第十話 プレッシャー

 和白と銀田はフェンスに囲まれた一番席と五番席に戻った。二人の入ったフェンスに囲まれたレーンの扉の施錠音がした後に七番席のウルフことヨシアキと三番席のシオリの前にあるフェンスの扉が開きシオリはピッチャーマウンドに直行した。一方のウルフは不満げな顔で開いたフェンス扉の前で立ち尽くしている。


 この野球のようなゲームは攻撃側チームが打点を入れるとバットの重量が点数かける一キロ分上がるようだ。ウルフは口を歪めて叫んだ。


「八キロのバットなんか振れるわけがないだろう!ふざけんなよ!」


 八キロの鉄の棒を振るのは難しいことは俺にでもわかる。でもまだ諦めてはいけない。赤の他人とはいえ和白に対する尊厳を欠いた態度が周り回ってウルフのメンタルに重圧をかけているようだ。だがこの場所は現実とはいえサイコなピエロと銃が取り付けられたロベルトが支配している。この場でゲームマスターに反抗的な態度を取ったり棄権することすなわち死だ。同じ黄色チームの銀田が閉じたフェンスの向こう側でウルフに声をかけた。


「ホストの兄ちゃん!八キロでも一回目で当てちまえば二回表で金髪の兄ちゃんのバットが重くなるじゃないか!頑張ってくれよ!人生がかかっているんだぞ!まずバットを持って振ってみろよ。意外といけるかもしれないぞ!」


 ロベルトはキャッチャーマウンドで八キロのバットを卒業証書の筒のように水平に持ったまま微動だにしない。マンションのベランダ側の壁には細長いポストのような箱があった。一番席の和白が俺と同じ方向を見ている。


 ランダムでバットの重さが変わるのにも関わらず箱の大きさは学校机くらいの大きさしかない。一度のヒットで入る点数は十点くらいまでと仮定すると二キロから三十キロまで三十本くらいのバットが用意されていることになる。


 八キロのバットは先の方がひょうたんのように膨らんでいることから湧いてくるイメージが頭によぎる。三十キロのバットのいびつな形状を想像するだけで気分が悪くなる。


 先行のチームと後からゲームに参加するチームはこのルールが分かった上で作戦を考えることができる。二打席どちらも八点入れれば敵側のバットは十六キロ。先行のチームがしっかりと点数を取れば一方的に勝つことができる。


 フォアボールはいい選択肢になるじゃん。たった四点の失点でまた攻撃回がくる。次の回で使うのが四キロのバットなら負担も少なくて済む。


 対してウルフはこれから八キロのバットで少なくとも八点を入れる必要がある。


 後攻側が何もできなかった場合。三回裏までに二十キロ以上のバットを渡される可能性がある。見たところ二十キロのバットを振ることのできる人間はこの中にいるメンツにはいないだろう。


 ウルフはまたも沸騰したヤカンから出る湯気のような細いため息をついてからロベルトの差し出しているバットを受け取りバットの先の方をぶら下げた後に床に突き立てた。


「重てえ!クソが」


 俺も和白も同じことを考えているはずだ。だがウルフに声をかけることはできなかった。きっとここにいる全員が同じことを考えている。八キロのバットがあればそこにいる動く黒マネキンを殴りつけて破壊することができるのではないのだろうか。


 ウルフは細い目をしかめてロベルトの方を睨んだ。俺たちは五億円がもらえるチャンスがあるゲームに参加している。だとしても無条件で全員家に帰れるのならがベストだと考えているぞ。


 ロベルトを破壊した後にどうやってマンションの外に脱出するかは見当もつかないのだがやる価値はある。


 暗黙の了解と期待の入り混じった視線が打席にいるウルフに向けられていた。ピッチャーマウンドにいるシオリもまだプレートを踏もうとしていない。あのレズの娘は遠くから見てもセクシーな体型だな。


 直接いうことはできないが俺は心の中で叫んだ。月明ウルフ!リスクを承知でそのふざけたロボットを八キロのバットでぶん殴ってくれないか?誰だってこの状況ならイライラするものだぜ。家に帰れるならさっきのお前の態度なんか忘れてやるからさ。和白もそう思ってるさ。


 すっかり黙り込んでいた俺たちのスマホスタンドが光った。ピエロが画面に映し出されている。サングラスをかけた無表情のピエロが画面の真ん中に表示されている。それは黒地の悪趣味な壁紙で運気が悪くなる雰囲気だった。これまでと違ってアニメーションの動きがない。


「どうやら重くなったバットの使い道を考えているようですね。ウルフ様。ああヨシアキだったな。あなた方に武器となり得るウエイトをあげたバットを渡すことに関しては私たち運営側にリスクがあることは承知しております。そこでヨシアキ様には選択肢が二つあることをお伝えしないといけません」


 全員の視線はウルフからそれぞれのスマホがセットされたスタンドに向けられた。


「まず選択肢その一。ヨシアキ様がバットを使用してロベルトを破壊することができたら無条件で賞金が与えられます。これはチームの勝利のことではなくヨシアキ様一人だけがランドリタワーの勝者となるということになります。ロベルトがあなたに勝った場合は他のプレイヤーは全員次の階に進むことができます」


 しまった。ヨシアキがロベルトの頭を叩き割った場合全員ゲームオーバーだ。俺はまだゲームをプレイしていないのに銃で撃ち殺されてしまう。


「選択肢その二。このまま野球ゲームを続ける。ただそれだけです」


 この時俺の中に疑念が湧いた。ウルフは突然コインランドリーに入ってきたから実際にはいるはずのなかった客だ。もしかするとこのゲームの支配人と繋がりがあるのかもしれない。ウルフがこの誘惑に乗らずに野球を続けた場合は警戒する必要がある。ウルフ…狼か。


 人狼ゲームという流行のゲームがある。


 俺はこういったゲームはあまりやったことがないが大体のルールを脳内で思い返していた。


 人狼ゲームは確か五人以上のプレイヤー全員が村人として会話をして狼を見つけ出すテーブルゲームだったはずだ。


 まず狼役のプレイヤーとゲームマスターは誰が狼であるかの情報を共有できる。


 村人の中に人の姿をした狼の役を演じているプレイヤーがいるのだが。村人役のプレイヤー達は「会話をする」という単純な要素だけで狼を見つける必要がある。


 まずプレイヤー全員は会話をした後に狼役と推測される村人一人を処刑する。


 要するにゲームからリタイアする人間を選ぶということになる。見事狼役のプレイヤーを指名することができれば狼が一人減る。狼役が一人もいなくなったら村人の勝ちだ。


 狼役は村人と同じ人数になる時点まで村人のふりをすることができれば勝利となる。処刑されるプレイヤーを選んだ次のターンでは設定上夜となり狼を演じている人間が正体を隠した状態で村人を指名して人数を減らすことができる。


それを繰り返すんだったな。確かそんな感じだった。


 ウルフは日本語に訳すると狼だ。安直な推理だがウルフはゲームに参加していながらにしてロベルトとは別にゲームをコントロールしているプレイヤーだとしたらどうだろう。これから八キロのバットをボールめがけて振り回すのか片手に銃を取り付けたロボットに向けて振り下ろすのか…俺はロベルトの黒いカーボン素材のような背中を見た。


 ウルフはゆっくりと息を吸った。よくみるとスーツの下のシャツについたポケットに金色柄のタバコの箱が見える。ここは禁煙なのだろうか。タイムのかかったこの状況でまず一服するのも悪くないかもしれない。


「対戦ルールはあるのか?この真っ黒な人形は俺がバットを振るまで待ってくれるのか?」


「ハハハハハハハハハ」


 フェンスの隙間からスマホから出てくるノイズが混じった音割れが響いた。それはだんだんと小さくなっていき笑い声としての輪郭を現した。


「面白いこと言うね」


 四番席のルキナとサラリーマンは耳を手で覆った。銀田は耳が遠いようで無表情だ。和白と俺はスマホスタンドに手をかざして距離をとるだけだった。これから放たれる挑発にウルフが堪えたら村人に混ざった狼として警戒しても問題ないだろう。


「対戦ルール?ヨシアキくんさあ。お前に与えられた現状の選択肢は野球をやるかやらないかなんだよ。試しにロベルトを殴ってみたらどうだ?お前が現在六千万近くの借金をしているのは知ってるからさ。さっさと選べよ」


 ルキナが小さな声でつぶやいた「借金か…ウルフくん…まだゲームに勝つチャンスはあるよ」


 なるほど金の問題を抱えていたのか。さあどうする月明ウルフ。ルキナは何か言いたげな様子で口を開いてヨシアキをじっとみている。ルキナとヨシアキはまだ相手の抱えている問題を共有できるほどの仲じゃなかったようだ。


 ウルフとチームを組んでいる銀田は滝のような汗をかいている。ウルフがゲームを続行しても勝てる可能性は低い。だがウルフがロベルトを破壊すれば銀田だけではなく全員がゲームオーバーになる。全員が息を呑んだ次の瞬間だった。


「ごめんなルキナ」


 ウルフはテニス選手がサーブを打つときのルーティンで見られるような唸り声をあげた。そしてバットの先を地面で支えてから引きずった後にハンマー投げのように勢いをつけてロベルトめがけて振り抜いた。


 鉄と鉄がぶつかって弾けるような音がした。俺が目でおったバットは床に落ちた。バットはトレーニングジムで鉄アレイが床に落ちた時のように微動だにしない。


「あっあああ。うわああああ!」


 ランドリタワー四階にウルフの悲痛な叫びが響いた。バットが直撃したロベルトの胴体はへこむどころか傷一つなかった。八キロのバットによる衝撃の全てがウルフの腕に流れて手首はあらぬ方向に曲がっていた。


 あのロボットはマジで超合金だった。


 ルキナとシオリは悲鳴を上げている。フェンスの向こうに見える銀田とサラリーマンは口角を上げて笑顔でも泣き顔でもない不気味な顔つきになっていた。俺はロベルトに意識を取られているせいで右にいる和白の表情は確認できない。


 嗚咽を漏らして床に這いつくばってもがくウルフにロベルトが真っ黒な顔を向けた。そして右手でグローブを外すと黒い外殻の中からブービー音がした。


「ウルフ ゲームオーバー」


 ワイヤーで銃の引き金が引かれゲーム会場に銃声が響いた。


 弾けたウルフの頭部から血液と脳漿が三番席から角を曲がって六番席方面の床に飛散した。


 俺は自分を呪った。ウルフという名前はただのふざけた源氏名に過ぎなかった。運営側が自分たちの仲間を殺す必要がない。ロベルトに攻撃したウルフは間違いなく村人側のプレイヤーだった。


 でもこの中の誰かが運営側の人間であることは疑う必要がある。俺の直感がそう言っている。ウルフが人狼に指名されて犬死にしたとしたら誰が本物の人狼なのだろうか。



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