15.小説家は、箱入り娘と出会う。
ルイスは、パンネクック広場内に立ち並ぶ露店を眺めながら、ベンチへ座っていた。背中や腰を擦り、上体を前後左右に伸ばしていく。
「あれ? 他の奴ら、まだ帰ってねぇの?」
バナナブレッド片手に、オットーが戻ってきた。
「ううん、一回帰ってきたよ。けど、また行っちゃった。向こうの方で、美人な踊り子さんが踊ってるんだって」
「マジか。えー、何だよ。俺も誘えよー」
ルイスの隣へ腰掛け、大口を開けてバナナブレッドを頬張る。
「てかさ、お前は見に行かなくていいわけ?」
「僕は、いいや。今はそれより、休みたい。もう背中が限界」
「そんなにか。え、どこ? ここ?」
「あ、もう少し上。もう少し、あ、そこ。あー、そこそこ」
眉を顰め、ルイスは唸る。オットーは笑いながら、ルイスの背中を指で押した。
「うー、ありがとうオットー。ちょっと楽になった」
オットーは、「いいって事よ」と手を揺らすと、ベンチの背に凭れ掛かる。
「でも、思いの外こってたな。なんなら変わるか? 靴の中に板でも仕込めば、身長足りないの誤魔化せると思うし」
「ありがとう。でも、大丈夫。疲れてはいるけど、変わって欲しい程じゃないから」
「本当かよ?」
「本当本当。それに、自分で言うのもなんだけど、友達内では、僕が一番ヘンドリックに似てると思うんだ。今回の作戦では、出来る限りラビットの目を騙し続けなきゃいけないわけだし、その為にも、適役が身代わりを務めるべきだよ」
「いや、まぁ、それはそうかもしれねぇけど」
「大丈夫だって。疲れたからって、へまはしないよ。その前に、ちゃんと自己申告するから」
「俺が心配してるのは、そこじゃなくてさ」
と、しばし唇を蠢かせ、オットーは、手に持ったバナナブレッドへ視線を落とす。
「その……大丈夫なのかなーと、思ってさ」
「大丈夫って、えっと、何が?」
「いや、だからさ……人の恋路、とかさ。協力するの、負担になってたりは、しないのかなーと」
決して顔を上げず、訥々と口を動かしていく。
「ほら、自分の恋が、あれだとさ。他人が恋人と幸せそうにしてるのを見ると、辛いっていうか、妬ましいっていうか、そういうのあるじゃん? で、そんな自分に、自己嫌悪したり、気分も下がって、みたいな、そういう悪循環って、あるじゃん? でもお前って、何だかんだで優しいし、人の頼みとか断れない方だから、実際は、どうなのかなーと、思ってみたりしたり?」
あぁ、とルイスは、苦笑を零した。
「気を遣ってくれてありがとう、オットー」
「いや、俺は、別に」
「うん、でもね。自分でもびっくりする程、平気なんだ。最初から、望みなんてなかったからさ。だから、逆にヘンドリック達を応援したいっていうか、僕の分まで幸せになって欲しいっていうか……きっと、ヘンドリック達に、自分を重ねてるんだと思う。二人の恋の協力をして、仲が深まっていくのを見て、自分もそうであるような気になってるというか、そうやって、自分を慰めてるのかも」
はは、と笑う幼馴染を、オットーはそっと窺う。
「だからね、大丈夫。無理なんか、これっぽっちもしてるつもりないよ」
「……そっか」
オットーは、ふと口角を引き上げた。
「でも、あれだぞ。疲れたらすぐ言うんだぞ。いつでも変わるからな」
「うん、ありがとう」
「それから、どっか行きたいとことかあったら、遠慮なく言えよな。例の綺麗な踊り子を見に行きたかったら行ったっていいし、なんならナンパしに行ったっていいんだからな」
「え、あ、うん。ありがとう。でも、ナンパは、いいかな」
「何言ってんだ。祭といえば、可愛い子をナンパするのも醍醐味の一つだろうが」
そう、なのだろうか。ルイスは空笑いを浮かべ、さり気なく辺りを見やる。
「そ、そういえば、皆、遅いね。そろそろ帰ってきてもいいと思うけど」
「確かにそうだな。そんなに踊り子が踊ってんのかね?」
「どうだろう。もしくは、別の踊り子さんに目を奪われてるとか?」
「あー、それあり得るー」
ふは、とオットーは吹き出した。ルイスも笑って、立ち上がる。
「僕、ちょっと見てくるよ。ついでに、何か食べるもの買ってくる」
「おー、じゃあ俺、ここで待ってるわ。あ、そうだ。向こうの方に、リコリス菓子屋の婆ちゃんいたぞ。俺の顔見た途端、『ルゥちゃんはいないのかい?』って言ってたわ」
「分かった。ありがとう」
ルイスは手を挙げ、オットーが指した方向へ足を進めた。赤いロングコートを揺らしつつ、露店の商品を眺めていく。
賑やかな広場は、赤に満ち溢れていた。けれど、ルイス程赤を纏う者はいない。余りの派手さに、何度か大道芸人と間違われてしまった。期待の眼差しを送ってくる子供に謝りながら、オットーに教えて貰ったリコリス菓子屋へと向かう。
つと、前方から歓声が上がった。
人だかりの真ん中から、軽快な音楽と、露出の多い恰好で舞う踊り子の姿が見える。
踊り子の笑顔越しに、にやけ下がる友人達の姿も発見した。
全く、しょうがないな。
苦笑を浮かべ、ルイスは仲間の元へ近付いていった。
「――ちょ、困るよ、お嬢さん」
近くの露店から、聞き慣れた老婆の声がする。リコリス菓子屋のお婆ちゃんだ。
ここにいたのか、と振り返ったルイスは、ぎょっと目を見開いた。
老婆の前には、一人の少女がいる。
頭に被ったショールで顔を半分隠しているが、それでも素晴らしい美貌の持ち主だと窺い知れた。肌も白く透き通り、なにより、全身に纏う気品から、育ちの良さが表れている。
だが、そんな美しさより、もっと目を引くものがあった。
小さな手に握られていたのは、間違いなく大金貨だ。
そんな大金を、何故ルイスと同年代の女子が持っているのか。百歩譲って持っていたとしても、間違いなく露店で使う硬貨ではない。精々、その百分の一の額で十分だ。
「こ、こんなもの、そう簡単に見せびらかしちゃ駄目じゃないか」
顔を引き攣らせた老婆は、慌てて少女の手を握り込んだ。大金貨を周りから隠し、急いで巾着へ戻させる。
「え、でも、お金を払わないと」
「それでもだよ。分かったね。さぁ、早くおしまい。誰かに見られる前にね」
そう言って、少女の懐へ巾着を押し込んだ。
少女は困惑した様子で、それでも支払いについて口にする。何故老婆がこれ程焦っているのか、分かっていないようだ。
随分と危なっかしい子だな。
ルイスは、自身が通うファント・ホッフ学院でもお目に掛かった事のない箱入り娘ぶりに、思わず息を漏らす。
その時。
不意に視界の端へ、何かが掠めた。
踊り子を見物している人だかりの奥に、ガラの悪い男が数名、見える。仲間同士で何やら話をしては、度々同じ方向へ視線を流した。
その先にいるのは、少女。
正確には、つい先程大金が隠された、少女の懐辺りだ。
ルイスの背筋へ、冷たいものが走った。
ほぼ同時に、男達が動き出す。
迷いのない足取りを見て、ルイスはその場に立ち尽くした。男と少女を見比べながら、頬を青褪めさせていく。指先が意思とは関係なく震え、腰も徐々に引けていった。
けれど、と、ルイスは戦慄く唇を噛み締める。
踵を返し、足早に少女と老婆の元へ向かった。
「お、お婆ちゃんっ」
突然割り込んできたルイスに、少女とリコリス菓子屋の老婆は、目を丸くした。しかし常連客と分かるや、老婆は顔を皺くちゃにして笑う。
「おや、ルゥちゃんじゃないかい。いらっしゃい。今日も世界一不味いのを取り揃えてあるよ」
「あ、う、うん。お菓子は、後でまた買いにくるから。それより、君」
ルイスは、少女を振り返る。
「今すぐ、ここから離れた方がいいよ」
え、と少女は、戸惑い気味にルイスを見つめる。老婆も、眉を顰めた。
「なんだい、いきなり。そんな不躾な事言ったりして」
「ぶ、不躾なのは、分かってるけど、でも、本当にすぐ離れないと、不味いんだ。この子が危ない」
ルイスは、近付いてくる
老婆もすぐさま気が付いた。眉を吊り上げ、声を潜める。
「ルゥちゃん。悪いけど、このお嬢さんをうちの店まで案内してくれるかい? 旦那が店番してるから、事情を説明して裏から逃がして貰いな。もし店に着く前に追いつかれそうになったら、その時は大声で警備隊を呼ぶんだよ。あの辺は屯所も近いし、警備隊員もよく見廻ってるからね。すぐに助けがくるさ」
「分かった。ありがとう、お婆ちゃん」
「頼んだよ。お嬢さんも気を付けな」
ルイスは軽く頷くと、「ちょっとごめんね」と少女の肩を抱いた。後ろから押すようにして、速足で歩き出す。
「え、ちょ、な、何?」
「本当にごめん。今は、説明してる暇も惜しいんだ。兎に角、急いで。お願いだから」
「そ、そんな事を、言われても」
「もし、歩き辛いようなら、僕に捕まっていいから。なんなら、体重を掛けたっていい。だから、どうか信じて付いてきて」
ルイスは、前だけを見て足を動かした。
少女から、未だ戸惑った雰囲気が漂う。
それでも、そっと赤いロングコートの裾を摘まんだ。
ルイスを支えに、崩れそうだった体勢を整える。
ありがとう、と小さく呟き、ルイスは一層足を速める。追ってくる背後の気配に注意しつつ、パンネクック広場を後にした。
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