第19話 渚の思い

「え……え、月島くん……」

 と前川さんは驚いたようにいう。


「なんだよ鈴菜。月島くんなんて苗字で呼んじゃって」

 何か頼んだ?と俺はナンパ野郎2人の隣を通り抜け、前川さんの反対側に座る。


「それで、この御二方は?知り合いか何か?」


 あからさまではあるが俺は前川さんに聞く。


「違うよ月……さ、咲人くん。なんかしらないけど声をかけられて……」

 と顔を真っ赤にしながら前川さんはいう。


 さっきまで前川さんはもっと大胆なことをしていた――だがやられる側だと前川さんはとても弱い。

 それが楽しくついイジりたくなってしまうが今だけはグッと我慢する。


「え〜と、鈴菜になんかようかな?」

 と俺は未だに突っ立ってるナンパ野郎どもに声をかける。


「あ、いや、なんでもねーよ。な、」

「お、おう。知り合いかと思って声かけちゃっただけだから」

 とそそくさと席を離れていってしまった。


 内心ホッとする俺。

 なんだよこいつパッとしないなとか言われて強引なことをされていたら勝てる気がしなかった。


「まったく……1人で行動するなとは言わないけどさ、ナンパぐらいは追っ払えるようになろうぜ」

 といまだ状況が掴めていない前川さんに対して俺はいう。


「いや……こんなところでナンパされるなんて思わなくて……」

 そんなことより、と前川さんはいう。


「月島くん1人なの?楠さんは?一緒じゃないの?」

「もろちん居るわよ。なんなら席移動してきてあげたけど」

「そっか……やっぱりいるよね。なーんだわたしのために来てくれたのかと思った……」

「あなたのためにここに来たのだけれど……咲人くんこの子大丈夫かしら?」

「渚ちゃん……そんなにいじめないであげてよ」

「これのどこがいじめてるっていうわけ?!」


「え、なんでここに楠さんが座ってるの!?!?」

「「今更??」」


 その後全てを理解し、俺が助けに来たことに対しては喜び、渚ちゃんが一緒にいてこれから3人で過ごす事を知った前川さんは落胆した。




 今は3人で昼を過ごしているのだが、前川さんは何も話さない。

 3人の間にとても気まずい空気が流れてれる――というわけではなく、反対側にいる俺と渚ちゃんをみて額に青筋をうかべながら、若干キレ気味だから話さなかった。


「前川さん!これで証明できたでしょ!」

 と渚ちゃんは俺の手を握り持ち上げ見せる。


 ……映画館でずっと俺たちのこと見ていたけど、とは言わない。


「そうだね……わあ〜本当に彼女だったんだ〜」

 チッ!と前川さんからは聞いたことがないような舌打ちが聞こえてきた。


 明らかな棒読み。

 だが渚ちゃんは素直に言葉を受け取り嬉しそうにしている。

 そんな渚ちゃんを見て、追加で舌打ちが飛んできた。


 これは絶対暴走するよなぁ〜と思いながら俺は先程から一言も話さない。

 こういう場面では空気になることが一番なのだ。


「ちゃっと、咲人くんからも何か言ってあげなさいよ」

 私の関係を見せびらかせる絶好の相手なのだから!と嬉しいそうに渚ちゃんはいう。


 いや、本当にやめてくれ……前川さんもう般若みたいな顔してるよ――そんなことを思っていると。


 急に渚ちゃんは繋いでいた手を話し、真剣な顔をした。


「それよりも咲人くん、さっき前川さんのことなんて呼んだ?」

 と俺のことを見て渚ちゃんは聞いてきた。


 まずいな……と俺は心の中で呟く。

 俺が前川さんのことを鈴菜と呼んだことを聞いていたらしい。


「別に怒ってないわよ。ちょっと気になっただけ」

 と渚ちゃんはいう。


 本当かどうかはわからないがここで黙り込む方が悪手だろうと俺は前川さんの名前を口にした。


「うん、鈴菜って呼んだ。咄嗟だったしナンパ野郎どもに助けに来ただけだと思われるのはめんどくさかったから」

「そんなに早口だと余計に怪しくなるからやめなさい。それに本当に怒ってるわけではないわよ、単純に気になっただけ」

 鈴菜……前川鈴菜……か、と渚ちゃんはいう。


 最後の方は小さすぎて聞き取ることはできなかったが、怒っていないことは本当のようだ。



 その後は何事もなく?なのかはわからないが普通にファミレスで3人で過ごした。

 2人が衝突することなく済んだのは意外だったが、これをきっかけに2人が仲良くなったりとかしたらますます俺はどうしたらいいのかわからなくなりそうだ……。



 ファミレスを出た後は解散という形になった。

 今日はもう帰るのだなと渚ちゃんをみて思ったが、前川さんがいるからやめてくれたのかもしれない。


 とりあえず、なんだかんだあったが無事に入門編を全て終わらせることができた。


 入門編のおかげで俺と渚ちゃんの関係はだいぶ進展できた。

 次来るとしたら、入門編よりレベルが高いものがくることだろう……大丈夫だろうか、と少しだけ心配になったが今の俺と渚ちゃんなら大丈夫――そう心に呟いた。


 ――――


 ◇◇


 途中色々あったけど、2人の関係を進めるために始めた入門編を無事終わらせることができた。

 だからもっと一緒に居たかったけど、達成出来たことが嬉しすぎて今日は帰ると言ってしまったのだ。


 思い返してみて、今まで付き合ってきた咲人くんとの1年間よりもこの1ヶ月の方が濃くて、楽しくて、幸せで、とても思い出に残っている。


 沢山のことをした。

 沢山のことができるようになった。


 咲人くんと外出デート出来たし、手も繋げた。ハグだってキスだって……出来た。肩が触れるか触れないかの距離に長い間いることも普通にできるようになった。

 憧れだった、何もしないでただ一緒に過ごすってことも出来た。


 私はこの夏休みを忘れることはないだろう。

 悲しいこともあったけど、その分、倍以上の幸せを感じられた。

 咲人くんと私はやっとスタートすることができたのだ。


 何より、私の中で咲人くんという人物が、家族以外で初めて拒絶反応がおきない特別な存在になった。

 それは、私にとって本当に、本当に、大きな意味を持っていることだった。




 そもそも、私がなぜ人に触れることができなくなったのか――それは小学一年生の時。


 あの日、私は誘拐された。

 このことは、私が小学生だったこととすぐに見つかったという2点から報道などはされていない。

 だから、誘拐された事を知っているのは家族と仕事関係者数人、その当時事件に関わった人たち、あとは咲人くんとその家族だけだった。


 なぜ誘拐されたのか、それは私が高校生に入った時教えてもらった。

 シンプルにいうと逆恨みや嫉妬などが原因だという。だから、金銭を要求されることはなく代わりに要求されたのはお母さんの仕事に関することだった。




 あるドラマのオーディションでお母さんが勝ち取った役――その役はとても人気が高く、日本の国民的女優などもその役を演じるためにオーディションへ参加するほどだったとか。


 そんなオーディションに当時無名だったお母さんが勝ち取った。

 それは芸能界の中ではかなりの話題となったらしく、新生が現るか!みたいな雰囲気にもなったらしい。


 私が誘拐された時、ずっと女の人の「なんで……なんで……」という声が聞こえていたような記憶が少しだけあるから、相当悔しかったのかなと思う。

 実際、私の夢も女優だったこともあり、なんとなく気持ちはわかってしまった。だからそこまで恨むつもりも私はない――もちろん、誘拐すること自体は許せないし、誘拐中にされそうになったことも揺るつもりはない。



 だって、そのせいで私は……。



 誘拐された私は目を隠され、ガムテープで口を塞がれ、どこにいるのか、どこに行くのかもわからず、しらない車の中で怯えていたのを覚えてる。


 それだけでもかなり怖い思いをしたのだけど、その後に私の体を触って淫らな行為をしようとしてきたことが一番私にダメージを負わせた。


 私を誘拐した時、女性と男性の2人がいることだけは覚えている。

 そして、淫らな行為をしようとした男性を女性が止めたことも覚えていた。


 多分だけど、一時の気の迷いで私の事誘拐してしまったのだと思う――だからこそ、行きすぎた行為の誘拐に対してさらに行きすぎる相手を犯す行為をしようとした男性に対しては止めたのだなと今となっては思う。



 そんなことがあり、私が犯されることはなかった。

 だからなのか、まだ私の中では好きな人とそういう事をしたいという欲がしっかりと残ってくれていた。


 ただ、その事件をきっかけに触れなくなった。

 人に触れなくなったのだ。


 でも、今思えばそれぐらいで済んで良かったと思っている。

 もしあの時私が犯されていたら――と考えると今でも怖くなり、体が震えてしまう。

 だって、私にその欲がなくなってしまった場合、咲人くんを好きになったのにそれ以上の気持ちは生まれない事を意味してしまうから。


 結局はそんなことにはならなかったし結果としてはオーライということにはなるのだが、もし欲すらも暴れていたとするならば、私はその2人のことを許しはしなかっただろう。

 なんとしてでも復讐を――そう思っていただろう。



 と、いうことがあり、私にとって触れる人が家族以外にできるというのは、とても特別なこと。


 それに、今現状で言うと咲人くんが私の唯一と言っていい触れる人になったのだ。

 ここまで努力しないと私は家族以外の人と触れない。


 だから、特別なのだ。


 でも、今思えば既にあの時から咲人くんは私にとって特別だったのかも知れない。

 事件直後、私の拒絶反応は酷くて1メートル以内に近づいてくると吐いてしまう。

 だから、クラスでも私だけ席が離され、登下校も送り向かいは車だった。

 そんな私を見て茶化す人がいない訳もなく、わざと近寄ってくる男子は沢山いた。


 そんな時に必ず守ってくれるのは咲人くんだった。

 ある時から私の前の席が咲人くんになっていることがあった。他の人は席替えのたびに場所が変わると言うのに私と咲人くんだけは一度も動かない――そう、6年生までの間クラス自体の移動はあってもクラスメイトが変わることがないため私と咲人くんの席だけはずっと変わらなかった。


 さらに、咲人くんが前の席に座ってから私の周りに近寄ってくる人は一切いなくなった。

 今なら「私の事本当に好きね」と誤魔化しながら言えるけど、当時の私にとっては言葉に出せないほど嬉しい事で、でもどこまでなら拒絶反応がおきないのかがわからなくて話しかけることもできない。

 咲人くんから話しかけてくることはない。


 見方によっては問題が起きるのが面倒なだけとも取れる行為だけどこの人は違うなと直感で私は感じていた。


 だから必然だったのだと思う。

 咲人くんを好きになることは。

 そんな彼とお互いを好きでいられる事は何よりも幸せで、運がいい事。

 さらには、触れることもできるようになった。

 咲人くん大好き。


 これからはもっと咲人くんとの時間を大切にしていこうと思う。

 彼との間に心配な事は何もない。


 あるとすれば、


「前川鈴菜か――まさかあの時の子がまた咲人くんの前に現れるとは……」


 前川さんという最近何かと咲人くんの近くにいる人物だけが心配なことだった。


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