第5話
家に着き、玄関の明かりを灯すと同時に、固定電話が音を上げた。
「あ、やっと出た! もう心配したんだから!」
僕が名乗るより早くそう言う声の主は、間違いない。母さんだ。
「ご、ごめん母さん。少しの間避難所で雨宿りしてたんだ」
「そうだったの、学校から臨時休校の連絡があったのに電話に出ないからどうしたのかと……」
心配そうな声が電話越しに聞こえる。
「僕なら大丈夫だよ、母さん」
「そう、ならいいけど。ヨウちゃん、お母さん今日はちょっと患者さんが多くて帰るの遅くなりそうなの」
看護師の母がそう言う後ろで、小さく救急車のサイレンの音が聞こえる。
「ごめんヨウちゃん、冷蔵庫に昨日の残りがあるから温めて食べてちょうだい」
それだけ言うと、「オオトリさん!」と呼ぶ声に「はい!」という母の返事が聞こえて、電話は切れた。もしかしたら仕事の合間に何度も電話してきていたのかもしれない。
「やっぱり携帯あった方がいいのかな」
今日、色んな人と関わる中で携帯電話の良さが垣間見えた。何か調べ物をするとき、誰かと話したいとき。
それに、”大切な人と繋がりたいとき”。
ご飯とお風呂を済まして、僕は自室のベッドへ入った。
部屋は暗く、疲れた身体は今すぐにでも休みたいと根を上げている。しかし、それに反して僕の脳は活発に動いていた。
僕は、ジャップ・ファムへ入団するのかどうか判断するのに、色んなことを思い出していた。
支部長の放った「タダでとは言わない」という言葉。お金が入れば母さんの負担を減らせるだろう。
そしてカナエさんの「ありがとう」という言葉。誰かに感謝されるのが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。
最後にもうひとつ、過去の親友のこと。
僕は立ち上がり、真っ暗な部屋の中を順応してきた眼を頼りに進んでいく。机の前に立つ僕は、よく見えない中、一番上の引き出しを開ける。
見えなくても出来るくらい身体に染み付いた動作なのだ。そして取り出したのは一枚の紙切れ。
何度読み返したのか分からないそれは、手垢や泥で汚れているが、何とか汚い字を読み取ることができた。
そこに書いてあるのは、過去の親友と共に見ていたアニメの、ヒーローが放った言葉。
《今度はお前が皆を救う番だ》
その文章に何度も僕は励まされ、それでも挫折を繰り返してきた。
そして今、これ以上にないチャンスが目の前に降りてきている。
「ねえ、ホムラならこうするよね」
過去の親友の名を口にする。
ここでやらなければ……。そして僕は決心した。
「僕、祈祷師になるよ」
すると、どこからともなく現れたピイちゃんが、机に佇んでコクリと頷いた。
何かを決断する時、いつも隣にいてくれるソウルの友達に、また励まされ、僕の思いはより堅固なものへと成った。
ーー☆ーー☆
翌日には雨は止んでいたが、学校は大事を取って休みとなった。ブロック塀が壊れていたり、建物にヒビが入っていたりする場所もあるが、人的被害は思っていたより少なく済んでいた。
そんな中、僕はジャップ・ファム大幣支部へと足を運んだ。
インターホンを鳴らすと、応対してくれたのは聞き覚えのある声。
「あ、オオトリ君じゃない! いま出るからちょっと待ってよ」
そして建物から出てきたのは、ヒラヤマさんだ。
優し気に、笑顔で要件を聞き入れてくれ、「じゃあ付いてきて」と、案内をしてくれた。たどり着いたのは、もちろん支部長室。
「やあ、オオトリ君。また来てくれてうれしいよ」
微笑む支部長は、顔色一つ変えずに話を振る。
「それで、どうするか決まったのかね?」
「はい。僕、決めました。祈禱師になります」
震える手をグッと握り、それでも前を見据える僕。支部長もまた、真っすぐ僕を見据えていた。
「そうか、歓迎するぞオオトリ君。君のため最大限の支援をすることを誓おう」
重く頷いた支部長は、次にはヒラヤマさんを見る。
「そうだな、新人には世話係が必要だが……ヒラヤマ君、引き受けてくれないか」
「え、僕なんかでいいんですか! もっと優秀な人は何人も……」
そこまで言うヒラヤマさんの言葉を支部長は遮る。
「確かに君のランクは高くはない。しかし、そんな君にしか教えられないこともあると私は考えている。もう一度言う、引き受けてはくれないか」
そう言う支部長に対し、ヒラヤマさんは迷っているのか、少しの間沈黙となる。
そして、彼は頷いて言った。
「分かりました、オオトリ君は責任持って僕が面倒を見ます」
「ヒラヤマ君、最後の仕事は大きいぞ」
ニヤリと笑う支部長は、最後に頑張りたまえと鼓舞の言葉を送った。
支部長室を後にする僕たちはエレベーターへと向かう。その最中にヒラヤマさんが話しかけてきた。
「ははは、新入りの世話なんて荷が重いなぁ。けど、君の姿を見ていたら僕もやるしかないって思っちゃったんだよね」
苦笑するヒラヤマさんの手は震えている。
「この仕事は、命を落とすこともある危険な仕事なんだ。だからこそ、世話係の責任は大きなものとなる」
そういうヒラヤマさんは、エレベーターの下行きのボタンを押して乗り込んだ。僕も一緒にエレベータに乗る。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕の名前はヒラヤマ ヒトシ。よろしくね」
微笑むヒラヤマさんに、僕も「よろしくお願いします」とお辞儀をした。
一階につき、エレベーターを降りて右に進むと、突き当りに関係者以外立ち入り禁止の文字。
そのドアのカギを開け、中へ入ると、もう一つエレベーターが出現する。
「驚いたかい? 懐かしいなぁ、僕も初めて見たときはびっくりしたよ」
僕の顔を見て気づいたのか、はははと笑うヒラヤマさんは、過去の記憶を掘り返しているようだ。
「実は、このエレベーターで地下に降りることができるんだ」
そして僕たちは、先ほどと同じようにエレベーターに乗り込んだ。
僕は先ほどの支部長室での会話で気になっていることが一つあったため、聞いてみる。
「さっきの、最後の仕事っていうのは……」
「あぁ、実は先日、結婚することが決まってね」
今までで一番の笑顔で、左手の薬指を見せるヒラヤマさん。そこには銀色に輝く婚約指輪がついていた。
「彼女と話し合った結果、辞めることにしたんだ」
嬉しそうに話すヒラヤマさんをよそに、ガチャンという音がするとエレベーターが開く。
「さあ着いたよ、今日からここが君の職場だ」
開いた扉の向こう側、そこには僕の見たことのない光景が広がっていた。
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