第3話 解釈

 サイハテが目を開けると埃っぽい天井が目に入った。瞼が重い。肩が痛い。重力の傀儡になったような感覚だった。


「あれ……?」


「お目覚めですか、サイハテ様」


 サイハテは自分がベッドに寝かされているのに気がつく。そして顔だけ動かして、そばに立つ老魔人の方を向く。


「すまない。勇者を止められなかった」


「いいえ、勇者のやつは引き返したと見張り隊から報告が……」


「引き返した?」


 サイハテは眉を顰めた。自分は負けた。勇者の技量は想像の二回りは上だった。あれならば魔王が敗北を喫したとしてもおかしくはないと思えた。


 彼女はベットから体を起こす。刺すような頭痛に襲われる。状況が理解できないが、魔王の葬儀を執り行える。そう解釈した。


「……なら葬儀を行おう。魔族のシラセだ。もうすでにみんな集まっているんじゃないかな?私が寝ている間に」


「その通りでございます。皆葬儀場……魔王様の部屋におります」


「魔族の葬儀はそれぞれ持った紫色の宝石に魔力を込めて、遺体に力を与えるんだよね。それで新たな旅立ちができるように祈るんだ」


「左様でございます」


 サイハテは老魔人と共に部屋を出た。葬送儀礼において刃物は特別な意味を持つときと持たない時がある。念の為部屋にサイハテは大鎌を置いてきた。慎重な儀礼の場を乱すことをしたくないのだ。


 老魔人とサイハテは魔王の部屋の扉の前に立つ。


「さて、君は清潔な体だけど、私はズタボロ泥だらけだ。このまま葬儀場に入るわけにはいかない」


「浴場はそこの扉でございます。その後に三時間ほど時間を取らせます。葬官の準備もございましょう」


「感謝するよ」


 サイハテは黒い扉を開けた。視界の隅で老魔人が腰を曲げてお辞儀をしたのが見えた。浴場ということもあって中の脱衣所からは湿気がムワッと飛び出してくる。彼女はドアを閉めると、顔を顰めた。今になって傷が疼く。


「痛いな……勇者なんだからもう少し手加減してくれればいいのに」


 脱衣所には簡易なカゴが無造作に二つ転がっているだけだった。サイハテはため息をつくと、着ていたものを全て畳んでで、カゴに丁寧に入れた。あとで服は着替えるとして、体は清潔にしておかなくてはならない。葬送の場に不潔な姿でいるのは気が引けるし、各所に失礼だと彼女は感じる。


 浴場のドアを開けると湯気で一瞬にして視界を奪われた。しかしすぐに目が慣れてくる。黒を基調とした魔王城の中では珍しく白いタイルが張り巡らされた浴場だ。大きな鏡が壁に貼り付けられており、浴場の半分は四角く区切られた浴槽だ。ジョギングしても余裕そうな大きなスペースにサイハテは思わず目を見開いた。


「素敵でしょ。魔王様がデザインしたの」


「君は確か魔王軍幹部の……」


 浴槽の縁に手を投げ出すようにして湯に浸かっていた女にサイハテは見覚えがあった。新聞で見たことがある、魔族の女だ。紫色のロングヘアーに尖った耳、体中に魔力の紋様が浮かび上がる女。


「そうよ、魔王軍幹部のレイダよ。あなたはある意味有名ね。葬官のサイハテ」


 サイハテはレイダにお辞儀をすると、髪を解いて、近くにあった桶を手に取った。湯船から湯を掬い、体や髪を洗い始める。その間にレイダは虚空を見つめていた。サイハテが体の痛みと闘いながら洗っていると、ふとレイダが口を開く。


「ねぇサイハテ」


「なんだいレイダ」


「葬儀ってなんのためにするの?」


 サイハテはぴたりと桶を扱う手を止めた。少し口をギュッとしばり、俯く。数秒経った後、サイハテは答えた。


「解釈が分かれるよ。私の解釈でも?」


「構わないわ」


「目的は二つあると考える。一つは亡くなった者のため。もう一つは生きている我々のためだ」


「私たち?無闇矢鱈に悲しい気持ちになる儀礼をわざわざやってなんだっていうのよ」


「ある国では野辺送りで通るルートが大体決まっているんだ。その上かなり目立つところを通る。それは社会からの承認、認識のためと考えられる」


「もう居ないということを……否応にも見せつけられるわね」


「でも私たちはこれからも生きていく。亡くなった人には頼れない。頼られることもできないだろう。でも私たちの人生は続く。一つの区切りとして……私たちは別れを意識しなくてはならない。それが私の思う葬儀の意味だと思う」


 レイダは爪の長い指を弄ぶようにしてから空中へと伸ばした。そして頬を緩めた。


「好きよ。あなたの解釈」


「私もそういう根本的な疑問を持てるあなたが嫌いじゃない」



 ざぱっと水の音を立ててレイダが湯から上がった。そしてアメジストのような美しい髪をタオルで拭きながら、浴場から出ていく。言葉を残して。


「記憶に残る儀式になるでしょうね」


 サイハテは彼女が出て行った後も、ドアを見つめていた。ふと近くにあった冷水を顔をぶちまけた。


「笑顔は溢れない、楽しい思い出じゃない……でもやってよかったと言える儀式にするんだ」


 サイハテは体を清潔にすると、湯船に浸かってから脱衣所へと向かった。サイハテはカゴの中の服を見ると驚いた。葬送の際に使う正式な葬官の服だったのだ。おそらくレイダと老魔人が置いておいてくれたのだと理解した。


 服を着て髪を乾かすと、サイハテは脱衣所を出た。そこにはレイダと老魔人がいた。


「段取りを詰めるよ。手伝ってくれ」

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