第四話 五番席から七番席
どうりでこの和白のりおという男は日焼けをしていないわけだ。長期休暇なのに作業着を着ているのには理由があるのだろうか。
「のりおパイセンは今日休みなのに作業着なのですか?」
「ああ、これ?」
和白はリクライニングチェアから素肌の背中を離して自分の履いているグレーのズボンを指差した。
「ホテルに泊まっているだけで俺は仕事には行っているんだぜ。ぼん!」
「なるほど」
スマホの画面に映ったオーセンティックウッドホテルの運営会社の情報には不審な点は見当たらない。ホテルの運営一本でチェーン展開している企業だ。特に怪しい広告や期間限定キャンペーンの報告もない。
和白のりおはニコニコしながら俺の席の向こうにいるシオリをチラリと見た。彼女たちは足を組んで椅子にもたれかかってスマホを見て黙り込んでいる。メールかあるいはSNSで別れ話を終わらせるつもりのようだ。コレだけ座席の間隔が近い環境で真面目な話などするはずがない。当然と言えば当然だな。
「のりおパイセン以外にくじ引きをしている人を見ましたか?」
ポテチを袋から出してひとつまみした和白は洗濯物の入ったバッグをみた。どこで手を拭くかを考えているらしい。おしぼりはテーブルの下の段にあるが俺はあえてそのことを言わないことにした。
「いや。いなかったな。でもこの店の…何だっけ?」
「勝者の洗濯」
「そうそうこの店のロゴが入ったティーシャツを着た男がいたよ。普通の営業マンだったな。家電売り場の客引きとかティッシュ配りのアルバイトとは雰囲気が違った。アイティーによくいる前髪が上にカールしているオッサンだったよ」
「やっぱり売り出し中なんですねこのコインランドリー。ありがとうございます」
和白のりおは頷いた後に立ち上がって洗濯物のバッグに手を伸ばしている。ポテチの油が洗濯物についても洗ってしまえばいいと判断したようだ。
なるほど飛び入り営業ででくじを引かせたわけだ。もしかするとコインランドリーの無料の権利を受け取る人間は選べるのかもしれない。このご時世だから個人情報の流出は仕方がないだろう。少し安心した。
やはりこの店は生活の質や所得が違う人間に店を利用させてサービスを気に入ってくれる客層を把握するためにモニタリングしている最中なのだろう。このミッションを辞めずに続けて来れたのもこの店のサービスや使用感がそれなりに良質だからだ。それは認めざるおえない。レビューを催促する通知が来たら書いてやるか。せやな。
俺はゲーム配信者だとかブロガーみたいに在宅で仕事をする人間のサンプルとして選ばれているのかもしれない。
ゴトリと音がした。リクライニングチェアの隣にある小さなテーブルに金属が当たったようだ。五番から八番席の方を見ると六番席に座った初老の男がテーブルに時計を置いてソファーに深くもたれかかっていた。大きく息を吐いて白髪をぐしゃぐしゃとかき回している。この洗濯機は時計も洗濯できるのだろうか見たところこの男は洗濯物を持っていない。
そうではなかった。すぐに男はトレッキングシューズを脱いだ後にネルシャツを脱いでどちらとも洗濯機の中に入れた。靴もシャツも同時に洗濯できるのか。休憩所として使用する場合も普段洗えないものを洗うことができるわけだ。良いじゃん。俺もスニーカーを洗濯機に入れてしまおう。いややっぱりやめておこう。まだ五回もこのコインランドリーに通うわけだから冒険するのは後日で良い。
和白のりおは洗濯機に服を投げ込んだ後に開始ボタンを押した。もう一人のサラリーマンの客が店に入ってきた。ブツブツと何かを言っている。
「コンビニのクーポンが八千円に化けやがった。ちょうお得じゃねえか。でも二時間たってもまだ始発の電車もないからな。入る時間を間違えたな。追加分は払えないぞ。高すぎ」
あの男も無料で利用する客の一人のようだ。話を盗み聞きしたところコンビニのレシートにコインランドリーの無料券がついていたとのことだ。やはりこのコインランドリーは規模が大きいキャンペーンを実施しているはずなのにネットでは噂を目にしたことがないことが不自然だ。その男は七番席にゆっくりと座って大きくため息をついた。
少しだけもやもやした気分が晴れた俺は洗濯物を入れるために丸い扉を開いた。その時斜め後ろから鼻水をすすって泣きじゃくる声が聞こえた。振り返った俺が見たのは隣にいたルキナが立ち上がった姿だった。泣きべそをかいているのは椅子の上で前屈みになって手で顔を覆うシオリだ。
ルキナはスマホにではなく直接自らの声でシオリに語りかけた。
「そんなに泣かないでよ!シオリだって別に彼女がいたんでしょ!私は今ホストの月明ウルフと付き合っているの!今呼んだからさ!でも友達でいいじゃん。なんで縁を切るの?」
和白のりおが口に手を当て呟く声が聞こえた。
「シオリの別のカノジョ…」
俺の頭の中には「つきあかりウルフ」というシュールな源氏名がこだましていた。本名はまだ教えてもらってないのか!ダブルで浮気していたとはな。恐れ入ったぜ。この二人は恋愛映画に出てくるキャラクターみたいだ。なんか心が洗われていくようだぜ。そうだシオリちゃん!きっとルキナは一生の友達になると思うぜ!
勝者の洗濯の入り口が開いた。機械を素通りした客の足音とともに強い香水の匂いが漂ってきた。ネックレスのジャラジャラとした音とブーツの甲高い足音。まじかよ月明ウルフが駆けつけた!仲直りすることを祈るばかりだ。和白のりおが呆然とした表情で入店した客の方を見た。そしてサラリーマンと初老の男も振り返ってみている。
シオリが立ち上がってウルフと椅子の間を通ったルキナが近づく姿を睨みつけている。月明ウルフはセットされた派手な金髪姿ではあるが薄化粧で深夜のトーク番組に出ているおかっぱのベテラン芸人にそっくりな顔だった。
イメージとは違ってウルフは親しみやすいタイプだな。ホストがよく着ているストライプの入った紺色スーツに真っ黒なシャツ姿で尖ったブーツ。身長は高いが華奢な体つきだった。痴話喧嘩の乱入者だから洗濯するものは持っていないようだ。
「ルキナ。俺たちが付き合っていることの話は後でいい。そのシオリって子は悪い子じゃないのはわかってる。このコインランドリーをすぐに出ろ!何人かがここで消えているんだよ。シオリちゃんも出よう。話は別の場所でしようよ」
ルキナは細い目を見開いている。初老の男が立ち上がって顔を赤くしている。何だろう、思っていた状況と少し違うぞ。
「どういうこと?コインランドリーで人が消えるわけないでしょ。幽霊でもいるわけ?」
五台の洗濯機が回る音が静かに響いている。数秒の沈黙の後に月明ウルフがルキナの手を掴んで引っ張った。
「俺もここに来たのは初めてだからわからない!ここはなんかヤバい!」
初老の男が腕を組んで顎を前に出して鼻から息を吐いた。なんだよやっぱりこのコインランドリーは曰くつきなんだ。
「ほらな!やっぱりだ。このコインランドリーで誰かが誘拐されている。ついに証拠を掴んだぞ!水商売の人間については知らないが俺の管理するマンションの住人も何人かが突然消えたんだよ。おそらくこのコインランドリーが一枚噛んでいるとみている。ホストの兄さん!詳しく話を聞かせてくれよ。私は銀田シズオだ」
突然何かしらの理由で奮起した初老の男をウルフは無視して黙り込んだ。
俺は五回もこのコインランドリーに通っているけど誰かに勧誘されるようなことはなかったしこの店で同席している客と会話したことですら初めてだった。先ほどこの店の疑いが晴れたばかりだったのだが。やはり変だ。
七番席にいるサラリーマンの男がリュックから出したヘッドホンをつけてリュックの中に入っているビニール袋から丸めてある下着を出しているのが見えた。
月明ウルフは首を横に振った。どうやら仕方なく返事をする気になったようだ。
「おじさんも外に出て話そう!消えた俺の知り合いは七人でこの店で休憩していたらしい。その中の一人と電話していたやつが言っていた。多分ここで何かに巻き込まれたんだと思う」
集団失踪?ルキナの言う通りそんなことは幽霊でもいないと不可能だ。洗濯機の丸い扉の方を見ても回転した洗濯物の残像がカラフルな円を描いているだけだ。ここには何かがいるのだろうか。
店内を見渡しても他のマンションにつながる扉もない。いや普通は管理室の入り口があるはずだ。客に裏の姿を見せない方針なら洗濯機の修理や点検は別の部屋でするのかもしれないが確かに何かがおかしい。先ほどまでと何かが違う。
和白のりおが店の表のガラスを見て叫んだ。
「おいおいシャッターが閉まっているぞ!そもそもこの店ってシャッターがついてたんだ!警察に電話する」
空間の広さが変わっていないとはいえ気づかないうちに閉塞感が増していたのか。八つあるうちの席が七つ以上埋まるとシャッターが閉まるのか。脱出ゲームみたいだな。いやそんなことを考えている暇はない面倒なことになった。
一番席の和白のりおと二番席の俺はスマホを取り出して110番を押した。
目の周りが赤くなっているシオリはシャッターが降りる様子を見ながら振動している洗濯機に寄りかかった。
店の真ん中の広場ではルキナとウルフが呆然としている。
銀田シズオは息を荒げながらスマホのカメラで録画を始めた。
サラリーマンの男は何も察していないようだ。舌打ちをしてヘッドホンについているボタンを押して音量を上げた。シャカシャカとしたヘッドホンから漏れる音が大きくなっていくと同時に店の前が封鎖されてしまった。
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