3章

第14話 仲直り

 前川さんを残しホテルを後にした俺は日を跨ぐギリギリで家に着いた。

 あまり大きな音を立てないよう、洗面所に寄ってから俺は自分の部屋へと向かう。


 扉を開けると、中から小さな声で「あっ……」という声が聞こえた。

 声が聞こえただけで、どこにいるのかわからない。


 だが、入り口の対角線上にある勉強机の下からひょっこりと楠さんが顔を出したため、声の居場所がわかった。


「ごめん。遅くなった」

「うんん、私も無理を言ったから」

 私の方こそごめんね、と楠さんはいう。


 俺が「うん」と答えると、2人の間に静寂が流れる。


 こんな特殊な形で1週間ぶりの再開を果たした俺たちだが、決して仲直りをしたわけではない。

 だから、俺たちの間には気まずさという壁があった。


 それにプラスして、俺は先程まで世間一般的にいうと浮気をしていたわけで、気まずくないわけがなかった。


 その気まずさに耐えられず、俺は口を開く。


「うっす!」

「……?バカなの?」


 うん、これは俺が悪い。


「元気だった?」

「1週間前にあったけど。それに喧嘩して距離をわけだし、元気なわけないわ」


 うん、これも俺が悪いな。


「それはごめんな」

「うるさいわ」


 うん、これも俺が……悪いのか?


「バカだわ」

「え、」

「アホだわ」

「……」

「本当にバカだわ」


 突然の罵倒祭りに俺は黙り込む。

 これは大人しく聞いておていたほうがいいと思った。

 だが、そんな俺の判断はすぐ無駄となる。


「喧嘩して、嫌な別れ方して、これで終わってしまうのかって思いながらの1週間はとても辛かった……。咲人くんの意見を聞き入れず、自分のことしか言わない私は本当にバカだしアホだわ」

 だからごめんなさい、と楠さんはいう。


 俺への罵倒ではなく自分に対して楠さんは罵倒をしていたのだ。

 謝罪をした楠さんが黙り込む。

 下を見つめた楠さんを俺は見つめ口を開いた。


「俺は楠さんが悪いとは思わない。自分が悪いとも思ってない。それでもあえて言うなら2人とも言葉が足りないことが悪い。だからもう一度しっかり話し合おう。足りなかった言葉をお互い付け足して今後どうして行くか決めようよ」

 と俺はいう。


「……咲人くんの癖に生意気よ」

 と楠さんはいいながら、のそのそとローテーブルを挟んだ俺の反対側に座る。


 少しだけ、いつもの楠さんが戻ってきたような気がした。


「ん……むむ……なんか女の匂いがする」

「菅原のお姉ちゃんの匂いじゃないか?」

「菅原……許すまじ」


 なんか菅原ごめん。

 俺は心の中で土下座をする。

 とりあえず夏休み明けにでも何も言わずにジュースを奢ってあげようと思う。


 菅原ならわかってくれるさ。

 うん、何も言わなくてもわかってくれる。



 少し話は逸れたが、俺たちはこれからのことについて話し始めた。


「先に言いたいことがある」

 と俺は話を切り出した。


「どうして楠さんは、俺との関係を進めようと焦っているんだ?もちろん関係が進むことがダメなわけでもないし、むしろ俺からしたら嬉しいことでもある。けどさ、どう見ても楠さんは無理してて、それでも俺との関係を進めようとしてる――その理由が俺にはわからないんだ。もし楠さんの方法で関係を進めるにしても、最低限、なぜ無理してでも関係を進めたいのかは知りたい」


 これが俺の1週間で出した答えだった。


 2人の関係を進めることには賛成。

 楠さんが選んだ自傷行為じみた、無理をしてでもというやり方には反対――だが、それに伴う理由が真っ当で納得のいくものであるならば、もう一度しっかり考える。


「わかった、なら話す。でも……笑わないで欲しい」

 約束だからね、と楠さんはいう。


 そんな笑ってしまうほどの理由なんだろうかと思ってしまった。

 それほどのものなら、俺は賛成できないなと心の中で思う。


 だが、俺のこの考えはすぐに覆される結果となった。


「……がく……こう……」

 ととても小さな声で楠さんはいう。


「え?ごめん本気で聞き取れなかった」

「修学旅行!!」

「修学……旅行?」


「修学旅行の3日目の自由行動の日。一緒にまわりたいの。初めての京都、一緒にまわりたいからなの!」

 と顔を真っ赤に染めながら楠さんはいう。


 それを聞いて不覚にも、笑ってしまった。


「?!……い、今笑った。咲人くん今笑った……ひどい、嘘つき、」

「ごめんごめん、あまりにも理由が可愛くて笑ってしまった……って、いてぇ!?痛いって、ごめん、ごめんなさい」


 俺に笑われたことがあまりにも嫌だったのか、俺のベットの上に置かれた枕で俺のことをひたすら殴ってくる楠さん。


 楠さんの怒りを収めるのに、俺は10分以上かかってしまった。




 またもや脱線してしまったが、これで俺の目的である、楠さんが俺との関係を急ぐ理由がはっきりとした。

 随分と可愛いものではあったが、修学旅行で俺と一緒にまわりたいという楠さんの思いを知ることができたので俺は大変満足をしていた。




「私も今回のことで少し思ってた、言わなすぎるって。だからこれからははっきり言う。私は咲人くんともっといろんなことをしたいし、もっと恋人らしいことをしたい。勿論今この瞬間もそう思ってる。前までこの思いが全て無条件で咲人くんに伝わっていると思ってた。今考えると本当に自分は馬鹿だと思う。だから改めて言わせて欲しいのごめんなさい。これからはもっと私の意見を言葉にしていこうと思う。だから咲人くんもしっかり自分の意見を言って欲しい」


 今日の楠さんはよく喋る。

 1週間分を消費するかのように喋る。


 その全てが俺のことを喋っていて、それを考えるだけど俺はどうしようもなく嬉しくなった。

 この1年間で、こんなにも楠さんが何を考え何を思っているのか分かる日は今日が初めてだった。




「うんそうだな。俺もこれからは意見を言うようにするよ。でも、その前に俺も楠さんに謝りたい。あれだけサポートするから頑張ろうとか言ってた癖に、俺は前に進むことを少しだけ諦めかけていた気がする。だからってわざと俺たちの関係を止めようとしていた訳では無いんだけど、多分心のどこかで楠さんと俺の関係は演技から進むことはないと決めつけてしまっていた。だから謝りたい。本当にごめん」

 と俺は深々と頭を下げていう。

 続けて、

「正直なことを言うと、俺ももっと楠さんと恋人としての関係を進めたい。手だって繋ぎたいし、2人で並んで学校やショッピングモールなどに行ってみたい。恥ずかしいけど、俺だって男だ……楠さんとキスくらいしたい」


 楠さんの顔を見ながら俺が真剣にいうと、見るみるうちに楠さんの顔が赤くなっていった。


 今日は色々な楠さんを見れる。

 怒った顔や、拗ねた顔、特に珍しいのは今みたいな照れている顔。いつもの俺をおちょくるような顔は、今日一度も見ていない。


「咲人くんがそんなに思ってくれていたなんて……私も咲人くんと一緒だから。デートだって行きたいし、キスもしたい」

 と楠さんはいう。


「それに、演技から進めないと言ってたけどそんなことはない」

 と楠さんは呟いた。


 最後に関しては、よくわからなかった。

 今のどこに否定するところがあるのか、どこを見て楠さんは進んでいると思ったのだろうか。


 俺の疑問を感じ取ったのか、楠さんは俺の手に自分の手を重ねる。

 一瞬身構えた俺だけど、思っていたようなことは起きない。楠さんの手は俺に触れているのに、拒絶反応が起きなかったのだ。

 本当に進んでいないわけではないようだ。


 しかし、俺たちが恋人として進んでいることを楠さんはどこで知ることができたのだろうか……。


 そりゃ〜自分自身のことなんだから分かるだろって思うけど、なんせ演技の中でなら触られることを演技をして初めて分かったぐらいなのだから、自分自身のことは自分が一番分かっているという根拠はどこにもない。


 何かしら、拒絶反応が出ない条件というものがあったはずなのだ。



「私も最近気付いたの。あの時は夢中で気が付かなかったし、そのあと試すこともできなかったから確証はなかったんだけどこれではっきりした」

 と楠さんはいう。


「私は気持ちが高まっている時だけなら素の状態でも咲人くんに触れるの。実際、この間咲人くんが風邪を引いた時、ほら、私をほったらかしにして寝てしまった時」


「う、うん分かってるから、悪いと思ってるから、とりあえ進めてくれ」


「うん……咲人くんが寝てしまったあと、あまりにも寝ている顔が可愛くて、つい私はあなたのことを触ってしまったのよ」

 今でもその感触は残ってるわ、この手あの時から洗ってないもの、と楠さんはいう。


 ちょくちょく問題発言をぶっ込んでくるのやめてくれないだろうか……。

 大事なところなのに、内容が全て飛んで行ってしまうよ。


 まぁ、洗ってないのは嘘なんだけど、といい楠さんは続ける。

「しっかり触っているのに拒絶反応は起こらなかった。だからついに触れるようになったんだと思って、嬉しすぎて私帰っちゃったの。だけど素直にそれを言えなくて、なのに気持ちだけは先走っちゃって、気付いたらなぜ私は拒絶反応が起きなくなっているのに咲人くんは私との距離を縮めようとしてくれないのって思うようになってしまっていたの」



 ……いや、それに関しては俺何も悪くないよな。


 さっき、距離を縮めたい理由は修学旅行って言ってなかったっけ?え、あれ、もしかして演技??


「でも、夏休み前日に会って咲人くんを触った時、拒絶反応が出てしまった。そこでわからなくなったの。そして、理解するまでに私は1週間もかけてしまったというわけです。ふふ、ごめんね」

 ニコッという効果音が発生しそうな作り笑いで楠さんは俺に笑いかける。


 まったく反省しているようには見えない。

 だが、丸く収まったわけだしもういいやって俺は思った。


「え〜っと、それなら、楠さんが俺に対して好意的な感情を抱いていて、かつ気持ちが昂っている時であるなら触れるということなんだね」

 と確認のため俺は聞く。


「そうね、でも私からの一方通行じゃダメよ。咲人くんも私と同じように思ってないとダメ」


「うん、それは勿論だと思うよ。だけどそれって会ってすぐ入れるっていうわけではないだろ?それこそそのレベルに行くまでは演技でもして持っていかないといけないわけで……」


「クックック、さすが咲人くんだわ」


 深夜テンションの楠さんだいぶ変人だな、声には出さず心の中で呟く。


「そう言われると思って作ってきたの」

 と楠さんはどこから出してきたのか、一冊のノートを机の上に置く。


「咲人くんとの恋人生活――入門編?……何それ」

「そのままよ」

「いや、だからそれが何かという質問なんだが、」

「だから、それをそのままと言っているのよ」


 ……話がまったく噛み合ってないんだよなぁ〜。


「読めばわかるわ」

 とそれ以上楠さんは何も言わなくなった。


 仕方なく俺はその入門編とやらを開く――すぐに閉じた。


「これ楠さんが俺とやりたい漫画のワンシーンをコピーして貼ってるだけじゃん」


 俺はそのままを伝えた。

 そして、理解する――確かにそのままだ!っと。


「貼ってるだけではあるけど、私が咲人くんとやりたいことを順に載せてる。それに、これは今までとは違ってあくまで私たちが素で接することができるまでの過程しか載せてない。シーンも途中で終わらせてる」

 と真面目に楠さんは説明をする。

 続けて、

「その途中からは、演技じゃないし、やりたいワンシーンじゃない、私たちが自分たちで作るオリジナル。言い換えれば、それが私たちの恋人としての関係となる……と思うの」


 最後の方は自信がなくなったのか、恥ずかしくなったのか、声が小さくなった。


 楠さんが俺との関係を進めたくて、形として表したくれた。

 それなら俺も応えなくてはならない。

 この時点では俺よりも楠さんの方が恋人としてのことを考えているのだから。



「わかった。これからはそれをやっていこう」

 と俺はいう。


「いや、これからじゃないのだけれど。今からよ」

「そこは、うん!頑張ろうね咲人くん!!っていうところだろ?」

「それは100%ありえないわ。誤魔化さないで。とりあえず1ページに書いてあることは今からお願い」

 と楠さんは入門編の1ページ目を開いて突き出してくる。


 そこには、私たちの関係を良くするためのルールと書かれていた。


 一つ、咲人くんは私のことを名前で呼ぶこと。

 一つ、私の拒絶反応が出ても流れを止めないこと。


 一つ、私を好きでいること。


 随分と一方的なルールとなっているが、迷わず「わかった」と俺は返事をした。




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