第二十一話 人生脱出洗濯機ルーレット

 五台のテーブルの上にあるスマホスタンドから声がする。画面の中のピエロの絵柄の背景は紫と白のボーダーになっている。これはeスポーツのチームロゴというよりは音楽系の配信アプリでおすすめに出てくる訳のわからない海外のパンクバンドのジャケットのようだ。その音声はレスリングアナウンサーの声色を使った俺が苦手なハキハキとした体育会系特有の気合いが感じられるものだった。


「ぼんさま。ははは。キラキラネームねえ、カッコ、笑いって感じだね!言われてるじゃないか。君のいう通り今からルーレットで無賃で脱落できる運の悪い人間を決めさせてもらうよ。君たちのつまらない人生なんかより五億円の方がずっと価値があるんだぜ!シオリとルキナの二人は当たりが引けるようにしっかりとお祈りをしてくれ。君たちは特に借金があるわけでもないからね。大変でしょ。ねえ」


 ルキナは涼しい狐顔でスマホが乗った台に語りかけた。おそらくゲームの画面を見ても何も思うことがないのだろう。彼女も自分がプレイヤーにならないという直感を持っているようだ。多分俺はロベルトを操作することになるだろう。


「そんなことはないですよピエロさん。シオリも私も大学の暮らしがパッとしないし。なあなあで就職してつまらないOLになるくらいならサクッと短時間でゲームして五億円を手に入れたいです。ルーレットと言っていますけど。どうせあなたが勝手に負ける人を決めているんじゃないですか?私がゲームしても面白くならないでしょう?さっきのトランプゲームも適当にやってたし」


 ピエロは「フーン」と唸ってからマイクを手で覆ったようだ。耳障りな何かを擦るようなノイズがスマホから流れた後に息を整えるための咳が聞こえた。このやりとりは実況席でプロレスに興味がなさそうな女性アナウンサーが的外れなことを言った時の空気感と言ったところだろうか。ルキナの感覚は正しいと思う。ルーレットなんか運営がいくらでも操作できる。


「はい。うるせえなこのガキ。ではまず脱出するプレイヤーを決めるルーレットを開始します。皆様それぞれのスマホが置いてあるスタンドのうちの一つが脱出権を獲得する敗者の光を放ちますよ」


 会場の白いライトがライブハウス会場で利用されるダイナモのように点滅を始めた。ピエロはマイクの前で大きく息を吸った。五台のスマホスタンドが黄色みがかかった強い光を放って瞬いている。


「さあ、お待ちかね。この夢の国から尻尾を巻いて逃げ帰るのはダーレダァ。ダレダァ!」


「自分の代わりにシフトに出た女の子の同僚が事故で死んだことを悔やんで傷心旅行中のガテン系和白なのかぁ!フゥン!」


「ゲームばっかりしているのになんか普通の暮らしが遅れている金運がいいだけの、ぼんなのかぁ」


「それともレズビアンのフレンドを五股かけているプレイボーイならぬプレイガールのシオリなのかぁ。フンフン!」


「ホストの彼氏に貢がせて逆にヒモをやっていたルキナァ!今時の子はすげえなあ!」


「そしてハローワークの就業訓練に参加すること遅れに遅れて六年で引きこもりから脱出したプアワーカーの市来なのかぁーーおおおおー!」


 酷い選手入場のアナウンスだな。みんな結構頑張って生きてるじゃないか。二十代の女の子なんてそんなものだろう。誰一人として悪人がいないぞ。


「さあ!負け犬は誰だ!」


 ライトの点滅は収まり照明も暗くなった。俺のスマホスタンドのライトが光った。俺は心臓が一度だけ強く鼓動したが続く動悸がすぐにおさまっていくことがわかった。次に右隅の和白のスマホスタンドが点灯したがすぐに消えた。


 和白が鼻を啜っている音が聞こえた。死んだ友達って女だったのか。パイセンもゲーム続行みたいだな。


 そしてシオリとルキナ、市来のスマホスタンドが同時に点滅した。ゲーム会場はゲームテーブルの画面と三つあるスマホスタンドの光だけになった。


 俺は左の三人を見た。スマホスタンドの光に照らされたシオリは顔の前で指を組んで見守っている。ルキナは腕を組んで自分のスマホを睨みつけている。市来はシャツを捲って臨戦体制だ。ルーレットは女性陣のどちらかで決まりだな。


 俺はシオリの綺麗に整った顔に見惚れていてスマホスタンドを見ていなかった。どうやらルーレットが止まったようだ。俺が場の空気に乗じてジロジロと見ていたルキナは眉間に細い皺を寄せて合掌していた手を開いてため息をつき天井を見た。ルキナが後ろを向いて舌打ちをしている。マジかよ。


「お家に帰るのはァ市来のおじさんだぁ!」

「おい脱出したらこのマンションに火をつけてやるからな!クソ野郎!絶対に許さないぞ!」


 俺は市来の方を見た。スマホスタンドの光に下から照らされた市来は拳を握って怒りの矛先を探している。ピエロはスマホから普段通りに煽り口調で語り始めた。


「まあ待てよ。ちょ待てよ。市来。落ち着けよ。青と赤の脱出用洗濯機のどちらにも参加賞があるからさ。赤が五十万円。青が百万円だから。銀田のじいさんみたいに物を壊すなよ。ハイ!ルーレット開始!」


 参加賞の説明の仕方に悪意があるけどどちらも脱出できるじゃないか。市来さんこれからも普通の人生を頑張ってくれよ。


 次のルーレットは会場の右側の壁にそって配置された二つの洗濯機が天井のライトでランダムなタイミングで照らされている。


「お疲れ様でした。市来こうき様。ランドリタワーのゲーム。楽しんでいただけたでしょうか。これにて市来様は退場とさせていただきます。ではスマホをスタンドから外していただいて結構です。そのタイミングでルーレットが停止いたしますので、ルーレットが停止次第、赤か青の洗濯機の中に入っていただいてそこでゲーム終了となります。本日はランドリタワーへのご来場誠にありがとうございました。さようなら」


和白が市来に向かって声をかけた。


「市来さん。脱出したら通報してください。お願いします」


 これで残りのメンバーは四人になった。シオリは頷いて市来の方を見ているがルキナは床に座り込んでしまった。


 先ほどの不動明王のような顔とは違い悟りを開いた仏のような顔に変わった市来は体を動かさず腕だけでスマホを掴んでスタンドから外した。


スマホスタンドのライトは赤だった。


 市来はリュックと上着を持って呆然と立ち尽くす俺たちの前を歩いていく。スマホを確認して録音や録画ができるか試みてはいるがまだ使えないようだ。


赤の洗濯機の扉のロックが外れた。


 洗濯機の扉を開いて洗濯槽に片足を入れた市来は俺たちの方を見て胸を拳で二回打ってから前に突き出した。「グッドゲーム、じゃあな」という声が聞こえたような気がした。


さてと次のゲームが始まる。


 このピエロはここにいる全員の個人情報を知っているから脱出したとしても当分は通信機器は使えないだろうし交番でこの場所の話をしても聞いてもらう事さえできないだろう。よく考えてみるとランドリタワーという言葉はこの世には存在しないから説明すればするほど不審者扱いされそうだ。でも市来さんにはどうにかして誰かにこの場所の情報を伝えてほしい。頼んだぞ。


 そういえばランドリタワー特製のドラム型洗濯機。ライズザドラムってどうやって下に降りるんだろう。よく見ておこう。


 赤色の洗濯機がガタガタと揺れている。この感覚は家で洗濯物を入れてから電源を入れてリビングに戻った時のようだ。ワンルームの部屋に来た友達と普通のゲームで遊べるならすごく幸せな感覚なのだろうな。


 俺がゲームテーブルにあるボタンの配置を確認しようとスタンドの前を通ろうとした時だった。ゲーム会場に破裂音が響いた。プロレスラーのビンタのようなその音の行方を追った俺はシオリとルキナの方を振り返ったが二人も異変に気づいて周りを見ているようだ。そして和白が「うわっ」と叫んだ時に俺と二人の視線は脱出用洗濯機に向けられた。


 ビンタの音は市来が洗濯機の丸扉を内側から叩いた音だった。洗濯機の穏やかな揺れは徐々に激しくなりチェーンソーで木を切る音とミキサーで野菜を切る音が混ざったような不快な音が鳴り始めた。洗濯槽の中から市来のプールに溺れているような小さな悲鳴が聞こえた。全く関係はないがよく動画サイトで見ていた二郎系ラーメン店主のドキュメント動画の中で豚骨を粉砕する時の映像が頭をよぎった。俺は自分の金髪マッシュを掴んだ。近くで交通事故が起きたような破裂音が数回ゲーム会場に響いた。


 スマホスタンドからピエロがクスクスと笑っている声が聞こえる。かなり小さい声で何かを言っている。洗濯機の騒音の隙間から耳障りなダミ声が聞こえた。


「まあタダより怖いものはないわけよ。アイツは死ぬ前にいい夢を見れて良かったな」


 俺が歯を食いしばって不安を堪えた瞬間に洗濯機の丸窓に血しぶきが吹きつけた。そして撹拌された果物がジュースへと変わっていくようにして真っ黒な液体が窓の内側に溜まっていく。俺は目を瞑って必死で精神を集中させようと試みるが悲壮感と焦燥感を混ぜ合わせた最悪のモヤモヤが頭を埋め尽くしていく。


「やってられない。クソ。どうしたらいい?最悪だ」


和白は洗濯機とは逆の方を見て頭を抱えている。


 俺は自分の世界に閉じこもる直前にシオリとルキナの悲鳴を聞いた。









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