気が重い(1)




 大西弘明は気が重かった。


 福祉事務所の福祉課福祉係に配属になってまだ半年程度だが、生活保護受給者宅への訪問は、今でも全く慣れない。


 特に今から訪問する生活保護受給者、板倉忠男に対しては、今日の訪問でどうしても伝えておかないといけないことがある。


 そのことが大西弘明の気を重くしていた。


 数日前、一人で板倉忠男宅を訪問することに気が進まなかった大西弘明は、板倉忠男の住む自治体である坂中町役場の住民福祉課福祉係長の長田義雄に同行を依頼したが、長田の返答はある意味予想どおりのものだった。

「すみませんねぇ、大西さん。こっちもいろいろと忙しくてねぇ。なんせ急にまた寒さがぶり返したでしょう? 引取り手のない死体がけっこう発見される時期なんですよぉ」

 そこを何とか、と沈痛な声ですがる大西に対して長田は、

 それに4月の準備とかもありますしねぇ、県職員さんと違ってぇ町のしがない公僕は何だかんだやることがあるんですよぉ、とすげなく断っていた。


 全く、冗談じゃない。

 こっちだって、生活保護受給者の面談だけやっていればいいって訳じゃないんだ。

 町の有力者の息子で役場にもコネで入り、今の部署も来年には異動になって総務課あたりに落ち着いて、50歳を過ぎた辺りで町長選挙に出ようかみたいなあんたの方がよっぽど恵まれてるってもんだ。

 大西は、長田の脂ぎった額とねっとりした喋り方を思い浮かべ、心の中で毒づいた。



 訪問先の板倉忠男の住居は、一軒家を真ん中で2分割し、2世帯が入る平屋建ての借家だ。築年数は4、50年は経つだろう。ところどころ補修はしてあるものの、みすぼらしく感じるのは仕方がない。

 大西は平屋建ての借家の前の、軽自動車がギリギリ2台停められる程度の広さの駐車スペースに車を停めた。昨日降った雪が30cm弱積もっており、ヘタった軽の公用車をバックでかなり強引に突っ込まないといけなかった。

 この借家の2世帯は、どちらも独居の生活保護受給者だ。

 向かって右側には金井秀子という73歳の女性が住んでおり、左側に板倉忠男が住んでいる。

 大西は、面倒ごとはなるべく後に回したい方だった。

 当然のように左側の金井秀子宅にまず足を向けた。


 40分間金井秀子の愚にもつかないお喋りにひたすら相槌を打っていた大西は、この後控える気の重さを一瞬忘れ、金井秀子宅を出た瞬間に開放感を味わった。

 なにしろ、話の潮を見て金井秀子宅を辞去しようとすると、それを察するかのように新たな話題を投げてよこし、それを拾ってまた喋り出すのだ。そんな攻防が20分は続いた。知人が多いと自慢気に話す金井秀子だが、何だかんだで最近は訪ね訪れする相手も減っているのだろう、とにかく話相手に飢えていた。

 そんな中で隣の板倉忠男について金井秀子は「何か持ってってやってもよ、礼の一つもありゃしねえんだ」と一応の交流はあるが話相手にはならない不愛想さだと何度も繰り返しこぼしていた。


 大西弘明は、孤独な老女のお喋りから解放されて新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。


 さて、と……行きたくないが、行くしかない。

 一応玄関周辺の雪を片付けてあった金井秀子宅の玄関前から、積もった雪に長靴で深い足跡を穿ちつつ大西は板倉忠男の借家の玄関に向かった。








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