は一人この村に入り、村の為、家の為に全てを捧げてくれた。この家の繁栄は、彼女なしには成しえなかった。私たちは彼女の意志に感謝し、受け継いでいかなくてはならない。
馬鹿が。
詭弁ばかり並べるな。
お前たちのしてきたこと、何一つとして忘れてはいないぞ。
そんな言葉を何度も飲み込んだ。
いつの間にか、姉さんが私の手を握っていた。
震える手。でも温かい手。
私も握り返した。
そして見つめ合い、小さくうなずきあった。
骨上げでも、私たちは末席だった。
最後まで、この人たちは失礼だ。
どんな過去があろうとも。どんな理由があろうとも。越えてはならない一線というものがあるだろう。
そう憤ったが、それもまあ、母さんなら笑い飛ばしていただろう。
私たち姉妹には、骨上げ自体させてもらえなかった。
ここにいさせてもらえるだけでも感謝しろ。裏切り者め。
そんな
私と姉さんは示し合わせた通り、親族が立ち去る隙をついて、母さんの骨を素手でつかんだ。
台が熱くて、少し火傷してしまった。
二人でトイレまで走り、持っていたロケットペンダントに骨を入れる。
そして顔を見合わせ、笑った。
49日は来なくていいよ。私もこれで最後だから。
私が先に家を出て、あんたには辛い思いをさせてしまった。
姉なのにごめんなさい。
だからせめて、最後ぐらいはさせてちょうだい。
あいつらの相手は私に任せて。
私は久しぶりに、姉さんと抱き合った。
別にわだかまりがあった訳じゃない。
恨んだ時期もあったけど、今となってはどうでもいいことだ。
ただあの時以来、こうして姉妹としての会話をした記憶がなかった。
これからはもう少し、機会を作っていこう。そう思った。
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