ランドリタワー
体についたケミカル臭と熊の血の匂いで頭がクラクラしてきた。俺はTシャツを脱いでから猟銃をガラスに向けて投げつけた。痩せ型の体ではあるがコンクリートに囲まれた空間で上半身裸になるのは羞恥心が湧いてくる。転がったテーブルの裏には緑色の塗料のようなものが塗ってあった。おそらく水鉄砲の中に入っていた液体は麻薬のようなものなのだろう。クソ汚い蜂蜜だな。何が餌だ体の良い動物虐待じゃないか。
ピエロからのアナウンスはなくただ奥のコンクリートの壁がスライドして開いた。暗い壁の奥は最終ゲームの会場から差し込む明かりで直線上の通路だということがわかった。何回か咳き込んでからスマホもトートバッグも拾うことなくその通路に足を踏み入れた。賞金で新しいスマホを買う。
数歩踏み出すと同時に壁が閉じていく。熊の檻から伸びる光は徐々に消えていった。俺は立ち止まって様子を伺った。どんなに身構えても何かされたら死ぬことは承知の上だった。俺は仁王立ちしながらに頭をかいて汗を払った。
真っ暗になった通路に光が差した。その光源は壁に埋め込まれた五つの画面から発せられていた。
閉じた壁の近く。一つ目の画面の前まできた俺はまず映像を見た。月明ウルフが鬼のような形相で画面を睨みつけている。つい先ほどのことなのに懐かしさを感じる貧相なホストの姿を見て俺は気分が上がっているのか下がっているのか区別がつかない不気味な感覚に襲われていた。わかっていたことではあるがゲームの一部始終は録画されていた。
どうやらこれはロベルトの視点から録画された映像のようだ。バットを振った月明ウルフが映ると画面が少し乱れた。そして地面に倒れ腕を掴んで悶えている男を捉えたカメラは一人称視点FPS(ファーストパーソンズシューター)のゲームのように右下から銃の取り付けられた腕を伸ばした。
映像の最後には数字が表示された。
「308,091,589view」
画面に映る再生回数のような表示を見た俺は首を傾げた。一般人がこの映像を見れる可能性は低いから闇の世界の住人が閲覧しているということになるが。それにしては数が多すぎる。
映像の最後には「シークレットクラウドファンディング 「ランドリータワーVOL.1」「五十二カ国の高所得者のダークウェブユーザーが高評価」「ライブ配信の際に勝利者を予想する企画を発足して売上げた額は四億五千万円弱」と日本語の文字が表示されていた。英語をAIで翻訳したようなわざとらしい文字を見て俺は舌打ちをした。
俺は自分の体についた匂いやこれまでの疲れを忘れて次の画面を見た。それは夢中という感覚ではなく、このゲームが何を目的にしていたのかを見届けるために集中したと言ったほうがいいだろう。
画面にはベルトコンベアが見えている左から順に壁に挟まれた和白と俺、シオリ(ユウナ)とルキナが映っていた。俺が床に倒れ込み画面外に消えると同時にカメラは右を向いた。そして銀田シズオがいた五番席の空間が激しく光って点滅する瞬間を捉えていた。それと同時に隣の市来が怯えた様子でパニックを起こしている。ガラス越しに頭を抱えて何度かビクビクと飛び跳ねているのが見えた。
「432,501,455view」
「シークレットクラウドファンディング「ランドリータワーVOL.2」「引き続き五十二カ国のダークウェブユーザーが高評価」「残りのプレイヤーに対する賭け金オッズが決定する」人気一位仁藤しおり「運営公式プレイヤー」二位和白のりお。三位斉藤ぼん。四位市来こうき。五位皆藤ルキナ。「投資された賭け金の合計は百十二億八千二百五十万円」と書かれている。
次の画面にはガラスの向こうから見ているロベルトが市来が乗り込んだ洗濯機を映していた。躍動する洗濯機の窓に掌がぶつかって血溜まりに満ちていく様子が遠目のアングルで録画されていた。
「703,273,833view」
「シークレットクラウドファンディング「ランドリタワーVOL.3」「配信席の高所得者は増加。五十五カ国でのダークウェブユーザーが高評価」「同時に低評価の増加を確認」バッド評価のコメントで多くみられた意見は「さっさと全員殺しちまえ!金と時間の無駄だ!」以下類似だった。「オッズ人気四位の市来こうきと最下位のルキナのどちらかが「人体ミキサーボックス」に入るか否かは視聴者投票で決定された。投票の結果市来こうきがルーレットの対象として決定する。
「投資された賭け金の合計は二百二十六億九千七百五十二万」
俺が必死で勝負した格闘ゲームは完全なオマケコンテンツだったようだ。ダークウェブでの配信観覧者の楽しみは投票による下位プレイヤーの処刑がメインだったことを理解した俺は胃液が喉の奥まで上がってきていた。
次の王国の広場は生き残った四人のスマホの中で横になったゲーム画面が映像の左端に縦に並んでいた。全員がどのタイミングで選択肢を選んでいるかがわかるように映像が構成されている。ダイジェスト版の編集で切り取られた映像の中ではそこらじゅうにいるロベルトの視点がプレイヤーを捉えている。ランダムで切り替わる映像には銀行の監視カメラに映る受け子のように映る俺や和白、野上ユウナ、皆藤ルキナが映し出されていた。
「1275,325,899view」
「シークレットクラウドファンディング「ランドリタワーVOL.4」「急激な配信視聴者の増加に伴い。急遽各国のサーバーをランダムにレンタル。レンタル費用は十億円程」「六十カ国の高所得者が駆け込みで賭け金をオッズする運びとなった」「また仁藤しおりが死ぬか否かに関しては別枠で二択の予想的中くじを開催」
「賭け金の合計は三百八十五億二千六百二十万三千二百円」
最後はコンクリートの中でクマに襲われるロベルトの視点とコンクリートの檻全体を映した映像が切り替えを繰り返している。
「40,372view」
「シークレットクラウドファンディング「ランドリタワーVOL.5」
「薬漬けにした熊の禁断症状が運営の思うように作用しなかった。斉藤ぼんが奇跡的な銃撃センスでクリア。これによって視聴者数は五万人以下まで急降下した」「斉藤ぼんの生死に関する賭けオッズは参加者が少なかったため振るわず五億円規模にとどまる」
「第四ゲーム終了時点で斉藤ぼんが一位に決定したことにより第五ゲーム「ベアキル」のゲーム開始に先立って「人間を用いたリアルデスゲーム型ギャンブルゲーム。ランドリタワー・ウィナーズチョイス」の配信に参加した全世界の視聴者に配当金の払い戻しが行われた」
「この映像を見ている「優勝者」の「 斉藤ぼん様 」に対して世界の貴族たちの配当金の内訳は割愛させていただきます。仁藤しおりは生存し一億二千万円の賞金を獲得。和白のりおは三位で三千万円を獲得。皆藤ルキナは都内の病院に搬送後、一命を取り止めた。賞金は七百万円。その他三人の死体は何一つ不審な点がない死亡届が出せるように死因を偽装して都内に配置する予定。以上で今回のデスゲーム配信のレポートを終える」
映像は音声付きで締めくくられていた。ピエロのキャラクターのサングラスがピカピカと輝いてBINGO!!の文字を浮かび上がらせている。五つの画面は全てピエロのイラストが表示されている。
「過去最高の売り上げだったねえ。びっくりしたよ。大体ファイナリストは熊に殺されるのだけどねえ。すごいエイムだったじゃん。現実では動きがいいんだね。視聴者は少なくなったけどゲーム管理者のノザワは感動したよ」
「ぼんくんが生き残った事に免じて和白と皆藤は賞金付きで生きて返してやったよ。ダークウェブの視聴者は君たちのその後には興味がないからね。俺の名前はノザワタクヤ。俺は普通のゲームもプレイヤーもくだらないと思っててさ」
なんとなく記憶の片隅に存在がある気がする。おそらくこのノザワは元々顔を見せないタイプの人間だったのだろう。一人で語っているノザワの声に耳を傾ける。
「俺のことを覚えているかい?俺は二年前にダークウェブでゲーム配信をするチームを作ったんだ。その何年か前にゲームカフェで君がつまらないゲームを必死でプレイしているのを見て思いついたんだ。必死な奴を見るのは面白いんだなって」
「でもその程度なら普通のゲームでも出来るじゃないか。どうせなら命賭けのほうがプレイヤーが必死になるし視聴者が金を突っ込んでくれるから儲かるだろう?」
「つい最近思い出の中にいた君がNFTゲームでコツコツ頑張っているのを確認した。惨めな奴だなって思ってさ、今回は参加してもらったんだ。地道にコインランドリーに通ってくれてどうもありがとう!でも生き残るとは思わなかったよ」
顔のないやつに惨めなどと言われたくないな。
「ハハハ。誰が死ぬかは運営側もわからないようになっているから。すごく楽しくてさ。世界中にマンションを買ってゲーム配信をしているわけよ。まあ俺たちはこの東京都港区からは撤退するけどね」
お前は必死になっている人間を録画しているだけだろう。ゲームをしているのは俺たちだったじゃないか。
「まあ過去に俺は君に名前を伝えたわけじゃないからね。君は俺の顔を覚える必要もない。それに世界中を探しても俺は見つからないよ。ネットで書き込むことも世界のウェブ上にヒントを残すこともできない。あとこれは録音したものだから君が返事をする意味もまるでない」
「君の賞金は四億二千万。五億円には届かないけど充分だろう?ただ野上ユウナとルキナ。和白と再会することは出来ないように君の生活パターンを監視するから余計なことを考えるなよ。さあさあ。後の人生の選択は君次第だ」
「着替えとトートバッグを置いてあるからそれも受け取ってくれ。奥にある普通のエレベーターに乗って帰ってくれて構わないよ。君の個人情報を完全にコピーしたスマホがバッグに入っているからさ。もしよかったら使ってよ。賞金はそのスマホに登録された口座に振り込まれているから確認するまでは壊すなよ」
「大丈夫だよそのスマホはこのゲームのことを警察に相談したりネットに噂を立てたりすることができないだけで。超高性能だからさ。まあ好きにしていいけどさ」
通路の奥がライトアップされた。普通のエレベーターの扉と昇降指示機が鈍い光沢を放っている。俺はイヤホンを触った。先ほどまで耳に吸着していたイヤホンは簡単に外れた。電流が流れるチョーカーは首からこぼれ落ちて床に転がった。
「返事もさせてくれないのかよ。酷いな」
ロベルトのカメラを通したダークウェブの画面の向こう側で賭け事に興じる連中がいた。俺たち七人のプレイヤーは競馬の馬のようにオッズを決められて踊らされていたのだ。ランドリタワーのゲームでは勝った。でもプレイヤー全員が客寄せパンダだった事には納得がいかない。
ノザワの言う通りだった。この場所のことの話を誰かにしたとしても信じてもらえないだろう。ノザワの配信チームは広大なネットワークを支配している。余計なことをすれば何かしらの形で地獄を見る事になる。
和白もルキナもこの世界のどこかで生きているはずだ。シオリと呼ばれていた野上ユウナも多分アメリカで生きていく。他の三人が死んだことは悔やまれるが俺が彼らの家族にランドリタワーであった出来事を報告しても信じてもらえるはずがない。
抵抗することは出来ない。四億円は口止め料としては充分過ぎるほどだ。
トートバッグの中を見ると自分の着ていた服と全く同じブランドとサイズの服が畳んだ状態で入っていた。丁寧にスニーカーまで新品にしてある。全て着替えた俺はエレベーターの降りるボタンを押した。開いた扉の奥には誰もいなかった。どこにでもあるエレベーターの室内は強烈な冷気で満ちている。洗濯したばかりの服と肌の隙間に清涼な空気が流れていく。
振り返ると通路に強い照明が焚かれた。閉まり出した扉の奥にピエロの被り物をした車椅子に座る人間が見えた。ビンゴのサングラスをつけたピエロの頭以外は黒いトレーナーに青いジーンズを履いている。スニーカーも含めて全身の服が古ぼけている。
「そうか」
俺はポケットに両手を突っ込んでからエレベーターの壁に背中をつけた。ピエロのサングラスをじっと見つめる。エレベーターの扉はゆっくりと閉じようとしていた。
逆光で影になったピエロは片手を上げてゆっくりと手を振った。もう片方の手は動かないのかもしれない。なぜかそんな気がした。
「グッドゲーム!斉藤ぼん!ランドリータワー・ウィナーズ・チョイスのゲームはこれにて終了とさせていただきます。さようならー」
ランドリタワー 北木事 鳴夜見 @kitakigoto
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