主人公【現代フィクション】

「もおいいって!

あとは適当にやっておくからさー。」


「じゃあね。しっかりと先生や寮監さんの話しを聞くのよ。いいわね。」


「分かってるって!」


息子を学生寮に送って来た。


歴史のあるその建物の中は案外清潔そうだ。


それほど多く無い彼の引っ越し荷物を解き終えて、他の学生達の目を気にする息子に半ば追い出されるように、これから彼が6年間を過ごすであろうこの部屋を後にする。


隣りの部屋からも同じような声が聞こえてきた。


思春期の子供だからどこも同じようなものかと思うと自然と笑みが溢れる。


息子は4月になると自宅からは遠いこの街の全寮制の中高一貫校に入学する。


未だ11歳の子供なのに親元を離れてひとりで6年間も生活させるのもどうかとあちらの両親にも言われたけど、夫の「大丈夫だ!」の一言で決まったのだった。



いく組かの親子の喧騒を耳にしながら、わたしは寮を出た。


思ったよりも早く時間が空いたわたしは、以前より計画しては、ついおざなりになってしまっていたことを今から実行しようとその場所に向かうことにした。


この街を南北に走る地下鉄と街中に張り巡らされた路線バスを乗り継ぐと郊外の墓地に着いた。


近くの花屋で仏花を買い、霊園の中腹にあるひとつの墓に向かうのだ。


道すがらわたしの脳裏にはあの当時の記憶が甦えって来たのだった。





☆☆☆☆☆☆☆



地元の高校を卒業後、わたしはこの街の大学に進学した。


大学は自宅から通うには少し無理があるため、女子寮に入ることに決めたのだ。


母を早くに亡くし無口な父をひとりにするのは少し躊躇われたが、父の「気にするな」の声に押し出されるように家を後にしたのだ。


片親で寡黙な職人である父親の影響か、自己主張することが苦手なわたしは小さな頃から、絶えず誰かの後を付いて回る子供だった。


だからひとりきりになっての心細さもあり、寮に着いても落ち着かずに無意識のうちに誰かを探していた。


入り口で寮監さんに挨拶して、指定された部屋に向かう。


2階の6号室、わたしがこれから4年間住むことになる部屋だ。


部屋に入って荷物を置くと、隣りの部屋に向かう。


5号室は空き部屋のようで、7号室は鍵がかかっていた。


わたしはお気に入りの可愛い便箋に名前と今日引っ越して来たこと、挨拶をさせてもらおうとしたけど留守だったことを書いて、扉の隙間から差し込んで部屋に戻った。


少ない荷物を片付けた後は、特に何をすることも無く、ぼうっと部屋で時間を潰すしかなかった。


しばらくして、ノックの音に部屋の扉を開ける。


そこにはショートカットが良く似合う女性が立っていた。


「リカさんだよね。さっき挨拶に来てくれたんだね。


居なくてごめんね。


わたし、京子。岩村京子って言うんだ。


今度3回生。よろしくね。」


運動でもして来たのだろうか、学校名の入ったジャージの京子さんは快活で何事にも控えめなわたしには眩しく見える『デキル』大人の女性だった。


「す、角田リカです。よ、よろしくお願いします。」


「リカちゃんって呼んでいい?よろしくね。


ところで、もうご飯食べた?


まだだったら一緒に行かない?」


「はい、お願いします。」


これがわたしと京子さんの出会いだった。


京子さんに連れられて食堂へ移動、少し大きめのテーブルがいくつか並べられたそこには既に5人くらいの女性がいた。


京子さんがわたしを紹介してくれる。


わたしが簡単に挨拶をすると、各人の自己紹介が始まった。


「あと、3階10号室のヒトミと12号室のアケミが今はいないかな。


また見かけたら紹介するね。」


名前と顔を覚えるのは少し苦手だけど、なんとか覚えた。


どうやら今年の新入生でこの寮に入るのはわたしだけみたいだ。


入学式までの1週間、京子さんは部活の合間を使ってわたしをあちこちに連れ出してくれた。


可愛い小物屋さんや美味しいラーメン屋とか、寮の近所にある京子さんのおすすめのお店。


1週間をどう過ごそうか悩んでいたわたしには、有難かった。



入学式を終えると、部活やサークルの勧誘が始まる。


わたしはもちろんバレー部に入る。


京子さんがいることもあるけど、高校時代バレー部のマネージャーを3年間務めていたからだ。


中学生の時は選手としてバレーをしていたのだが、高校のバレー部はレベルも高く、わたしは自身の才能の無さにバレーをやめようと思った。


その時マネージャーをしていた先輩に誘われてマネージャーとしてバレー部に残ることにしたのだ。


マネージャーの仕事はわたしに向いていたのかもしれない。


母を亡くして父の面倒を見てきたから、マネージャーの雑用仕事はお手の物だった。


京子さんに誘われて入ったバレー部でももちろんマネージャー志望だった。


結局、4回生で引退するまでマネージャーを務めた。


バレー部は、わたしの在籍中あまり良い成績を出すことは出来なかったけど、チームワークはすごく良くて、わたしにとって居心地良い場所であったのだ。


送別会の時は、選手の後輩達もわたしに「有難う御座いました」って泣きながら言ってくれた時は本当に嬉しかったな。



少し間延びしていた就職活動もようやく目処がついた頃、京子さんが入院しているとの噂が流れた。


京子さんは、大阪の商社でバリバリのキャリアウーマンになっていると聞いていた。


具合が良くないという噂話にわたしは居ても立っても居られなくなって病室を訪ねた。


あいにくその日は検査が詰まっているとのことで会えなかったが、翌日わたしの携帯電話に連絡があり、わたしはその足でお見舞いに向かった。


うっすらと化粧した京子さんの顔色はそんなに良いとは言え無かったけど、噂話に出てくるほど悪いわけじゃなかったのが、わたしの心を落ち着かせた。


小さな頃、病室で見た母も同じような感じだったような気がするのが、少し不安だったけど、久しぶりに聞いた京子さんの声は弾んでいた。


「リカちゃん、久しぶり。

お見舞いに来てくれたんだね。


すっごく嬉しい。」


その日以来、わたしは暇さえあれば病室を訪ねていた。


検査していることも多かったけど、看護師さんが京子さんの検査計画書を見せてくれたから、その日を避けるようにはなったけど。


病室で待っていても、全然構わないんだけど、検査の後は京子さんが辛そうにしていることが多かったから。


そんな日々が続いていたが、卒論の作成も佳境に入り、しばらく京子さんの病室を訪ねられなくなってしまっていた。




久しぶりに病室で見た京子さんは酷くやつれていた。


わたしは掛ける言葉も見つからず、今まで通り、学校のことやバレー部のこと、卒論のことなんかを話した。




それから何度か通っているうちに、卒業、そしてわたしの引っ越しの日が間近になってしまった。


わたしは東京で働くことになっている。


あちらに行ったら、しばらくはこの病室にも来れないだろう。


わたしは今までの感謝の気持ちを手紙に書いて渡そうと決めた。


何度も何度も書き直す便箋は涙でぐしゃぐしゃになっている。


京子さんと一緒にいた4年間が走馬燈のように流れていく。


この想いはどうしても文字に置き換えていくことが出来なかったのだ。


それでも、丸めた便箋でゴミ箱が溢れる頃にはなんとか書き切ることが出来た。


東京に向かう日、わたしはそれを持って病室を訪ねた。


あいにく突然の検査が入っていたみたいで、京子さんに会うことは叶わなかった。


お母様に手紙を預けて、後ろ髪を引かれながら新幹線に飛び乗る。


ゴールデンウィークにはまた来よう。


そう心に誓って、わたしは新たな一歩を踏み出したのだ。




その年のゴールデンウィークに、わたしは京子さんの病室を訪ねることはなかった。


いや実際にはあの街に戻ったのだけど、京子さんは既に病室には居なかったのだった。


わたしが東京に旅立ってしばらくして、京子さんの容態が急変したらしい。






京子さんのお母様に案内されて、仏壇で手を合わせる。


涙が溢れて止まらない。


いつも控えめで、人の後をついて回っていたわたしが、京子さんと出会い、バレー部のマネージャーとして頑張れた。


そのおかげで仲間達とも出会い、少しだけ自分で歩けるようになったのだ。


あの時、寮に入ったばかりのわたしに手を差し出してくれて、わたし自身で歩き出せるようにサポートしてくれた京子さん。


まだキチンとお礼も出来ていなかったのに。


しっかりとしたキャリアウーマンになった姿を見せるって話していたのに。


仏壇の前でいつまでも泣いているわたしにお母様が1通の封筒を差し出して下さった。


『リカへ』


表にそう書かれた封筒の中には京子さんが病室で一生懸命書いてくれたわたしへの手紙が入っていた。


わたしはその手紙を抱いて、お母様にお暇の挨拶をすると、そのまま東京に戻ったのだった。



それから3年。


小さな商社で営業しているわたしがいた。


京子さんと約束したキャリアウーマンには程遠いけど、何とかやれていたと思う。


当時、わたしにはお付き合いを考えている人がふたりいた。


ひとりは取引き先の次期3代目。

東北に本社のある中堅企業の御曹司で、背が高く男前のいわゆる『イケてる』男なのだ。


ふたり目はわたしの実家に程近い零細土建屋の2代目だ。

顔はお世辞にも良いとは言えない。

会社も3次受けならマシな方だろう。


周りのみんなはイケ面の彼を採ると思っていたみたいだ。


わたしだって、客観的に見たら間違いなくイケ面の彼を選択しただろう。


もちろん、このままキャリアウーマンを目指すのもありだ。


1ケ月ほど考えて、わたしが選んだのはブス面の2代目だった。


たまたま仕事の関係で東京に出て来ていた彼は、わたしに一目惚れしたと言って、猛烈にアタックしてくれた。


決してしつこくは無いけど、彼は毎週のように東京に出て来ては、わたしを誘ってくれた。


もちろん、イケ面の3代目もプレゼントやデートに誘ってくれるのだが、ブス面の彼から滲み出る優しさがわたしにはヒットしたようだ。


実家に近かったのも大きな要因であることも間違いない。


ひとり暮らしの父には迷惑ばかりを掛けてきたから、少しでも恩返しをしたいと思った。


こうして、わたしは社員数5人の零細土建屋の女将になったのだ。


結婚してすぐに子供に恵まれ、主婦と土建屋の事務と子育ての3足の草鞋で忙しい日々を過ごす。


喧嘩もするけど、優しい夫と可愛い息子に囲まれた穏やかな生活は、わたしが求めていたものに間違いないだろう。


息子の寮生活が決まり、学生寮に連れて行くために、わたしはあの街に向かうことになる。


そうだ、京子さんの墓参りに行こう。


そう思いたって夫に相談すると、「1泊してもいいからゆっくりしておいで」との優しい言葉。


相変わらず顔はブス面だけどね。


久しぶりにお菓子の空き缶を開けて中を覗く。


そこには『リカへ』と書かれた封筒があった。


何度も何度も読んで涙の跡だらけだけど大事にしまっておいた大切な宝物。


わたしは慎重に封筒を開いて中の手紙を読む。







リカへ


わたしは貴女が次に来てくれるまで持たないかもしれない。


だから、貴女に言って置きたかったことを書きます。


リカ、本当にありがとう。


あの時、貴女と初めて会ったあの日、わたしはバレー部の部長から次の部長に指名されてたんだ。


それで不安しか無かったんだけど、貴女と寮で会って、仲良くなって、貴女がマネージャーになってくれて、どれだけ気持ちが軽くなったことか。


貴女はわたしに依存していたって言ってくれてたけど、依存していたのはわたしの方だったのかもね。


控えめながらテキパキと仕事をこなしてくれる貴女を心強く頼りにしていたし、みんな頼もしく思っていたのよ。




一足早く社会に出たわたしだけど、こんな病気に負けてしまって残念で堪らない。


毎日病室で泣いていたの。


そんな時貴女が来てくれたの。


本当に嬉しかった。


もっともっと話したかったんだけど残念。


でもしょうがないよね。


わたしは先に行くけど、貴女はずっと後から来なさいね。


そうね、とりあえず100年くらいは後よ。


ゆっくりと向こうで待っているから、また100年後に会いましょうね。


元気で頑張ってね。



そうそう、これから社会に出る貴女にわたしの大好きな言葉を贈ります。


「人生は小さな物語。

貴女の人生は貴女の物語だから、その人生の中では、いつでも貴女が主人公」


これから社会に旅立つリカ。


貴女のこれからの人生は貴女が主人公なんだから、精一杯主人公を演じるのよ。


親愛なるリカへ


            京子





☆☆☆☆☆☆☆


京子さんのお墓の前で手を合わせながら、わたしはわたしの物語を振り返っては心の中で京子さんに話し掛けている。



京子さんに教えてもらったように、わたしは主人公になれているだろうか。


この手紙を初めて読んだ時からわたしはいつも主人公になれるように頑張ってきたつもりだ。


これまでも順風満帆だったわけじゃない。


幾つかの選択を迫られる場面もあった。


もしイケ面の3代目と結婚していたら、あのまま結婚せずにキャリアウーマンとして頑張っていたら。


ううん、考えても仕方ないじゃない。


京子さんならきっと言うわ。


貴女が選んだ道は間違っていない。

貴女が選んだ道が貴女の本当の物語なんだから。

だって、貴女が主人公なんだからね。


もし後悔したり迷ったりしたら、京子さんに怒られてしまうかも。



わたしは携帯電話を手に取って今日宿泊する予定だった旅館にキャンセルの連絡を入れた。


早く家に帰って、わたしの物語をキチンと演じなきゃね。





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