第二話 シオリとルキナ

 けやき通りにある路地ろじを折れて街路樹がいろじゅかこまれたマンションのある通りに入った。ここは確かさくら坂だったと思う。アイドルのグループ名で聞いたことがあるけどその方面にはあまり興味がない。バイト先のギャルを見るだけで満足まんぞくしているぜ。なぜだろう悲しい気分になるな。


 木でかくれてこの一帯のマンションの上部じょうぶは見えない。運動不足うんどうぶそくのせいかこの曲がり道になったゆる勾配こうばいの坂を歩くと少し息が上がってしまう。きつい。


 例のコインランドリーは六本木ヒルズの中を通り抜ければすぐに辿たどり着くことができる。流石さすがに気が引けるから回り道をすることにしているけど結局苦痛くつうを感じることに変わりはなかった。まるでゲームの中で長距離移動ちょうきょりいどうをするだけのミッションをやっているかのようだ。あれは本当にきつい、マウスを動かしながらキーボードのキーを一つ押し続けるだけだからな。これは絶対ぜったいにビットコインのかせぎ方じゃないぞ。


 今から向かうコインランドリー「勝者の洗濯せんたく」があやしいと考えた俺はそれなりに調べている。詳しくどうぞ。


 検索けんさくして出てきた情報じょうほうはいくつかあった。脳内のうないでピックアップする。


 マンションの新しいオーナーが住民を部屋の不動産価格ふどうさんかかくの二倍を払って退去たいきょさせたといううわさから推測すいそくされる「娯楽ごらくでマンションが買えるクラスの富豪ふごう経営けいえいしているコインランドリー説」


 一定期間いっていきかんだけ洗濯ビジネスのために「高級住宅街こうきゅうじゅうたくがい地域に出店して試験運用しけんうんようしている海外の新手ベンチャー企業が運営うんえいしている説」


 それらしい海外の記事もリンクに貼ってありブログで解説が見受けられたことからこの二つがどうやら有力、と言うよりは信憑性しんぴょうせいが高いと思う。なんにせよ十万円のおこぼれにあずかる身としては文句は言えない。せやな。


 この高級住宅街こうきゅうじゅうたくがいで悪いことはできないはずだからネット民の反応もひかえめだった。かといってニュースで取り上げられた履歴りれきはウェブに落ちていなかったからあやしい点は多い。


 少数とはいえリッチピープルにまれにいるひま連中れんちゅうが「アレは一体何なんだ?誰が使うんだよ!」以下類似るいじコメントを書きなぐ掲示板けいじばん更新こうしんする様は欠かさずにチェックしている。


 深呼吸をしてショッピングバッグを肩に掛け直して前を見る。


 街灯がいとうらしている坂道さかみちでは二人の女が前を歩いていた。片方は夏なのに薄手のコートとボア付きのブーツを着ている。女性とはいえかなり不審者ふしんしゃ風だ。片方は薄手うすでのピンク色ニットに白のスカートにスニーカー。


 様子を見ると明らかに学生だ。ブランド物のバッグも持っていない。俺と違って洗濯物も持っていないから例のアイドルのファンか何かで記念にこの場所を訪れているのかもしれない。あのアイドルグループは女性にも人気があるはずだから不審という印象はたった今撤回することにした。コートの方はショートヘアでぽっちゃりとしている。ロングヘアの方は細身でモデル体型だ。


 自分と同じく通りに似つかわしくない二人の会話が聞こえてきた。ぽっちゃりした方が泣きじゃくっている。


「まあとりあえずこの先にコインランドリーがあるからさ。そこで最後の時間を過ごそうよ。別にルキナが普通の女の子でもいいよ。ホストクラブにハマらないでね。まだ大学生だからあんな高い店は無理だよ」


 ルキナと呼ばれる女がぽっちゃりした女に肩をかけた。


「いや大丈夫。でもシオリって本当にレズビアンなんだ。だってそういうさあ。百合漫画ゆりまんがとかを読んでいるわけでもないし。スマホの壁紙は普通だし。平穏へいおんな大学生活のためにあえて作ったキャラだったのかと思った」


 破局はきょくしたレズビアンカップルが俺と同じコインランドリーを目指しているとは意外だ。要するにシオリちゃんをデートにさそっても確実かくじつに断られるわけだ。辛い。


「まあね、ある程度ていどの差別には慣れているよ。ホストクラブは楽しかったよ。まあでも男性に興味きょうみかないんだよね」

「いや、だからさあ興味きょうみく時が来るんじゃないの?恋愛映画れんあいえいがは見るじゃん」

「うん、でも本能的に理解しているの」

「まあね、シオリはうそをつくタイプじゃないからね。悪さしないしさ。私はメールとかは切らないし友達でいようよ。頑張ってパートナー探しなよ。いやその、相手が女の子でもいいと思う。そう言う時代だし」


シオリは急に声を低くして答えた。

「ケジメをつけないといけないから。詳しい事はコインランドリーで話す」


ルキナのささやき声が俺の耳に届いた。

「マジか」


 急に険悪けんあくな空気になった二人は公園の階段を登るようだ。まだ坂道は続く。カラフルなタワー型の遊具が街灯に照らされていて不気味ぶきみだ。


 公園に入ってしまえば上り道はない。俺はショッピングバッグを肩に整えて。

前を歩く二人の真後ろのポジションを避けた。


 ルキナと呼ばれている女はスカート姿なので後に続く俺は視線しせんを地面に向けて階段かいだんに足をかけた。俺もその公園を通り抜けてコインランドリーのあるマンションに行くことにしている。この二人のどちらかも何かしらの理由でコインランドリーを使ってるのかもしれない。


 十回通ったらもう二度とこの街にはこないだろう。彼女たちもゲーマーなのだろうか。シオリちゃんがコインランドリーで休憩きゅうけいしようと切り出したのであれば彼女は何かの広告で無料券むりょうけんをもらったのかもしれない。いやでもアニメや映画を見ないと言っていたから違うな。


 俺は今、コインランドリー「勝者の洗濯」について現実の人間と情報交換じょうほうこうかんをできる機会きかい遭遇そうぐうしている。十回通うだけなら何も知る必要はないのかもしれない。どうする。


 破局した後のカップルに「今から利用するコインランドリーをどこで知ったのですか?」などと聞けるはずがない。坂を登る苦行にサブクエスト(メインシナリオとは関係のないオマケ)が発生したら過酷さが極まるに違いない。素通りしてしまおう。後ろを歩いているのだけど。


 公園の出入り口に辿りついた。その時上半身裸のガテン系の男が前を通り過ぎた。サンタクロースみたいに大袋を背中にからっている。先ほどのシオリとルキナは左に進んで二十メートルほど先を歩いている。


 せま路地ろじの通りは高級住宅街こうきゅうじゅうたくがいとは違い普通の街並まちなみでホッとする。


 早歩きのガテン系の男が背中にからったバッグの中からトレーナーがはみ出している。この男もコインランドリーを使うようだ。

ゾッとするほど高級な家構いえがまえの教会前を通り過ぎるとやっとコインランドリーに到着とうちゃくした。このミッションも残すところあと五回となった。まだ折り返し地点ということは一旦忘れよう。


 前の二人がマンションの前で曲がって姿が見えなくなった。ガテン系の男も街路樹がいろじゅかげに吸い込まれていった。


 店が見えた。マンションは十階建てだろうか。確認かくにんするのが面倒めんどうだった。


 店はコンビニのような明かりが路地に通っていない。多分、地域に配慮はいりょされたものになっているのだろうなと思いつつ店を眺めた。


 四十センチほどの厚さの茶色のボードがコインランドリーの前に間隔かんかくをあけて設置されている。入り口前のボードの隅にデザインされた「WINNER'S CHOICE」のくり抜きロゴから店の白い明かりが通されていた。

 完全な偏見へんけん勘違かんちがいかもしれないけどウォッシングの「洗濯」にチョイスの「選択」をかけているのは中国人的なセンスだと思う。


 入口の自動ドアの前のガラスにはポスターやチラシはなく。ガラス戸を挟んで中の料金プランを選ぶタッチパネルのついた機械きかいが見えている。ここで駐車場から出る時のように料金を払えば番号のある洗濯機が二時間使える上に飲み物とスナックが機械の下のポストから受け取れる。結構すごい。


 シオリとルキナが休憩にこの場所を使うことは珍しいことではないのかもしれない。もうすでに口コミが広がっている可能性だってある。


 このコインランドリーの洗濯機せんたくきは一段のみで天井てんじょうまで届く高さになっていているから性能が良いらしい。なぜ天井まで長ければ性能が良いのかはさっぱりわからないのだけどそれは考える必要はないかな。洗濯機の前には一つずつ床に固定されたリクライニングチェアが置いてある。


 ワイファイも高速のものが設置されているようで快適なインターネット環境が保証されている。右の壁側にはよくわからない言葉の雑誌ざっしが差し込んであるたなが並んでいる。


 コンビニより一回り広い店には八台の洗濯機が向かって左と奥に四台ずつ配置されている仕様で新しいタイプのコインランドリーであることは間違いない。


 天井まで分厚ぶあつ機械きかいが店を囲んでいることで少し圧迫感あっぱくかんがあるが洗濯機が壁だと思えば良いのかもしれない。単純に狭い。それが新しい。


 俺はスマホを取り出してバーコードを画面に出してから入口の前に置いてある順番待ち台に乗せられた料金メニューを確認かくにんした。二時間八千円。ゲームの中で手に入れたパスを一年間毎日使ったら三百万近くの得することになる。一年くらいは我慢がまんして通っても良いかもしれない。


 俺の席はいつも窓側まどがわの席で茶色いボードの裏にある石畳いしだたみ花壇かだんが見えている。綺麗な景観だけど特等席とくとうせきとは言えない気がする。シオリとルキナは休憩きゅうけいするだけで洗濯するものはないようだがシオリはコート。ルキナはバッグの中身を全部出してリクライニングチェアの横にあるテーブルに乗せた。どうやらバッグを洗濯するようだ。


 先ほどのガテン系の男はまだ料金所の前でボタンを押している。


「八千円かよ!高いな。まあ三回無料だからいいか。見た感じネカフェみたいな感じだな。悪くない」

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