勇者日記 〜自転車〜
皇紀1120年8月12日 雨
勇者様が召喚されて、そろそろ1ヶ月半となる。
わたしと勇者様の距離もかなり縮まったと思う。
勇者様にはこちらの生活に慣れて頂くために、教育を受けて頂いている。
講師は大賢者殿。一般常識から、この国の歴史、大陸の勢力図まで勇者としての最低限の知識をつけて頂くためだ。
朝食後の3時間みっちりと講義があるのだが、脳筋の勇者様。午後の訓練に備えてお昼寝の時間になってしまっている。
大賢者殿がいくら注意しても治らず、わたしのところに苦情を申し出てくるのもしばしば。
わたしも朝練のお陰で眠いのだ。大賢者殿、何とか良しなに願う。
皇紀1120年8月13日 晴
本日より、姫も講義に参加されることになった。
今の学習範囲は、姫にとっては何年も前に終わっているはずなのだが。
不敬かと思いつつ理由を聞いてみると、「暇だから」と返ってきた。
公務だとか他にやることが有るんじゃないんですかって突っ込みたいところだが、本当に不敬罪になってしまうので、グッと飲み込む。
一度習ったところだからと、姫は余裕綽々だが、顔に『初めて知ったわ』って出てますよ。
ちゃんと勉強してなかったんですか。
ともあれ、爆睡がふたりになってしまった。
大賢者殿の顔が見れない。
わたしは悪くないですからね。
皇紀1120年8月23日 晴
今日は陛下が講義を見に来られる。
姫が参加していると聞き付けて授業参観するようだ。
わたしは腹痛で休むつもりだったが、朝練の様子を見られていたようで、引きずっていかれた。
針のむしろになることを覚悟していたが、意外にも勇者様も姫も真剣に講義に向かい合って居られる。
逆に大賢者殿の方が感が狂ってしどろもどろになっていたような。
大満足の陛下が部屋を出ていかれると、ふたりともそのまま爆睡モードに移行してしまう。
大賢者殿が講師から外されないことだけを願う。
皇紀1120年9月10日 晴
何とか大賢者殿の講義も昨日で終了した。
大賢者殿が最後までお役を全うできたことに安堵する。
そして、あれ程の忍耐力が有るからこそ大賢者の称号が与えられたのだと、密かに大賢者殿を尊敬する。
さて、今日からは乗馬の訓練となる。
いつもは室内で爆睡していた勇者様だったが、外に出た途端に元気百倍と言うところか。
姫の華麗な乗馬に比べ、勇者様のなんとへっぴり腰なこと。
初めてとは言え、余りにも酷い。
講師も必死に轡を持って誘導するが、センスの欠片も見られない。
馬に乗れない勇者って、様にならないですよね。
皇紀1120年9月15日 晴
今日も乗馬の講義。
余りにも乗れない勇者様に飽きて、姫は馬に乗ったまま何処かへと消えてしまった。
姫〜〜、公務は〜〜〜〜
勇者様も講師も、うん膿んでるね。
休憩に入ったところで、勇者様が馬小屋の中で何かを見付けたようだ。
人力車の車輪2つと数本の棒切れ。
それらを紐で器用に括り付けていくと、何やら見慣れない形に組み上がる。
満足そうに出来上がった物の上に付いている棒を両手で握ると、そのまま走り出し始めた。
逃亡?と思いきや、そのままそれに跨り、足元にある木片を足で踏み込む。
細い車輪を前後に付けただけの、すぐに倒れそうなそれを勇者様は器用に操り、あっという間に、乗りこなしてしまった。
馬場を走るそれは、下手したら馬よりも速いんじゃないかってくらいのスピードで疾走している。
余裕綽々でしたり顔の勇者様だったが、しばらくすると、その顔に余裕が無くなった。
足を地面に擦らせながら止まろうとしているが止まれないようだ。
そのまま馬場を3周して、コテッとコケてた。
なんともおかしな乗り物なことだ。
皇紀1120年9月20日 晴
いつの間にか乗馬の時間が自転車の製作時間になってしまった。
事の起こりは、初めて自転車を作られた日。
近くを歩いていたドワーフのひとりが見ていたのだ。
翌日、工作課のドワーフ達が、大挙して勇者様を取り囲み、アレについて質問していた。
そして今、勇者様の指導が実り、金属製の自転車が完成して目の前にあるのだ。
手で握るところには、細いバーがあり、それを握るとビッグベアの指二本で作ったブレーキなる機構が動いて、車輪を挟む。
これで止まるのだそうだ。
そうか、だからあの時、勇者様は止まらずに焦っていたのだな。
胸のつかえが下りる。
今日はよく眠れそうだ。
皇紀1120年10月3日 晴
今王城では自転車が大流行だ。
馬のように疲れを知らず、干し草も必要無い。
体力だけあればどこまででも進むことが出来るとあって、筋肉自慢の騎士達が競って速さを追求している。
大腿筋の強化に繋がると、脳筋の騎士団長も大いに乗り気で、遠征にも自転車を使う始末。
このブーム、いったいいつまで続くのだろうか。
皇紀1120年10月13日 晴
今日は遠征の日。
姫と勇者様、そして騎士団から30名が参加している。
そして、わたしも含めて全員が自転車で移動中。
最初は全く立たせることすら出来なかったのだが、補助輪なる器具を着けてもらって、何とか乗ることが出来るようになった。
乗れたのは良いのだが、皆のようにスピードが出ない。
最初のうちは待ってくれてたのだが、このままでは狩りの時間が無くなってしまうと放っていかれる羽目に。
狩り場まで後半分の位置まで来た夕刻、前から大量の獲物を荷台に積んで帰って来る皆を見かけた。
高揚して、すれ違うわたしに気付かなかったのか、そのまま、王城に向けて去ってしまう。
わたしもUターンして戻るとするが、問題はいつ王城に辿り着けるかだな。
夕食に間に合えば良いのだが。
皇紀1120年10月23日 晴
馬場が人で溢れかえっている。
ついに陛下までが、自転車の虜になってしまったのだ。
陛下の後を息を切らして何とか追いつこうとする侍従長。
死にそうな顔をしているが、あのお年じゃ本当に死んじゃうんじゃないだろうか。
その後ろには、なかなか戻って来ない陛下を追いかけて、決裁をもらおうと書類を抱えて息も絶え絶えに走っている文官ども。
どうだ、わたしの苦労が分かっただろう。
今日は本当に良き日だな。
久しぶりに熟睡出来そうだ。
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