第11話 沼ってこう
楠さんと色々あったあの日から、1週間ほどが経過した。
俺はまだ、楠さんに連絡をすることができていない。
別れることはもちろん嫌だ。
でも、あの苦しそうな楠さんの顔が頭から離れない。また俺の前であんな顔をされてしまったら、俺は今回と同じように手を離してしまうだろう。
そもそも、なんで楠さんはそんなに急いでいるのだろうか。
それが俺にはわからない。
色々楠さんが俺とやりたいことや行きたいところがあることはわかる。
俺もそうだ。楠さんとやりたいこと、行きたいところは沢山ある。
だがこれから先、楠さんとずっと一緒に居られるのであれば、今でなくてもできることがほとんどだ。
だからわからない……そこまで急ぐ理由が俺にはわからなかった。
俺が部屋で考えていると、LINEが届いたことを知らせる音がなった。
『今何かしてる〜??』
と前川さんから、?をいっぱい浮かべたスタンプと共に送られてきた。
何しているかと聞かれたら、楠さんとのことを考えているだけだから実質何もしてない。
側から見たらベットに寝そべっているだけ。
『特に何もしてないよ』
と返すと、前川さんから着信がきた。
「もしもし」
「おはよう?こんにちはかな?久しぶり!月島くん!」
と前川さんの声が聞こえる。
「久しぶりって言うほど時間経ってないと思うけどな。どうしたの?」
と質問する。
「いや、声聞きたかったって言うのもあるんだけどさ……今から会えたりしないかなって思って」
もう準備もできてるんだ〜と前川さんはいう。
準備をする前に聞くものなんだよな〜と思いつつも口には出さない。
時計を見ると、午後1時30分。
考え込んでいたらいつのまにか1日の半分をベットの上で俺は過ごしていた。
少し気分転換はするべきか、そう思った俺は前川さんに「わかった。どこで待ち合わせする?」と聞く。
「え?行ってくれるの?やった〜!!まぁ、実はもう少しで月島くんの家に着くんだけどね」
えへへ、と前川さんはいう。
「俺が断る選択肢はないんだよな〜」
「どこも出かけたくないのなら、月島くんの部屋にお邪魔しようと思ってたから〜」
と前川さんはとんでもない作戦を口にした。
未遂に終わってよかった……と俺は心から思った。
家には俺のお母さんがいるし、お母さんは俺が楠さんと付き合っていることを知っている。
そこに前川さんが遊びに来ました!なんて言って来た際には一瞬で楠さんのところに連絡が行くだろう。
「とりあえずすぐに行くから、俺の家の前で待つのはやめてくれ」
とだけ伝えて、俺は準備を始めた。
15分後、俺は前川さんと駅で合流する。
だが、すぐ別々になった。
理由は――
『うわ〜ん、なんで学校の近くに月島くん住んでるの〜』
『いや、そう言われても困るんだけど、』
『もう〜、乗り換える時は隣同士だからね!!』
――合流したのはいいものの、俺の家の最寄りは学校の最寄りと同じなので、同じ学校の生徒がいるかもしれないから。
それに気がついた時の前川さんは「ぐ、偶然だね……月島くん。じゃ、またね」と涙目になりながら言い俺の隣には座らず正面に座る――涙目の前川さん可愛い。
それから少しして、俺と前川さんは隣同士で座った。
「月島くんが私服だ〜、かっこいいね」
「ありがとう……前川さんの服も可愛いと思うよ」
「えへへ、ありがとう〜!月島くんと出かけるように何着か新しいの買っといてよかった!」
そんなことを話しながら俺たちは電車に乗る。
側から見たら俺たちはカップルに見えるのだろうか……。
「周りから見たら、わたしと月島くんってカップルに見えるのかな?」
と俺が思っていることと同じことを前川さんはいう。
「まあ、こんなに腕組んでたら見えるんじゃないか?」
「じゃ〜わたしはもう月島くんの彼女だね!」
と前川さんはさらに体を密着させ、俺の腕を抱きしめる。
俺はそんな前川さんのことを、少しも嫌だと感じなかった。
むしろ、心地よいとすら感じてしまうあたり、どんどんダメにされているなと感じる。
さらには、普通のカップルであればこういうことは当たり前にできるんだろうなと少しだけ思ってしまった。
そのせいで俺は罪悪感に駆られる。
前川さんとの関係に対して感じるのはもちろんだが、楠さんと出来ない事を前川さんとならできる事で比較してしまうことに俺は罪悪感を感じてしまっていた。
「それで、今からどこに行くつもりなの?」
と今初めて行き先を聞く。
「え、鎌倉行ってから江ノ島行こうかなって思ってたよ」
と前川さんは答える。
チラッと俺の方を見る前川さんとの距離が、とても近く、とても良い匂いがして、俺は動揺をしてしまう。
誤魔化すように、
「半日で終わるスケジュールじゃないんだよな〜」
と俺はつぶやいた。
さらに1時間、俺たちは電車に揺られながらどこに行くのか、何を食べるかなどを話した。
こんな些細な時間でさえ、俺は楽しいと感じる。
目的の鎌倉につき、前川さんの行きたいと言った銭洗弁天に行くことにした。
行きたい理由は、お金を濡らしてみたかっただと言っていたが、時々よくわからないことを前川さんはいう。
歩きで移動中、前川さんは俺の手を握っている。
もちろん恋人繋ぎと言われる繋ぎ方。
俺の手をにぎにぎしたり、強く握ったり、指だけを絡ませたりと歩きながら俺の手を感じるように前川さんは手を繋ぐ。
俺の手に飽きると、次は腕を組んで前川さんは歩く。
反対の手で、俺の腕を触ったり、組んでいる手を握ったりといろんなことをして前川さんは歩く。
どれも前川さんがやりたくてやっているのだと伝わってきた。
俺の手を、腕を、触っていたくて触っているというのが伝わってくる。
俺が羨ましいなと思っていた行動を隣に歩く前川さんは簡単にやっているのだ。
そして、簡単にできるのだと教えてくる。
前川さんが俺の手をにぎにぎとした時、俺もにぎにぎし返す――すると前川さんは「えへへ」と笑う。
前川さんが俺の手を強く握った時、俺も強く握り返す――すると前川さんは「月島くん!」と嬉しそうに甘えてくる。
前川さんが俺と腕を組んで甘えて来た時、俺は前川さんの頭を撫でる――すると前川さんは「大好き!」と言ってもっと俺に寄り添った。
銭洗弁天に着いた時には、自分たちでもカップルなのではないかと思うぐらい俺たちの距離は近かった。
「月島くんとこんなことができるなんてわたしも幸せ者だ〜」
えへへと前川さんはいう。
俺も自分のことを幸せ者だと思った。
前川さん程の子と付き合っているわけではないのに、付き合っているようなことをできるのだから。
「俺の方こそ幸せだよ。ありがとう」
すでにこの時の俺には楠さんとのことは頭になく、今この瞬間を前川さんと楽しもうという考えしか無かった。
それは、前の俺では考えられないことである。
いつだって、それこそ前川さんと一緒にいる時だって楠さんのことが頭にないことなんて一度もなかった。
俺の気持ちの中で、前川さんという存在がより大きなものへと進化しているという表しだと俺は思った。
本当は、その気持ちを否定しなくてはいけないのだろう。
だが、否定なんてできないほど俺の中には前川さんが溢れていた。
「見てみて月島くん!みんなお金濡らしてるよ!」
と子供にように前川さんははしゃぐ。
前川さんの純粋な笑顔に、自然と俺も笑顔になった。
2人で一枚ずつ千円札を濡らし、お賽銭を行う。
何を願えばいいのかわからず、俺は手を合わせるだけになった。
隣を見ると、前川さんが真剣に手を合わせてお願いしている。
その場所を後にし、俺は前川さんに質問をする。
「何をお願いしたんだ?」
「え〜これ言わなくちゃいけない?」
「いや、言いたくなければいいわなくていいぞ」
「そこは、言わなきゃいけないっていうところでしょ!」
「月島くんともっと一緒に入れますようにってお願いしたの」
本当はもっとお願いしたかったけどね!と前川さんは言う。
その真っ直ぐなお願いに俺は少し戸惑いを感じる――と同時に、前川さんの良さと言うのはその真っ直ぐなところにあるのではないかと思った。
自分の好意を隠さず、誤魔化さず、しっかりと相手に伝える。
簡単なように見えて簡単ではないことだと思う。
月島くんに会いたい。
月島くんのこと大好き。
月島くんに褒められた〜嬉しい。
前川さんが俺にかけてくれた言葉が頭に蘇る。
そして、今俺の手に感じる暖かさに安心感を抱いていることから、俺は認めざるを得ない。
俺は前川さんのことも好きになってしまったのだ。
だからこそ、楠さんとの関係にそこまで焦りを感じることができなかったのだ。
だって楠さんとは違い俺には、恋人としかできないことをできる相手が存在してしまっている。
それも前川さんというとても魅力的な子で、俺自身が好意を抱いてしまっている子が相手なのだ。
俺は気が付かぬうちに前川さんの手を強く握っていた。
この手を離さないと言うように……。
――――
江ノ島に来た。
既に、空はオレンジ色に染まっている。
江ノ島に行くための橋も、俺たちとは逆方向へ行く人の方が多い。
その中を逆らう様に俺たちは手を繋ぎ歩いていた。
通り過ぎる際に前川さんのことをチラ見する男子が多い。
その視線に、見るなと思う自分とそんな魅力的な子が俺と一緒に歩いていて誇らしいと思う自分がいるのに気付く。
彼氏になったつもりかよ……と俺は自分にツッコミを入れる。だが、そう思ってしまうぐらいには、俺と前川さんの関係は親密になっているだろう。
これ以上、自分を誤魔化し続けることはできないのだなと俺は自覚する。
自覚してからはもう、酷いものだった。
「月島くんきゅうり食べたい!」
「いいじゃん一緒に食べよう」
「たこせん食べようぜ」
「わたしも食べたい一口ちょうだい!」
「この恋結びの絵馬書こうよ、お願い」
「まぁ、書くぐらいなら?」
「たまには写真でも撮るか」
「本当に、嬉しい!!」
まるで俺たちは本物のカップルなのだと言わんばかりの行動。
こんなことをしているのにも関わらず、俺の中に罪悪感という感覚はない……いや薄れている。
俺らは、2人の時間を楽しみ、2人の幸せを噛み締めている。
もう完全にたがが外れていた。
再び江ノ島の橋を渡る頃にはあたりは暗くなっていて、駅近くにあったレストランで俺たちは夜ご飯を一緒に食べる。
4人座れる席なのに、俺たちは隣り合って座っている。
使ってない方の手は絡み合い離れようとはしない。
前川さんが口を大きく開けると、俺が口に中に料理を運ぶ。逆に俺が口を大きく開けると、前川さんが俺の口の中に料理を運んでくれた。
食べ終わり、電車に乗った時には、既に20時を超えていた。
なのに俺は帰りたくないと思ってしまった。
隣の前川さんを見ると、前川さんは何かを考えるような顔をしている。
ここで俺が帰りたくないと言ったら、前川さんはどんな反応をするのだろうか。
喜んでくれるのだろうか。
困ったように笑うだろうか。
俺から前川さんに対して、一緒にいたいと言ったことは一度もない。
心のどこかで、俺から誘わなければ大丈夫だと思ってしまう俺がいたからなのだと思う。
だが、もうどうでもいい。
俺はいま、どうしようもなく前川さんと一緒に居たい。
ずっと前川さんのことを感じていたい。
お母さんには友達の家に泊まると言えば大丈夫――そんなことまで考える。
俺はどんどんはまっていく。
前川さんという沼にどんどんはまっていく。
一度入ったら抜けられない底なし沼のように、俺はどんどん前川さんに夢中になる。
もうどんな反応されるかは気にしていられない――そう思った時だった。
「月島くん……今日は一緒に居ようよ」
と前川さんはいう。
俺が前川さんの顔を見ると前川さんも俺を見ていた。
「返事なんていらないから一緒に居たいなら今すぐわたしを連れ出して」
と前川さんは俺の耳元で囁く。
俺を止めていた枷が外れた瞬間だった。
JR藤沢駅、出発する合図のベルが鳴る。
扉が閉まるギリギリ、俺と前川さんは2人で電車を降りた。
そのまま出口へ向かい、街中へと歩いていく。
歩きながら前川さんは、ビジネスホテルの空きを確認して、俺はコンビニのATMでお金を下ろす。
ついでに、あれもコンビニで購入した。
こういうところは冷静な自分に俺は笑いそうになる。
息の合った2人の行動は、より明確に迅速になっていく。
その間も決して手を離すことはない。
ホテルに着き、受付を済ませ、俺たちは10階建ての5階にある506号室へと入った。
入ると、そこはもう俺たち2人だけの空間。
見ている人も、止める人も、邪魔する人もいない。
服も脱がず、靴も脱がず、荷物を放り投げ、熱いキスを交わしながらベットへ倒れ込む。
俺は、自ら前川さんの沼へと飛び込んだ。
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