第九話 失点ペナルティと打点アドバンテージ
フェンス越しにいるホストとサラリーマンと俺は縦が十メートル横幅が五メートルほどの小さな球場を静観していた。三番席と四番席のシオリとルキナはフェンス越しに小声で何かを話しているが聞き取ることはできない。
段々と自分がいる閉塞的な環境に慣れてきた。辺りを見渡した俺はまずフェンスがどれくらいの力で床と天井に固定されているのかを確認するために少し掴んで揺らしてみた。フェンスの立て付けに一切の遊びはなくフェンスの網がしならない。足で蹴り付けるくらいではどうにもならないということが理解できた。
マンションのワンフロアをフルに活用しているとはいえゲーム会場の天井は二メートルより少し高いくらいで照明は天井に埋め込まれた縦長のものが数十個あるだけだ。野球場のような大型照明の装飾はないからゲームのレビューするとするのであれば「舞台の作り込みが甘い」とコメントしてしまいそうだ。
このマンションの四階とこの先のフロアがロベルトによる暴力で支配されていることもあるからゲームについていけるのは欲求の強い人間だけだろう。だが非現実的な体験による報酬が五億円なら猜疑心や恐怖心を理由に諦めてしまうよりかはこのゲームに命を賭けるのも悪くないと考えるのも妥当と言える。
だって一度きりの人生の中でこんな機会に巡り合うことはないじゃないか。大金を手にいれることのできる可能性は宝くじやパチンコよりも高いのかもしれない。ゲームに勝てば一生分の金にありつけるのだから普通の成人なら当然挑戦する勇気もでる。
第一ゲームが終われば勝ち残る人間は五人しかいないから命の取り合いという要素が絡んでいたとしても百人の中から一人だけ生き残るタイプのバトルロイヤルゲームと比べてかなり楽だ。
ぜいぜいと息を荒げているのは和白ではなくピッチャーマウンドにかろうじて立っている銀田の方だった。ネルシャツと革靴は洗濯物に出して帰ってこなかったから靴は履いておらず上着を着ていない姿は自宅リビングでエアコン修理工事を待っている惨めな男と言ったところだろうか。
一方の和白は息を整えてバットを拾ってから打席でバットを握り素振りをなん度もして交戦的な姿を見せている。五億円という賞金の可能性。そして競争相手であるここにいるメンツは全員赤の他人だから誰のことも思いやる必要がない。そしてロボットのロベルトに殴られるという罰ゲームの後でアドレナリンが出たようだ。
惨めな思いをしたプレイヤーはその後に失うものがないことはスポーツでもeスポーツでも変わらない。浪人生や転職活動中の会社員。動画配信者。ギャンブラーですらもそうだ。このゲームは常にロベルトを起点にして参加する人間の欲求や恐怖をコントロールできるように作られているのだろう。
大舞台に立つ実力を持っていながらにして何かしらの理由で誹謗中傷を受けたプレイヤーが望む大会の初戦は集中力が高い。ランドリタワーにおける実力というものが何かは定かではないのだが和白にとっては五億円の賞金という目的があれば多少の理不尽と敗者の受ける残酷な仕打ちは許容できるものだったように見える。
ピエロの言っている通りこのゲームに参加する権利は貴重だ。その言葉に見合う対価が保証されている可能性は高い。
だがこの野球ゲームはフォアボール二回で相手チームに四点を与えるだけでイニングをスキップできる仕様だから。銀田がマウンドを降りて次の打席に立つウルフが五点入れることができれば確実に勝つことができるかもしれない。
打ったボールが外野をシミュレーションしたネットを揺らした時に点数がどのくらいの配分で入る仕様なのかはまだわからない。だから銀田が下手投げでまずストライクゾーンにボールを投げてくれないとゲームバランスが把握できない。
待てよ。銀田にはまだボールが与えられていない。何かの合図かポーズ、あるいは意思表明の必要があるのだろうか。ならば制限時間がないとこのままマンションの中で夜が明けてしまう。
キャッチャーのロベルトの体内から放たれるノイズが停止してすぐにスマホのタイマーに近い電子音が会場に響いた。和白は足元がバッターボックスの線から出ないように姿勢を正して斜め下でしゃがむロベルトをこっそりと見た。
「ピッチャーのギンタシズオ。十秒以内にピッチャーマウンドのプレートを踏み込んでください。十秒過ぎた場合。青チームの勝利となります」
このロボットは声が出るんだ。笑えるな。フェンスを掴んだ月明ウルフが檻の中のチンパンジーのような金切り声で叫んだ。
「ジイサン!頼むよ。フォアボールでもいいからさ!何もしないで負け確定は厳しいぞ」
「待てよ。わかってるって!なんでボールがもらえないんだ?って思ってただけだよ。ボールをもらえずに殺されると思って怖かったんだよ。あのピエロが最初に説明してくれなかったじゃないか」
刺すようなため息をついたウルフはフェンスから手を離して腕を組んだ。銀田はマウンドの白いプレートを足で踏むスイッチのように踏み込んだ後天井の穴を見た。マウンドのプレートが黄色に光った後に頭上から落ちてきたボールをしっかりと掴むとボールを確認した銀田は安堵したのか床をむいて息を吐いた。ボールは普通の野球ボールのようだ。
キャッチャーのロベルトがしゃがんだまま水平に屈伸をした。和白が深呼吸をしてバットを構えた。
銀田は下手投げの構えではなくかなりしっかりとした投球フォームでグローブのない左手でボールを握った手を隠してキャッチャーの方を見た。俺はキャッチャーの後ろから見ているから野球ゲームで見るタイプのアングルの位置にいる。
「君は和白と言ったね。こう見えて僕は昔都内の名門校で野球をやっていたんだ。万年補欠だったけどね」
これは意外だ。まだ黄色チームが不利とは限らない。
振りかぶった銀田が投げた球は張りのある音を立ててロベルトのキャッチャーミットに収まった。ロベルトのノイズは収まり細い電子音が鳴った。ウルフがフェンスを叩いて喜びの声を上げた。
「ストライク」
「おっさん!やるじゃん!ボールゾーンには投げなくていいぞ!その調子だ」
キャッチャーのロベルトはボールを銀田に帰した。銀田はグローブなしでしっかりとボールをキャッチした。ロベルトの送球はかなり緩い。ボールを落としてマウンドの外に出るとロベルトに鉄拳制裁とも呼べるペナルティーがあるから。ゲームを円滑に進めるためのプレイヤーへの配慮なのかもしれない。
一度ボールを見送った和白はすぐに銀田の方を見た。深呼吸をして真っ直ぐとした視線を銀田に向けている。ファミコンやプレイステーションを遊んでいなくてもこれならできると言ったところだろうか。それに銀田が投げるボールはバッティングセンターにある豪速球のレーンよりかは簡単なはずだ。振りかぶった銀田がボールを投げた。
「ストライク」「ビー」
フルスイングした和白に対してキャッチャーのロベルトの内部から初期のシューティングゲームの死亡時のような間抜けな電子音が鳴った。先ほどのストライクの演出とは違う音で打者を煽っているが和白の雰囲気が何か変わった気がした。三番席にいる同チームのシオリはいつの間にかフェンスを掴んで目を輝かせている。
「わ、和白さん。私はソフトボールをやっていたことがあるので。投球は任せてください!」
三番席のフェンスの方を振り返った和白の鋭い目は潤んでいた。
「マジかよ。え?あのさシオリちゃんは彼女がいるけど彼氏もいける方?」
「え?いやそれは聞かなくていいです」
キャッチャーミットが張りのある音を立てた。ロベルトの内部から間抜けなブービー音が鳴った。
「は?」
「ストライク。和白ワンアウト!」
銀田とウルフがクスクスと笑っている。
「油断したな。でっかいお兄ちゃん」
「人生がかかっているんだぜ。よそ見してんじゃねえよ!」
こいつらは小学生なのか?ウルフの態度が想像以上に嫌な雰囲気だ。銀田は自信がついたようだ。土もないのにマウンドのプレートをそれらしく靴下を履いた足で払っている。ウルフが悪意に満ちた言葉を放った後だったがルキナは無表情だった。俺は少し動揺したがバッターボックスの和白は落ち着いている。ワンアウトだから点数を取れるチャンスは後一回。
「第二打席 バッター和白」
和白は前を向いてバットを構えたあとすぐに銀田がボールを投げた。
金属音がした後に銀田の左上後方のネットが揺れた後にロベルトの内部からメジャーリーグのファンファーレに近い効果音が流れた。
「青チーム和白の打点は八点。イニングを変更します」
和白は肩を窄めて「やった」という小さな声を出した。そして「え?もう次の回なの?」と呟いた。
八点か。フォアボールの失点四で相手の打席をスキップするのは有効かもしれないな。そうか。野球は打点が入っても後続のバッターが続いて打つけどこのゲームは違うんだ。なぜルール説明が丁寧にされていないのだろうか。ロベルトがノイズを立てた後に和白から強引にバットを奪い取った。
「やめてくれ。まだ線から出てないぞ!」
怯えている和白には見向きもせずにロベルトはバットを持ったままマンションのベランダ方面の壁に歩いた。ロボットとは思えないスムーズな歩行だ。
「青チーム和白が八点だったので黄色チームのヨシアキのバットは重量が八キロになります。では和白ノリオと銀田シズオはピッチャーのシオリとバッターのヨシアキと交代してください」
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