ディザスター・ゲーム2
更新された連絡帳の最後に書かれたドイツ語は、『人の不幸は蜜の味』と同じ意味を持つドイツ語について書かれていたようだ。サードは人の不幸を楽しんだことを具体的に思い浮かべることができない。からかったりすることとどう違うのだろうか。もしかして、その程度の軽いジョークやいじりもシャーデンフロイデに含まれるのかと嫌な気分になる。
娯楽やエンターテイメントは誰かが
「あなたキラー・ハニーじゃない? 違う?」
キリンAが瞳を潤ませてほんまKAINAを咎めた。
何を言い出すのかとみんな目を丸くする。サードもキラー・ハニーがこの中にいることは考えなかった。あんなダンスの上手い奴がこの中にいるとは思わない。根拠はそれだけだが。
「うち? んなわけあるかいな。ちゃうちゃう。それよか、みかんのここ♡はんの情報更新されてんから、確認せな。次のゲームの部屋に入らんと廊下でたむろしてたら、サードはんの赤ちゃんもビリビリされんねんで?」
これにはサードはほんまKAINAを張り倒したくなった。動きが緩慢にならざるを得ない臨月でなければ、パーではなくグーで殴っていたかもしれない。
「急に心配するフリやめなさいよ」
「サードのことで誤魔化さないでよ。赤ちゃん心配じゃないわけじゃないけど」とキリンAが半泣きになる。
そこは徹底的に追い詰めて欲しいが、サードもここにきて蓄積した疲労で詰問する体力がない。
「もう入ろうか?」氷河が問う。
ほんまKAINAが機嫌の悪い声で、ドアノブに手をかけた氷河を押しのける。
「氷河はんも、うちがキラー・ハニーや思うてんやろ? たぶんな、うちがどんな動画撮ったか言えば、この脱出ゲームは終わるんかもしれん。でもな、それやとアホみたいやん。損するのはうちだけやねん。分かるか? お前ら全員が、はよぉ思い出せや。誰にどんな嫌がらせして楽しんだんか思い出さん限り、終わらんねんぞ! 何でうちだけが告解みたいな真似せなあかんねんな。このゲームに閉じ込められてるちゅーことは、お前ら全員クズ人間てことやねんからな!」
ほんまKAINAの剣幕に気圧されて、氷河は腰を抜かす。ほんまKAINAはそれが気に食わないのか氷河を蹴り始めた。
「キャー!」
キリンAが泣いて自分だけ安全圏へ避難する。そうやって怖がるなら、最初からほんまKAINAを煽らないで欲しかった。
氷河に殴る蹴るの暴行を始めたほんまKAINAを止められる人物はいない。テカプリがあわあわと口を開閉する。タイタンフレッドはカメラ持ってくればよかったと呟くだけで面白そうに見学している。
「ちょっと、落ち着いてよ!」
サードがほんまKAINAを引き剥がそうと腕に
「い、い、い、いい加減にしろ!」
止めたのはテカプリだ。精いっぱいのドスの効かせた声を出してほんまKAINAを殴った。決して強い一撃ではなかった。が、行動を起こしたことに誰もが驚いた。
ほんまKAINAはよろめいて、頬の痛みよりも先に自身の真っ赤に腫れた拳を見てテカプリの充血した目と見比べる。
「腕疲れてきたから、やめといたるわ」
殴っている側も痛かったんだとサードは見抜く。
テカプリが氷河立たせてやった。手酷くやられていて唇や口内を切っていた。立つのも一苦労している。
「サードは?」
氷河が一番にサードの名を呼んだことに、サードは戸惑う。自然に頬を生暖かいものが伝う。ちょっとやだ――。痛みで涙が出ることもほとんどないサードは、今日会ったばかりの氷河に泣かされるとは思わなかった。何か言った方がいいのだろうが、何を言えばいいのか分からずにいるとテカプリがサードの肩に手を置いた。
「サード、ありがとう。僕一人じゃほんまKAINAを止められなかったかも。立てるかい? もう少し休む?」
「ん? あ、いいよ。ありがと」
テカプリがその後、ほんまKAINAを叱っていたが、ほんまKAINAはどこまで聞いているか分からない。
血の気の失せた顔の氷河がこちらを見つめている。サードは何も言われていないのに「ありがとう」と言われた気がした。
乱闘収束後、やっと本題のみかんのここ♡のデータの話に移る。この長丁場にも関わらず電撃の罰は与えられなかった。このごたごたをキラー・ハニーが見ているのは確実だろう。『たにんの不幸をあじわっちゃおう』という声が聞こえてきそうだ。
テカプリが取りまとめようと口火を切る。
「もう暴力はなしで聞いてくれよ? 第四のどうが『トイレの汚水舐めてみ?』五分一秒。三十万回再生。ってのはタイトルからして相当ヤバイ。みかんのここ♡くんは、間違いなく誰かをいじめる動画を撮影していたんだ。それから、再生回数。これはグルメユーチューバーのほんまKAINAくんの方が、どれぐらいの人気があった動画なのか説明できそうだよね?」
「なんでうちがせなあかんねんな。三十万回再生なんて、素人の中でちょっと上ぐらいなだけやんか。広告収入でも一万円ぐらいにしかならへんやろ」
「でも、いじめ動画を三十万回再生させるって、けっこうな回数だと僕は思うけどね。推測だけど、Tという生徒をトイレでいじめていたんじゃないかな。汚水を舐めさせるってのは相当酷いよ。興味を惹かれるというよりは、本当にそんなことができるのかといった怖いもの見たさが刺激されて、この再生回数を叩き出したんじゃないかな」
「よくある話」サードも呟く。
学校の敬虔な教会信者の生徒でさえ、後輩を女子トイレに呼び出して
サードが妊娠したと分かったときのクラス中の冷たい視線が忘れられない。あのときも、私はいじめられたりしないと固く誓った――。やられるぐらいなら、いじめる側に回ると。結局、あれこれ言われるのがめんどくさくて学校を休んだんだが。
「実際に、汚水を舐めさせるようなことはやったのかな?」切れた口の端を舐めて、氷河が不安げに尋ねた。
「動画の情報がこれだけじゃね?」
テカプリは肩を
タイタンフレッドが喉を鳴らして笑い出した。キモいし、ずっと裸なのもいい加減にしてとサードは思う。
「舐めさせる奴も当然出てくるだろうな」
意味深な発言だ。
「タイタンフレッドはみかんのここ♡の学校を卒業したわけじゃない?」
氷河が鋭く問う。
「当り前だろ。接点はねぇ」
サードはコピーライターの仕事をしていたとタイタンフレッドが言ったのを思い出す。
「ねぇ、コピーライトの仕事で学生やいじめを取材したことは?」
「そんな面白い取材なんか回ってこねぇよ。てかな、俺の美文を依頼者がボツにしやがるんだよ。接点があるとしても、主に就職情報誌のコピーライトをしていたことぐらいだな。職場の働きやすい環境づくりや、社訓なんかも書いたな。そこで学生に会ったりはしてない。そもそも俺はそんな仕事より、もっと女にインタビューできるような仕事がしたかったんだよ。編集長が俺のこうしたいって提案を全部跳ねのけやがって」
コピーライターってお客様の要望を聞き取る能力も必要なんじゃないんだっけ? とサードでさえ疑問に思う。
「クビにしろって取引先の記事発注者が俺の雇い主にじかに言いやがってよ。俺は書きたい文を一文字〇・三円で書いてやったんだ。全然儲からねえんだから、クビにされようが代わらねぇんだよ!」
過去をほじくり出してキレられても嫌なので、サードは話題を変えた。
「いじめは取材してないんなら、何か心当たりは? コピーライターの仕事以外でトラブルは?」
「トラブル? 武勇伝なら教えてやるぜ。俺は高校のとき音楽の先生とつき合ってたことならある」
「意外とロマンチックね。その禁断の恋はどうなったの?」
「そこまで聞くのかよ? 先生の方から逃げた。あー、思い出すだけでむしゃくしゃする。結局自分の職の方が俺なんかより大事だったんだろ」
タイタンフレッドが次の部屋のドアを殴る。
「おい、壊れたらどうするんだ。ゲームに支障が出たらどうする!」
焦るテカプリにタイタンフレッドは、唾を吐きかけた。
「うぎゃ。な、き、汚いだろ!」
すかさず水玉のシャツで顔を拭うテカプリ。
「ここまで話してやったんだからいいだろ?」
謎多きマスクのタイタンフレッドが自分のことを話しただけマシなのだろう。
キリンAは眉間の皺を寄せて、サードと氷河に聞こえるように言った。
「あの人、どうでもいい情報しか話してないね」
「僕もそう思う」と氷河。
氷河が言うならそうなんだろう。
「Tだけじゃ分からない。誰をいじめていたのか。知り合いの苗字も下の名前もTがつく人物はたくさんいるから――。僕も……きっと関与しているんだ」
絶望を滲ませた氷河の声音が震えている。サードは元気出してとは言えなかった。
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