第17話
喧騒が広がると、ルーデットとペルーシュカは屋敷の裏手に廻り、人気の無い窓から内部へと侵入。
足音を殺し、しばらく屋敷内を進むが――守備の兵士は皆無だった。
「すごい、見張りの兵士が全然いないです!」
「ああ、みんなが首尾よく暴れてくれているんだろう」
”月の家族”はズオウ五世直属の戦闘部隊。
隠居貴族の屋敷を混乱させることなど、朝飯前だろう。
ルーデットは屋敷内を走りながら、意識を集中。
魔女の右目に、青白い輝きが生まれた。
ルーデットの右目は義眼である。
幼少期。
ルーデットはとある事件に巻き込まれ、右目と両親を失った。
その後、祖父であるエルムンドに引き取られ、家族を亡くした悲しみを押し流すように、魔術の勉強に没頭。
その際、”特殊義装”の研究を進めていた祖父より、”詠唱石”によって作られた義眼を与えられたのだった。
サーラに渡したメガネ――あれは、まだ義眼に目が馴染まないルーデットのためにエルムンドが作成した、魔力による視力補整を目的とした代物。
はじめてサーラに出会ったとき、彼女の視力が著しく劣っていることを察知できたのも、義眼のおかげである。
そして今、ルーデットは義眼を輝かせ、屋敷に満ちる魔力の残滓を追いかけていた。
サーラは獣人。その体には多くの魔力を宿している。その痕跡を探しているのだ。
ルーデットは右目が導くまま、迷うことなく屋敷の中を疾走する。
燭台が照らす廊下は薄暗く、どこか巨大な生き物の体内を走っているような錯覚にもとらわれる。
回廊を渡り、廊下を走り抜け――魔力が濃くなってきたところで、二人の足は止まった。
「よう、また会ったな」
太い声が薄暗い廊下に響く。
歓迎しているわけでもないのに、二人を待っていた者。
それは数日前、ペルーシュカをあっさりと無力化した大男だった。
ルーデットとペルーシュカは、同時に息を飲む。
この急いでいる局面で、一番出会いたくない人物と出会ってしまった。
「ルーデット様、先に行ってください。こうしている間にもリッケル侯爵様が逃げてしまいます」
低い声は、ペルーシュカのもの。
青い瞳は決意の輝きを浮かべ、ジッと主を見つめていた。
しばし思案するルーデットだったが――自分を見つめる小さな”調律兵”の視線を受け、静かにうなづく。
「……分かった、ここは任せるぞ」
言って、ルーデットはぽんっ、とペルーシュカの肩を叩いた。
自分の気持ちを伝えるように、優しく、暖かな手を添える。
「おい、勝手に話を進めるんじゃねぇよ。誰も通すはずが無いだろうが」
苛立たし気な大男の声。
ルーデットは構わず、鼻で笑いながら宙空に手をかざした。
瞬間。
手の先に巨大な火球が出現。
空間を熱する炎の眼球は、魔女の手より発射されると廊下の壁に爆音と共に大穴を開けた。
圧倒的な魔法の威力に、先ほどまで余裕を見せていた大男の顔が引きつる。
「お前の都合なんぞ、知らん。せいぜいペルーシュカに遊んでもらえ」
言うと、ルーデットは魔法で開けた穴を通り、あっさりと廊下を迂回。
大男はその背中を恨めしそうに睨み――しかし、追撃することは無かった。
▽▼▽
「ちっ、喰えない魔女だぜ……ま、あの老侯爵がそう簡単に捕まるとも思えん。まずは貴様を血祭りにあげるか」
大男は獣化した右腕を大きく回し、準備運動。
ペルーシュカも軽くその場でジャンプして、義肢の調子を確認する。
現在、ペルーシュカの身に着ける銀の義足――”マルヴァーク”は戦闘用。
履きなれない兵器であり、その準備に慎重になっていた。
「おい、貴様、死ぬ前に名前を聞いておいてやる」
「……ペルーシュカと申します」
「そうか。俺はルドルってんだ。こんな
言って、大男――ルドルは威圧的な笑みを浮かべながら、もじゃりと髭の生い茂る顎を撫でる。
身長は二メートルオーバー。体重は、ペルーシュカの三倍くらいあるだろうか。
ペルーシュカは生唾を飲みながら、けれど気迫に押し負けないよう、金色の眉を吊り上げた。
「先日のようには負けませんよ」
「そうかい。足を変な玩具に変えたからって、調子に乗るなよ」
ルドルはペルーシュカの足、そこに装着する戦闘用の義肢”マルヴァーク”を見つめ不敵に笑った。
押し寄せる殺意に、ペルーシュカはグッと奥歯を噛みしめる。
「行くぞ、ペルーシュカッ! 今度は確実に、叩き潰すッ!」
ルドルが欠けた前歯を見せつけるように吠えた。
殺意が押し寄せる。
恐怖で息が詰まる感覚は、水中にもぐり、肺が絞めつけられる感覚に似ていた。
獣化した右腕を振り上げ、ルドルは大股でペルーシュカに接近。
鋭い爪。
分厚い手の平。
盛り上がる腕の筋肉。
そして、ルドルの気迫漲る表情。
素晴らしい。
どこを見ても、ペルーシュカを殺そうという純粋さに満ちていた。
それに、ペルーシュカも真正面から答える。
「大怪我をしたら、私が看病してあげます。だから、恨まないで下さいね!」
身構えるペルーシュカに、ルドルは一切の手加減なく爪を振り下ろし、その身を八つ裂きに――しようとしたところで、ふっ、とチビナースの姿が消えた。
ルドルが驚きに喉の奥で唸ると――ドスンっ! と巨体が揺れた。
いつの間に移動したのだろうか。
一瞬でルドルの真横へと移動したペルーシュカ――その右足が、筋肉が浮き出る脇腹にめり込んでいた。
「ぐッ、がはッ!?」
痛みと驚愕に、ルドルの額に汗が浮かぶ。
見えなかった。
ペルーシュカが移動したことも、攻撃を仕掛けたことも。
それはペルーシュカの小柄さと、魔力の力……そしてそれらを増幅する”特殊義装”が合わさって成しえる力。
ルドルが味わったことの無い、”調律兵”の本気だった。
「ち、調子に乗るなよ! クソガキがァああああああ!」
脇腹の痛みを紛らわすように、大男は獣化した右腕――ではなく、人間のそれである左腕を振り上げる。
凶悪な右腕ばかりに意識を取られていたペルーシュカにとって、それは予想外の攻撃。
筋肉に彩られる暴力的な分厚い拳骨。
えぐるような角度で眼下から昇るそれは、ペルーシュカの華奢な顎を殴りつける。
「あ゛ぅッ!? くぅぅッ――!」
ペルーシュカは真上にぶっ飛ばされ――そのまま、天井に『着地』した。
宙を舞う中、ナースドレスに包んだ小さな体を反転。頭を地に向けた逆さまの体勢になると、”マルヴァーク”の鉤爪を天井に突き立て、身体を固定。
逆さまのまま天井に立つチビナースに、さしものルドルを目を剥いて驚愕。
その一秒後。
エラの張った横っ面を、ペルーシュカの蹴りが直撃。
天井を蹴り、地に向けて跳躍。
ルドルの顔面に、横に振り抜く蹴りを見舞ったのだ。
ミシッ、と骨身を打ちつける衝撃がペルーシュカの義足に圧し掛かる。
不気味な感触――けれど、それは確かなダメージの手ごたえ。
横顔に蹴りを受けたルドルは、床を転がりながら壁に激突。
地に倒れる大男だが、すぐさま立ち上がり、再びペルーシュカに獣腕を振り回す。
壁を斬り裂き、床を砕き、その場にあるあらゆるものを破壊する。
破壊力に富んだ攻撃は、けれど肉体と五感を魔力により強化するペルーシュカにとっては、回避しやすい大ぶりな攻撃。
身を屈めて、空間をえぐる一撃をかいくぐると、ルドルの腹に鋭い蹴りを真っすぐに放つ。
みぞおち。
鍛えた腹筋を白銀の具足が穿ち、ルドルは口から鮮血を吐き出しながら吹き飛ばされた。
壁を突き破り、外へ転がり倒れる大男。
「これで、どうですか!」
肩で息をするペルーシュカ、その声の先。
地に横たわる巨体が、ふらつきながら立ち上がる。
「……化け物か、貴様は」
「それはお互い様、ですね」
血の混じった唾を吐き捨てながら、ルドルはゴキッと首の骨を鳴らして戦意を取り戻す。
平然とたたずんでいるように見えるルドルだが、その体はかすかにふらついている――先ほどの蹴りが、確かなダメージを与えているようだ。
きっと、お互いに『退く』という選択肢はないのだろう。
ペルーシュカは思い出す。
村を焼かれ、家族を殺され、両足を失った、あの日。
絶望の中、ペルーシュカはエルムンド施療院で目覚めた。
そこでルーデットと出会い、家族の死を知り、自分も死にたいと泣きわめいた。
そんなペルーシュカを、ルーデットは付きっ切りで看病してくれた。
「私にも、家族がいないんだ」
ある日、泣き止まないペルーシュカにルーデットは初めて自分の話をしてくれた。
幼い頃、事故により両親を失ったこと。
その事故で、自分も右目を失ったこと。
そして、そんな大切な右目を授けてくれた祖父も、昨年、亡くなってしまったこと。
けれど、ルーデットは悲しみに負けたりはしないという。
ルーデットは、祖父から”特殊義装”を作成する方法と、”調律兵”により国を守り、影から支えるという大切な仕事を譲り受けた。
だから、泣いている暇はない。
自分の涙で、世界は救えないから。
目つきの悪い魔女先生は、あまり話し慣れていないのか、時々言葉につっかえながら、ペルーシュカに話をしてくれた。
ペルーシュカに、貴重な”調律兵”となりうる才能が有ったから――という、理由だけでは無い。
似た境遇を持つペルーシュカの涙を、自分の力で止めて見せる。
それが、新米の”魔導爵”であり、医師でもあるルーデットの使命だと話す。
ペルーシュカはひたむきなルーデットの姿に驚き――そして、胸の奥に新しい感情が生まれたことに気がついた。
全て失った自分に、尽くしてくれる人がいる。
だったら、もう一度。
この人のために、生きてみようと思った。
家族のように自分を看病してくれるルーデットの姿に、ペルーシュカは生きる希望を貰ったのだ。
だから。
ペルーシュカも、退かない。
それが、ペルーシュカの――”調律兵”としてのプライド。
「ルドルさん。次で、決めます」
ペルーシュカは静かに告げる。
夜風に混じる焦げ臭さは、屋敷に火の手が広く回っている証拠。
この場に、あまり長居出来ないことを意味していた。
ペルーシュカの声に応じるように、ルドルも最後の一撃を見舞うため、右腕を天高く掲げる。
言葉を交わさなくても分かる。
お互い、次の一撃にかける覚悟を決めていた。
けれど、直後――大男は動揺を顔に浮かべた。
ペルーシュカがくるっ、と反転。背を向け、微かに腰を落としたから。
逃げ出そうとしているのではない。
ルドルに背中を向けて、小さく身を縮こませたのだ。
「……なんのつもりだ、小娘」
「お気になさらず。全力で来てください」
少女の小さな背中が語る。
何を企んでいるのか。
ルドルは太い眉を寄せて思案し――すぐ顔に狂暴さを取り戻す。
考えるよりも、さっさと破壊する。それが、ルドルの信条。
「死ねッ、ペルーシュカッ! これで終わりだっ!」
ルドルは地面を踏み鳴らしながら肉薄。
屋敷を叩っ斬るような勢いで、巨大爪を振り下ろした。
直後。
ペルーシュカの脚部。
”マルヴァーク”の装甲の隙間から、ドッと吐き出すように魔力の青白い光が噴射された。
それを推進力に、ペルーシュカの体が高速で回転。
「やァあああああああああああああああああああああ!」
腹の底から絞り出すペルーシュカの掛け声と共に、暴風が巻き起こった。
大ぶりの回し蹴り。
ルドルはその時、ようやく気がついた。
ペルーシュカは、相手に背を見せて縮こまっていたのではない。
彼女は構えていたのだ。
全身のバネを縮め、最大の攻撃を放つために。
無防備な姿こそ、彼女の狩りの姿。
”マルヴァーク”の先の割れた爪先を閉じると、それは一枚の巨大な刃へと変貌する。
身体を回転させる筋肉をバネとして、そこに具足から噴き出す魔力を推進力として加える。
ペルーシュカの蹴りは、凶鳥が呼び覚ます牙を持った暴風へと変化した。
ぶォンっ! と豪快な空間をえぐる音。遅れて、老朽化した屋敷を震わせるほどの衝撃波が大気を震わせる。
刹那。
振り下ろされたルドルの巨腕。
それが刃と化したペルーシュカの回し蹴りにより切断され、宙を舞っていた。
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