第六話 洗濯機型のエレベーター

 コインランドリーに広がるじっとりとした湿り気と洗剤の匂いが俺の緊張感を強めた。現実離れした光景はギリギリで維持している自律神経に応える。現状のイライラする感覚を落ち着かせる方法はなさそうだ。洗濯物はぐちゃぐちゃに濡れていてゲームの世界における防具にはなりそうにない。


 和白は洗濯物の中から何かを探している。シオリとルキナは自分の荷物を集め始めたようだ。銀田は濡れた靴を確認した後にスマホを凝視している。サラリーマンの男はスマホを強制終了させようとして床にあぐらをかいてボタンをいじっている。


 多分スマホはこのピエロのメッセージを受け取るために利用するから充電が切れるまで操作することはできないぞオッサン。


 ウルフは天井の周辺を見て回っているがそれも有効な手段ではないと思う。ピエロは洗濯物を取り出さないと上の階にはいけないと言っていたな。まさかこのドラム型洗濯機は…


「はあい。頭が悪くても理解できたかな愚民ども。ふうん。おっと皆様、これから店内の照明が落ちます。そして皆様方には洗濯機の中に入っていだたこうと考えております。そうですね疑心暗鬼の鬼に思考回路を食われてしまったのであればその際のマニュアルが。はい。準備はしております」


 疑心暗鬼の鬼?変な表現だ。異常な人間だということはわかっているが明らかにこれまでの人生で会ったことがないタイプだ。このピエロの向こう側にいるやつは一体何が目的なのだろうか。


 ウルフが天井に向かって叫んだ。このゲームマスターは客をスマホのカメラから監視していると俺は推測している。天井には五本の照明がパネル越しに店を照らしているからカメラがあるとすれば店の入り口の角だ。


「愚民どもって言いやがったな!大体誰でもそうだろうが!てめえ殺すぞ!さっさと入り口を開けろ」


 そうだ世の中の大半が愚民だ。異論はないぞウルフ。手に持つべきものを選んだ俺と客たちはスマホを見た。


「準備ができたということでよろしいでしょうか。ではガスを少しだけ出しますよ」


 天井のライトの隙間にあるスプリンクラーからプシュッと何かが噴き出す音がした。エアコンの冷たい空気を介して店内に硫黄の匂いが漂ってきた。それはリクライニングチェアの座席の上にある濡れた洗濯物からたつ洗剤の匂いと混ざってコンビニのトイレの匂いに変わった。


 バイトのある日なら二時間後に清掃の仕事でこの匂いを嗅いでいるはずだ。懐かしき現実世界。落ち着け、俺。


 コレなら普通のガスを店内に充満させてゲームに参加しない人間を殺すことができる。ドラム型洗濯機の洗濯槽に避難するということになるが。なるほどよくできているじゃないか。


 体感型ゲームは視覚と触覚と聴覚を使うだけだから五感のうちの嗅覚が加わるだけでこんなに不快だとは思わなかったぜピエロさん。家で普通のヴァーチャルリアリティの世界を冒険したいな。まだ死にたくないぜ。


「臭い!どうするシオリ!殺されるよ!」

「本当にごめんルキナ!普通に休憩しようと思っただけなのに!」


 男たちは腕を顔に当てて眉間に皺を寄せた。数秒とたたずして照明が落ちた。シオリとルキナが悲鳴をあげた。一巻の終わりだ。でも店内は真っ暗にはならなかった。


 わずかに灯された光は俺の暗い部屋を照らすゲーミングPCのそれに近い。


 最初に視界に入ったのは青い光に照らされた左にいる和白の引き攣った顔だった。下からの光に照らされて顔に悲壮感が浮き上がっている。


 洗濯槽の中に丸いリングを描いたライトがついている。女性の動画配信者がカメラを中に通すライトに近いものに見えるが一回り大きい。なんて嫌な改造洗濯機なんだ。まるで大音量の音楽が外に漏れているボックスタイプのミニバンみたいだ。


 青い光に照らされた平坦極まりない俺の顔面もさぞブサイクになっていることだろう。最低の気分だ。さっきまで快適だった店内は空調も停止して生暖かいトイレの匂いで充満している。


 洗濯槽の中から放たれる青い光とスマホの画面が七つ店内で光りを放っている。鼻水を啜った和白とサラリーマンは洗濯機の前にたった。少し様子を見ることにした俺はトートバッグの中のペットボトルの水を飲もうか迷っていた。ああトイレ休憩したい。もちろん現実で。死ぬ。


「はあい。洗濯槽の中は皆様の体格に合わせたサイズになっております。中に座れば快適ですよ。では当店をご利用の際に自分が選んだ洗濯槽の中にお入りくださいませ!」


「ああ、サカイヨシアキ!何が月明ウルフだよバカみたいな源氏名だな。お前は七番だよ!タダで入場しやがって水商売野郎。特別に無料で参加させてやるよ。まあ有料で入ったのは銀田シズオだけだからなあ…あまり変わりがないから良しとする。わかったかお前ら。次は一酸化炭素を店内に流すからな!」


「クソが。お前がこのマンションにいるなら見つけ出して殺してやる」


「では皆様、ごゆっくりとランドリータワーでのゲーム体験をお楽しみくださいませ」


 マニュアルを語る時もあれば口喧嘩している時もある情緒不安定なゲームマスターだなと思いつつ洗濯機の前に移動した俺は中を覗いた。他の六人たちも洗濯機の前にたったようだ。隣の和白が青い光に照らされた顔を歪めて俺を見た。


「ぼん。ゲームって俺にもわかるやつだよな。ファミコンも最初の方のプレステもやったことがないからわからないぞ」

「例えが古いですね。ファミコンは俺が生まれる前のやつですよ。コレからやるゲームの内容に関しては俺もわからないです。とりあえずガスが怖いので入るしかないですよ」


 頷いた和白の奥でシオリとルキナが抱き合あったまま頷いている。五番席から八番席の方を振り向くと銀田とサラリーマンの男はすでに洗濯槽の中に入ったようだ。


「ウルフくん!次にあったらヨシアキ君って呼ぶからね」


 七番席の前にいるウルフは黙って洗濯機の中に入った。無視しやがったあのホスト。ピエロと口論した後だから仕方がないか。


 和白も洗濯機の中に入ったので俺はトートバッグの中身を見た。モバイルPCとウイダーインゼリー。モバイルバッテリーとペットボトルの水。そうだ洗濯物を入れていたショッピングバッグが店内の床に落ちているから拾っておこう。


「おい斉藤!早く洗濯機に入れよ!このピエロはジャグラーじゃねえからな!さっさと動けネットジャンキーが!」


 心の中は読めていないはずだから人間の行動パターンを読んでいるのだろう。俺のパチスロ動画鑑賞履歴を監視してるのかコイツは。暇なやつだな。全てが退屈で金だけがあるとこんな風になってしまうのかな。


「バッグを取るだけです!すぐに洗濯機の中に入ります」


 俺は空のショッピングバッグを掴んですぐに洗濯機の中に入った。入り口は丸い形状だが中は四角い空間になっていてスペースに余裕があった。快適だ。いや騙されるな。気をしっかり保つんだ。マイネームイズサイトウ!アイムボン!


 だめだ元気がなくなっていくぞ。瞼が少し痙攣してきた。


 衝撃音がして洗濯機の扉が閉まった。バイバイ現実世界。これから先は異世界ではなさそうだけど。拉致監禁されたのが高級マンションと言うことだけでマシなのかもしれない。


 青白い光に包まれた空間を見渡した。この洗濯機の中には昇降ボタンはついていないようだ。一回に降りても意味がないから上に昇る以外の選択肢はない。辛い。


 スマホからピエロの声がした。


「では洗濯機の手前にシャッターが降ります!二分ほどしたらランドリタワー四階で降りて第一ゲームを開始いたします!ごゆっくりどうぞ!」


 いや外から見たら普通のマンションじゃないか。設定上はランドリタワーなのだなすごく馬鹿馬鹿しいな。没入感がまるでないぞ。多分クソゲーだな。


 洗濯槽の中が微妙に振動している。外に降ろされたシャッターの影響で店内に吸収されていた中の青い光が通常のライトと同じ加減で洗濯槽の中を照らした。腰を屈めていた俺は洗濯機の中にぺたりと座り込んだ。膝を抱えて項垂れてため息をつく。仮想通貨で飯を食っていくなら部屋から出てはダメだ。まじでそれ。


 浮遊感を感じた時に洗濯機が上に上がり始めた。生き残ったら最高五億円か。死なないならリタイアしてもいいな。待てよ。ゲームに対するモチベーションを見つけなきゃ。平穏な日々に戻るため?それだけじゃ足りないぜ。まず最初のゲームで内容を把握しなきゃ。きっとルールの説明があるはずだ。死にたくはない。

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