第5話 ご対面
放課後――楠さんの練習を聞きながら部室で本を読んでいた時だった。
静かに部室の扉が開く。
扉の方に目をやると、前川さんがニコニコしながら立っていた。
「今日は月曜日だぞ」
約束は?、と俺はいう。
俺と前川さんの間には約束――ルールが存在する。
そのうちの一つに、前川さんと会うのは楠さんと合わない日だけ、というのがあった。
もし破ったとしたら――それは考えていなかった。
心の中でしまったと思ったが、どうやら先に気がついて行動に移したのは前川さんの方だったらしい。
「えへへ、会いたくて来ちゃった!」
土日会えなくて寂しかった、と何食わぬ顔で前川さんはいう。
もちろん隣の部屋に楠さんがいることを前川さんは知っている。
楠さんに2人の関係がバレたらどのような形であっても俺は前川さんとの関係を断ち切ると前川さんにはあらかじめ、伝えてある。
だからか、俺は心の隅で前川さんは来ないだろうと思ってしまっていた。
「会いたくてって、クラスでも合ってるでしょ」
と俺はいう。
「あんなの会ったうちにはならないよ〜」
と前川さんは俺の隣へと座った。
正直、前川さんが何を考えて、何をしたいのか全くわからない。
楠さんが部室に来るのは月曜日、水曜日、木曜日の三日間。
その他の曜日に関しては、事務所の方でお母さんに稽古をつけてもらったりしている。
もちろんドラマが決まり本格的に動き始めると、月曜日だけ来るとかはあると思うが、基本的に高校生の間は学校の方を優先するという方針らしいので滅多にそんなことは起きない。
だからこそ、こんな危なっかしい真似をする前川さんが俺には理解できなかった。
だが、俺は強く彼女を否定することはできない。
俺は彼女の悲しそうな顔がとても嫌いだった。
「とりあえず、もうこれで会ったことにはなるだろ。今日のところは帰ってくれ」
と俺はいう。
そんな俺の言葉を聞いて、前川さんの笑顔が悲しそうなものへと変わっていく。
結局前川さんのことを否定しなくても、楠さんと前川さんを会わせないようにするには、彼女のことを悲しませるしか方法はないようだ。
「わたしだって月島くんと一緒にいたいんだもん。この土日だって、触れないにしても楠さんは月島くんと会ってて、わたしは会えてない。それはしょうがないことだとわかっているんだけど、わたしは月島くんのことが好きだから仕方ないんだもん」
と前川さんは無理矢理笑う。
これはよくクラスの人と話すときにしている笑い方だ。
自分の気持ちを押し殺しているように思うその笑い方を俺はあまりよく思っていない。
いつもこの笑顔を見ると、俺は無性に前川さんのことを甘やかしたくなる。
俺といる時ぐらいは、無理をしないで欲しかったから。
そんな時、俺は気が付いた。
隣の部屋から聞こえていた、楠さんの声が聞こえなくなっていることを。
体から嫌な汗が止まらなくなる。
もう考えている暇はないと俺は咄嗟に立ち上がり、目の前に置かれておるローテーブルを飛び越え、反対側のソファーへと移る。
俺の奇妙な行動に前川さんが目を丸くするのがわかった。
だが、前川さんが何か言う暇はない。
その人物が中へと入って来たから。
「誰?」
と楠さんの声が響く。
前川さんはすでに状況を理解したらしく、おとなしくソファーに座っている。
……いや、大人しく座ってるなよ、と俺は心の中で突っ込む。
楠さんが俺たちの会話をどれほど聴いていたのかわからないし、いつからみていたのかだってわからないのだ。
とりあえず何も言わない前川さんに変わって俺が楠さんの質問に答えることにした。
「あー前川さんは俺と同じクラ……」
「咲人くんには聞いてない」
「はい、すいません」
楠さんに睨まれてしまった。
「それで、誰?」
と楠さんは再度質問をした。
「月島くんと同じクラスの前川です」
よろしくね、と前川さんは笑顔で答える。
鋼のメンタルすぎるんだよな〜、と俺は無言で突っ込む。
「そう、前川さんね。それで咲人くんに何かようかしら」
と楠さんはいう。
なんと答えるのだろうかと俺は前川さんを見た。
「楠さんの方こそ、ここに何のようなの?月島くんのこと、下の名前で呼んでるし。もしかしてそういう関係だったりするのかな?」
とそれはもうニッコニコの笑顔で前川さんは答える。
してやったり、というような顔を前川さんはしている。
誰だよこの子をいい子とか言ってるやつ……と俺の心は叫びたがっていた。
「そうよ、咲人くんは私の彼氏なの。だから、どこの馬の骨かわからない貴方が咲人くんに近寄るなんて万死に値することだわ」
と楠さんは簡単に俺との関係をバラした。
「そ、そうなんだ……」
と面を食らったような顔をする前川さんは、なぜか俺の顔を見る。
そして、口パクで「ごめんね」と言って楠さんの方を見た前川さんはいう。
「それなら今ここで証明して見せてよ。わたし信じられないの、いつもクラスで月島くん1人だし。あの美人で高嶺の花の楠さんと見るからに普通な月島くんが恋人関係なんて絶対嘘だよ!」
「とても失礼なこと言われてるんだけど〜」
「「(咲人くんは)月島くんは黙ってて」」
2人に怒られてしまった。
実際、ここで俺の出る幕が無いことはわかっている。
だが、前川さんが楠さんに言ったことは割と大事であると俺は思っていた。
なぜならば……
「わかった。それなら私と咲人くんの関係を貴方に見せてあげる」
と楠さんがいう。
……楠さんは根からの超絶負けづ嫌いなのだ。
ゆっくりと俺へ近づく楠さん。
一歩一歩近づく毎に、楠さんの顔が演技をする時の顔になっていることに俺は気が付いた。
演技だったとしても俺との関係を証明するため、楠さんが俺に触れようとしていることは嬉しかった。
楠さんが近づくにつれて、前川さんの顔は引き攣っていく。
前川さん自身、楠さんに無理をさせてしまっていることに罪悪感を覚えているのだろう。
なんだかんだ言って根は真面目な前川さんらしい反応だと俺は思った。
このまま行けば俺と楠さんは触れることが出来き、俺と楠さんの関係を前川さんに証明することはできる。
だが、その後に待っているのは楠さんの拒否反応。
ここは盛大に、楠さんのお昼まみれにだろう。
盛大にぶちまける楠さんを見てとても後悔する前川さんと、意地を張って行動に出てしまったばかりに自分のみっともない姿を他人に晒してしまったと落ち込む楠さんを、俺は想像した。
そして、そんな2人の姿を俺は見たくないと思ってしまった。
「はい!もう終わり」
と俺は手を叩き音を出す。続けて、
「前川さん、楠さんが言ってることは本当だから。俺はいつも1人でいるし、あまり周りと話すこともしないけど、楠さんとは付き合ってる。それは事実だから信じてもらえたら嬉しいよ」
と俺はいう。
「そ、そうなん……。まぁ、本当はこの部活に興味があって来ただけだからさ。楠さんもごめんね、なんか変なこと言っちゃって、」
じゃあ、今日は帰るね。バイバイ月島くん、と前川さんは部室から出ていく。
ふぅ〜と俺はため息をついた――ひとまず誰も傷つかずに済んだのだと思ったから。
「意気地なし。見せつけてあげれば良かったのよ」
と楠さんは不貞腐れながら反対側のソファーに座る。
「前川さんと言ったかしら、絶対咲人くんのことが好きね」
と楠さんは呟く。
そして、キッと俺のことを睨んで楠さんはいう。
「靡いたりしたら許さないからね」
「貴方は私のものなのだから……」
という呟きは、俺の耳へは届かなかった。
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