第2話 お疲れ様のかたち

 勇者は深く沈み込むように剣を構えると、サイハテを睨みつけた。並の魔獣や魔人ならばその時点で戦意を喪失してしまうほどの迫力だ。サイハテとて怖くないというわけではない。しかし儀礼の邪魔をされたくない。その一心で鎌を構える。


「はぁぁっっっ!」


 杭の打たれるようなドンという音を立てて勇者は力強く踏み込んだ。地を蹴ると地面が捲れ上がる。そんなふうに足跡を刻みつけ、弾かれるようにサイハテに肉薄する。


 音を置き去りにし、風を切って剣を振るう。サイハテは鎌の持ち手部分で間一髪受け止める。無機質な金属音が響いた。「やるな」などと言葉を交わすことはしない。油断も慢心も勇者の頭には無い。敵を穿つために剣を振るうのみだ。


 サイハテは鎌を器用に回して剣を受け流していた。ポニーテールにした白髪を靡かせて剣を避けると体を反転させながら鎌を振るう。穀物だけで無く人の体をも刈り取る刃である。


 勇者は盾を構えその刃を受け止める。岩盤を殴りつけたような音が響いた。サイハテは構えられたその盾めがけて蹴りを放った。鎌を支えにした強力な打撃に勇者は後ろに大きくのけぞった。


 距離を詰めようとサイハテは一歩踏み込む。しかしすぐに踏みとどまった。勇者の剣が黄金に光り輝いていたのだ。


「フラッシュブレイド!」


 勇者が輝く剣を振るうと、半月のような形の光の刃が射出される。飛ぶ斬撃にサイハテは目を見開いた。斬撃を飛ばすなど、魔法と剣技どちらにも高い技量が求められる。それを平然とやってのけるのだから勇者の実力が窺えた。


 地形を抉り飛ばし、空を切る光の刃。サイハテは逡巡した。果たして鎌で受けていいものか、と。実体のない刃かもしれない。物理的な手段では防げないかもしれない。一瞬で数回の思考を繰り返す。サイハテは体を折り曲げて、光の刃をかわした。


 するとサイハテの後方に外れた光の刃が大きな割れ目を地面に作る。避けたような割れ目にサイハテは苦笑いした。


「受けなくてよかった」


「勘がいいな」


 勇者は再びサイハテに肉薄する。そして最短の攻撃を繰り出す。突きだ。鉄板をも易々と貫く至高の突きがサイハテを襲った。


 鎌でギリギリ攻撃を逸らすが、捌ききれなかった剣の一部がサイハテの肩を切り裂いた。じんわりと血が黒い服滲む。


「その肩では僕には勝てないぞ。葬官」


「勝てなくても引くわけにはいかないな」


 勇者はため息を吐いた。サイハテの行動が全く理解できなかったのだ。


「なぜ魔族をそうまでして庇う?人間の敵だぞ」


「敵とか味方とかどうでもいいんだ。私からしたら葬送の邪魔をするというのがどうしても卑劣な行為に見えてならない」


 サイハテは鎌を構え直した。傷は熱く、傷の周りは血で濡れて冷たい。腕を動かすだけで刺すような痛みが走る。早急に病院に駆け込みたいが、状況がそれを許さない。着込んだ黒いコートは裂けてヒラヒラとはためいていた。


「だから帰れ、勇者」


「残念ながら勇者というのは民の奴隷だ。民に一番得になることをする。魔王を討ったのもそうだ」


「君とは友達になれそうにないな」


「はは、同感だな」


 二人は乾いた笑いを交わすと再び武器を交えることになった。サイハテが鎌を振る。大木すらも真っ二つにする斬撃だ。風を切る音と共に勇者に刃が襲いかかる。


 対して勇者は剣を斜めに構えて、鎌の刃を滑らせていなす。逸れた鎌は深々と地面に突き刺さる。


 サイハテは舌打ちをして鎌の柄から手を離した。地面に刺さり、固定された鎌を握ったままでは勇者の餌食だ。手を離すや否やサイハテの手が先ほどまであった場所を容赦なく切り裂く。サイハテの額に汗が滲んだ。


「そろそろ終わらせるぞ、葬官」


 勇者は地を蹴り、サイハテに高速で近づく。この一撃で終わらせる。そういった意図があった。剣を振り上げ、目の前の女に振り下ろす。それだけで終わる仕事だ。


 サイハテはこれで終わらせる気はなかった。鎌は手元を離れ、肩からは出血。絶望的な状況だ。しかし葬送の邪魔だけは許せない。その思いがサイハテに拳を握らせた。


「はぁぁぁぁぁっっっ!」


「なっ……」


 サイハテは無謀にも剣に向かっていった。自爆に等しい行為に驚いた勇者の剣がわずかにブレた。その隙を見逃さず、サイハテは鋼のように固く握った拳を勇者の顔面めがけて振り抜いた。


 鈍い音を立てて勇者がぐらつく。そこにもう一度サイハテは拳を再び振るう。サイハテに拳を使った戦闘術の心得はない。闇雲に振るう拳だ。何の技術もないパンチ。本来ならば勇者の気にするところではない。しかしサイハテは児戯と思えるようなパンチを勇者に浴びせ続けた。


 勇者は絶句した。サイハテの顔は癇癪を起こした子供のようだった。完全に彼女の行動は勇者の経験則から外れていた。そのため勇者は何も言えず、何もできずに拳を受け続ける。大したダメージにもならない、自分の拳が壊れるだけの攻撃をなぜこの女は続けるのか。勇者は不思議でたまらなかった。


「はぁっ……はぁっ……」

 

 サイハテは息と息の合間に勇者を殴りつける。勇者はだんだんと哀れみの目線を彼女に向け始めた。そしてため息をつくと、盾をサイハテにぶつけた。サイハテは風船のように軽く吹っ飛ぶ。くしゃくしゃになった紙切れのように丸まってサイハテは地面に伏した。


「もういいだろう。子供じゃないんだ。割り切れ!」


 そんな言葉を受けてもなお、サイハテはガクガクと震える膝を使って立ち上がった。勇者は戦慄した。彼女のような執念は見たことがない。


 サイハテは鼻血を拭うと勇者を睨みつける。そして荒い息を整えると、鎌の方へと歩いていく。勇者はそれを静かに見守っていた。なぜだかサイハテを止める気にはなれなかった。その代わり勇者は頭をフルフルと振った。異常者を見る目だった。


「君は……狂っているのかもしれない」


「お互い様だ。でもね勇者、私の行動原理は一貫してるし、考えは変わらない。誰だってお疲れ様って言われていい。その儀礼を邪魔させない」


 サイハテは鎌を持ち直すと、最後の力を振り絞って勇者に飛びかかった。隙だらけだった。勇者は剣を鞘にしまい、刃のない状態でサイハテの腹を殴打する。


 肩を切り裂かれ、体力が底をついている状態でサイハテが勇者の攻撃を回避、または防御することは不可能だった。サイハテは内臓が丸ごと口から出てきそうな感覚に襲われ、再び地面に伏す。


 もうサイハテに意識はない。糸の切れたマリオネットの如くそこにいた。勇者は彼女をじっと見つめると、自らのマントを剣で切り裂く。そして倒れるサイハテに毛布のようにかけてやるとぽつりとつぶやいた。違った正義をもつ目の前の女に、最大限の敬意を込めて。


「お疲れ様だ、葬官……」


 そこまで言葉にすると勇者はハッとした。サイハテが守りたかったものをいやがおうにも見せつけられたような気がした。お疲れ様には穏やかな時間が付きまとう。勇者は口をモゴモゴさせるた後、ため息をついた。


「なるほどな。君の勝ちだな……お疲れ様は邪魔するべきじゃないな」


 勇者は踵を返すと、人の国の方へと歩いていく。

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